
森喜朗じゃなくてお前が変われよ
正論を言う人には当事者意識がない。
日々暮らしていて、そう思うことが多い。
例えば、昨今の森喜朗会長の女性蔑視発言。
ワイドショーでは連日コメンテーター達が口を揃えて猛批判。
SNSでも世界規模で大きな反響を呼び、抗議の嵐が起こった。
そしてついに辞任に追い込まれた。
彼への非難は今尚鳴り止まない。
勿論、彼を擁護するつもりは全く無い。
問題を有耶無耶にしてよいとも思わない。
発言に憤り、声を上げることが間違ったこととも思わない。
特に、「オリンピック憲章」という組織の理念とも言える価値基準がオリンピック委員会という組織のトップに浸透していなかったというのは、組織としてなかなか由々しき事態であるとも思う。
ただし、森喜朗氏をいつまでも寄って集って攻撃し、引きずり下ろして尚、執拗に叩き続ける風潮には強い違和感を感じる。
その非難は根本的に何も解決していない
一度口から出てしまった言葉はもう戻らない。
発言を撤回しようが、謝罪会見を開かせようが、辞任しようが、残念ながら根本的な解決にはならない。
当人のものの見方・考え方が変わらないと変わらない。
では、非難された人は考え方を改めるかといったら、逆効果だ。
「何でこんなに非難されなくてはいけないんだ」
そんな反発心を呼び起こすだけである。
(この現象については『人を動かす』で紹介されているので読んで欲しい)
だからきっと、森喜朗氏の考え方を変えることはできない。
では、どうすればよいのか
そもそもこの問題の本質は、誰か一人の考え方を変えることではないはずだ。
今回の発言など氷山の一角に過ぎない。
同じような考え方が、社会のあらゆる場面に残っていることが問題なのだ。
自分の胸に手を当てて考えて欲しい。
自分の身の回りの環境に、似たような風潮はないのか。
自分の過去の行動や考え方に、似たような部分はなかったのか。
何か思い当たる節があるのであれば、それは問題があるのか。
問題があると思ったならば、なぜ、どんなところに問題があるのか。
それをどう変えていきたいのか。
変えるために、明日から自分の行動はどう変わるのか。
自分の考え方はどう変わるのか。
これは女性蔑視発言に限った話ではない。
有名人の不祥事、インフルエンサーの炎上、スキャンダル。
世の中で大きく問題視される発言や行為は、誰か他人の問題か?
ニュースというのは、正義の名の下の魔女狩りの合図ではない。
問題提起の機会なのだ。
今回、氷山の一角の発言がきっかけで、これだけ多くの人達が、問題を認識し危機感を持つ機会となった。
ただし、共通敵を攻撃して満足しているようでは駄目だ。
一人ひとりが自分事として捉え、自分をどう変えていくのか考えなければ、いつまで経っても問題は解決しないのだ。
そのうち、第2、第3の森喜朗氏が出てきて同じように騒ぐだけだ。
テレビの中の他人の問題ではないのだ。
自分たちの問題なのだ。
そう考えれば他人事みたいに評論などしていられないはずだ。
変えられない誰かの考え方に苛立つ暇はない。
今からあなたはどう変わる?