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思い出のそばにはいつも駅メロがいたんだ
今、鉄道ファンのとある界隈を阿鼻叫喚させている事件が発生している。
今週、東京の多数のJR駅で、駅の発車メロディー(駅メロ)が次々に変更されている。
もしあなたが東京エリアのJR線を利用しているのであれば、「あれ?」と思っていたかもしれない。
本日、JR東日本のこれまでの発車メロディ文化の終わりの始まりを確信しました。
— マツケん (@matsu_k3) January 28, 2025
数十年に渡って築き上げられた各駅の音風景を破壊し、今後は(ご当地メロを除き)路線ごとに統一された新曲に塗り替えるという味気ないものになりそうです。ぎゃー😭
大好きな発車メロディのひとつでもある、原宿a・原宿bが変更されてしまったようで… 自分は未だに5年前の風景が原宿の印象だな。とても残念… pic.twitter.com/1unM965MVM
— ねこちゃん🐈 (@cat70_080) February 12, 2025
南武線発車メロディについての意見全てです。
— 爆弾ドア (@b_shu_zen) February 14, 2025
意見フォームにかけたのはこの中の一部でしかないですが・・・#南武線#発車メロディ pic.twitter.com/nuB7dROm5L
新しいメロディーの良し悪し、路線ごとのメロディー統一について(ワンマン運転開始を見据えているらしい)、ご当地メロディーの残存可否についてなど、論点はいくつか存在する。
ただ、これほど多くの人達が抵抗を感じているのは、僕らが思う以上に、駅メロというのは僕達の思い出とリンクしているからではないかと思うのだ。
今回は、失われてしまった駅メロのうち、特に僕の思い出と深くつながっているメロディーと思い出について語りたいと思う。
あなたにも、思い出とリンクする駅メロはあるだろうか。
ぜひ、読みながら考えてみてもらいたい。
(コメントで教えてもらえるととても嬉しい。)
駅メロとエピソード
昔の日常を思い出すメロディー
高校2年生のとき、僕は新宿にある塾に通っていた。
高校の授業が終わったあとに移動し、夕飯を食べてから夜まで授業を受けて、高校の友達と一緒に駅まで歩き、湘南新宿ラインで帰路につく。
湘南新宿ラインを待っている間に聞こえる、新宿駅ならではの駅メロの数々。大都会新宿の夜景とリンクする音楽があの頃の思い出を想起させて、新宿駅を使うたびに懐かしさを感じていた。
電車に乗った後も、渋谷、恵比寿、大崎…
それぞれの駅で特徴的な駅メロを聴く度に、思いを馳せていた。
今日も一日頑張ったなと思えるおかえりメロディー
横浜駅6番線東海道線下りホーム。
僕が東京方面から戻るときに降り立つホームである。
僕は、通勤にも東海道線を使っているため、平日の終わりには、この駅メロを毎日のように聴いていた。
いいことも、悪いことも色々あったし、疲れたけど、この曲を聴くと、
「ああ、戻ってきた」「ああ、今日も一日がんばったな」という気持ちになり、おかえりなさいと言われている気にもなり、安心したのである。
あ、この場所に来たんだ!と思わせてくれるメロディー
今でも残る幼少期の思い出には、強い感情が残っている。
僕にとっては、東京駅に降り立つときに最初に聴いたこのメロディー。
小さい頃から鉄道マニアだった僕にとって、東京駅は聖地であった。
特に、当時から住んでいた横浜では見ることのできない、東北・上越などの新幹線、山手線や中央線などの電車を楽しむことができる。
小さい頃から親や祖母を連れ回して電車を見に来ていた僕は、しばしば東京駅も訪れた。
そのときに迎えてくれるこのメロディーは、「あ、東京駅に来たんだ」という高揚感、ワクワクを与えてくれる音楽であった。
非日常の始まりは、特別なメロディーで
夢の国と言われる、東京ディズニーリゾート。
そこに向かう道中は、胸が高鳴るものである。
東京駅から向かうとき、京葉線に乗り換えるときに、その特別感は特に増長される。遠い乗り換え。動く歩道。荘厳なホーム。そして、この駅メロ。
他の路線とちょっと違うテイストであること、限られた場所でしか聴けないことが、非日常感と相まって、心に残る。
幼少期、初めてディズニーに行った日、初めて京葉線に乗った日。
非日常感のある空間で聴いた、この厳かで美しいメロディー、そして、「ドアが閉まりますから、ご注意ください」という独特なアナウンスは、今でも印象に残っている。
あなたもディズニーに向かうときなどに、この曲、聴き覚えはないだろうか。
総括
諸行無常、盛者必衰
僕達もまた、変化を恐れているだけなのかもしれない。
もちろん、新しい駅メロの良し悪し、路線ごとに曲を統一することの是非、ご当地メロディーを廃止することの是非などの議論はあるだろう。
だが、この世の中は諸行無常。
電車も駅も景色も、私達の生活も、少しずつ変わっていくものである。
駅メロと紐づいていた思い出も、日常も、みんな過去のものである。
新しい駅メロも、直に私達の日常に馴染み、思い出とリンクしていくようになるのだろう。
淋しいように思えるけれど、この世の真理なのかもしれない。
せめて記録に残る時代で良かった
ただ、せめてもの救いだと思うことがある。
それは、今は動画が普及しきった時代であるということだ。
駅でそのメロディーがもう聴けなくなってしまっても、Youtubeを開けば沢山の動画が出ており、再び思い出とともにそのメロディーを懐かしむことができるだろう。
まだ、動画撮影や動画メディアが普及していなかった時代に失われた駅メロや車両、駅などの映像は、今検索しても、限られた数しか出てこなかったりする。
思い出を記録しておける現代に生まれた私達は、幸せなのかもしれない。
駅メロというのは、多種多様、様々な人の様々な思い出と結びついて続いてきた、一つの文化だと思う。
だからこそ、ふとした時に、Youtubeなどで駅メロを聴いてみてもらえたらと思う。
いったいどんな思い出が、蘇ってくるだろうか?