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ゴシップに喰われる

2025年が始まって早1ヶ月超。
今年の日本は、とあるセンセーショナルな話題に湧いている。

当事者間で何があったのか、週刊誌が報じた内容は本当なのか、テレビ局が関与しているのか否か、テレビ局は事件を知っていたのに適切に対処していたのかといった話が世間の注目を浴び、話はどんどん大きくなっていった。

連日ワイドショーで報じられ、当事者のタレントは引退、テレビ局は説明や対処の姿勢について批判を浴びスポンサーの撤退を余儀なくされた。連日流れ続けるACのCMや、約半日にわたる記者会見生放送は世間の話題となった。

テレビでもそれだけ話題になったが、SNSではもっとである。
XやYoutubeなどでは、様々な発信者がこの問題について意見し、議論し、非常に多くの人々がこれに注目した。

僕は、今回この問題について論じるつもりはない。
論じたいのは、このようなスキャンダルや、ゴシップ等に対する僕達の付き合い方についてである。


SNSは周到にそれを薦めてくる

XやYoutubeなどのSNSは、利用者により長くSNSを見続けさせるために、より興味を持ちやすい投稿が目に付くようにするレコメンド機能を持っている。

ゴシップについて一度投稿を開いてしまったら最後、どんどん関連動画が画面を蝕んでいく。

現に、僕のXのタイムラインとYoutubeのオススメは、今回の一件に関連する動画で瞬く間に埋め尽くされた。

そうすると、気になってしまうし、さらに情報を取りに行きたくなってしまう。
そうすれば、さらに関連情報が表示されるようになり、あとはその無限ループだ。


まるで漫画やドラマのように動向を追ってしまう

被害者の方がいて、苦しい思いをされた事実があるのだから、それを面白がったり、一種のコンテンツとして消費することが不謹慎であるのは自明である。

ただ、実態としてはどうだろうか。

テレビ局は次どんな動きをするのか、今度はどんな暴露情報が明るみになるのだろうかと思いながら、次の情報を飛びつくように追ってしまっていなかっただろうか。

連載中の漫画や放映中のドラマの続きが気になるのと同じように動向を追ってしまったり、考察動画を見るかのごとく解説動画を見たりしてしまっていないだろうか。

この1ヶ月、この問題に無関心を貫けた人は一体どれくらいいただろうか。


世は可処分時間争奪戦

この令和の世の中は、可処分時間の争奪戦だ。
XやYoutubeをはじめ、Instagram、TiktokなどのSNS、Netflixなどの動画サービスなどは、私達の時間を容赦なく狙いに来る。

ゴシップだけではなく、様々なキャンペーンやイベント、出来事や発表なども含め、様々な情報が日々私達の目に触れ、関心を誘う。

それは、何も悪い意味だけでなく、魅力的なコンテンツや話題も含めてである。(僕自身も、1月は、No No Girlsドクターイエローに可処分時間を思いっきり持っていかれたと思う。)

だが、時間は有限、人生は有限であることを忘れてはならない。

そうこうしている間にも一日が過ぎ、一月が過ぎ、歳をとっていく。

スキャンダルやゴシップを追っても、自分の人生が好転することはない。
その時間は「消費」、いや、「浪費」である。

スキャンダルやゴシップを追うのに使う時間があるならば、自分の人生を前に進めることに、豊かにすることに時間を使うべきである。
消費するにしても、せめて自分の好きなコンテンツや話題に使うべきである。

今回の問題についての動画を見るのに、呟きを見るのに、使ってしまった時間が合計何時間あったか振り返ってみるだけで我ながらぞっとする。


自分の人生を取り戻す

今回の一件を通して、私達一人ひとりが自分の行動や考え方を省みるきっかけにすることは、必要だと思う。

でも、情報収集としては、もう十分ではないか。

僕が、あなたがどれだけ関連動画を見ようと、どれだけお気持ち表明しようと、この先に起こることは変わらないのだ。

でも、そうはいえども目に入るとどうしても気になってしまうから、僕は物理的に遠ざけることにした。

僕は、当該事件に関わるワードをXのミュートワードに設定した。
Youtubeでも、関連動画は「興味なし」で報告することに決めた。

これからはもっと、自分の人生に集中する。



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