バイクはファッションなんかじゃない
最近、単車に跨るたび
”奇跡”という言葉を実感することが多い
それは風の音色に、平和な風景に
自身の生命の鼓動そのものに
愛車と共に疾駆しているという、この現実に
そして、それらすべてに
素直に感動できる自分がいる
この歳になると、様々な物事に
真摯に向き合えるということか。
しかしそれは、あくまで
単車がおのずと持ち合わせている、
“危険性”に裏付けられたものだ
同年代の仲間たちが些細なことでつまずいていく中、
残され生かされている自身に、
使命のようなものを感じずにはいられない。
日々、感謝を忘れず過ごし
たまたま縁あって巡り合った“単車”という存在に、
命果てるまで真正面から
ぶつかってやろうと、ひそかに誓う
夜明け前の国道
信号待ちの対向車線に、懐かしいバイクを見つけた
そういえば、近頃
にわかバイカーや、リターンライダー達が急増している
単車に興味を持つ若者たちも増えているらしい
それ自体は悪いことじゃない
ブームにあやかりたいのか、ネット上では
路面の非情さを知る由もない女子が、
“あられもない格好”で洗車をしている
無論、嫌いな訳などないし否定するつもりも、無い
ただ誠に失礼ながら、あえて親しみを込めて伝えよう
「目障りだ。」
わきまえろ、何の真似事だ
“真摯に向き合う気も無い”単車を、
自身のアピールのために利用する、
そのことに疑問を覚えないか、違和感は無いか、
愛車の扱いは個人の自由だろう、好きにすればいい
しかし無礼を承知で、ひとこと言わせてもらうなら
その扱いは、まるでファッション感覚だ
お気に入りの服や、自身を引き立ててくれるバックなどと、
所詮、単車は同等なのだろう。
“高くつく”勘違いだ。
服の着こなしを誤ったからといって、
この身を危険に晒すことがあるか?
靴の手入れを怠って、命を棒に振るか?
自身の都合で、見ず知らずの他人を勘違いさせるな
リスクを華やかさで覆い隠すな
誰が何と言おうと、
単車という不完全で物騒な存在を、
ファッションなどと同じ、“無難なくくり”にしてはならない
単車とは、リスクの上にこそ成り立つ、
いわば覚悟の上の“生きざま”だ
大袈裟な奴だと嘲笑えばいい
確かに、走ることだけが全てじゃないさ
平和が画になるシーンもきっとあるだろう
だが、単車の立ち位置は、あくまでアクティブ側だ
扱いを誤れば己の身をも亡ぼす、
矛盾(ほこたて)の矛(ほこ)であり、鋭利な武器だ
決して、“自身を飾り立てる”アイテムじゃない
あるいは、ペットを愛(まな)でる“飼い主”と同じ心境か?
“猛獣使い”の間違いだろう
無知なまま無防備に近づき
やがて、取り返しのつかない後悔を味わうようなことは
無いほうが良いに決まっている
安易な誘いや、
リスクを誤魔化した身勝手な自己アピールは
ただの無責任な所業に思えて仕方がない
近寄りがたい風貌、形容できない威圧
跨ってなお、まとわり続ける緊張感
単車なんて存在は、それくらいで丁度いい
結局、不出来で扱いきれない怪物なのさ
単車ってやつも、
そして頑なに跨り続けている、単車乗り自身も。
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