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茨城百景 観音馬場

今回は包含風景一つの景。

茨城百景については→『結局茨城百景とは何なのか

県報版茨城百景一覧表(1950年)

ちなみに1966年版の一覧表でも全く同じで追加の包含風景や景の名前の修正も無し。
そしてこの景は行方市小幡にある如意輪山普門院観音寺の事です。

こ↑こ↓

そんな事よりですね~・・・
ハイ先生!ワタシ景と包含風景の命名がおかしいと思いますっ!
というのもまず馬場とは(ネットリ)
馬場とはつまり乗馬を行う場所の事ですがこの観音馬場というのは包含風景である観音寺の門前(仁王門前)にかつて存在した250mの馬場の事なんですね。

景と包含風景が逆だろうが!

まぁ景の名前と包含風景は重複したりとかガバガバなのが多いんで今更ですね。

そんで今回も茨城百景2大資料(勝手に呼んでる)こと『茨城百景めぐり』と『茨城百景巡礼』を参照すると寺社仏閣に関しては詳しく書く傾向にある茨城百景めぐりはこの景の項においては珍しく控えめ。

茨城百景めぐり 著:鈴木彰 (1956) より

いつもは一つの景に2ページという制約がある茨城百景巡礼のほうがどうしても情報量が少ない傾向にありますがこの景に関してはこちらの方が詳しく書いてありました。

茨城百景巡礼 著:室伏勇 (1980) より

つまり
・馬場の桜並木。
・昭和20年頃までその桜の季節に寺の行事として行われていた草競馬。
・巨大な三本松。
・包含風景たる観音寺。
の4つが本来想定されていたこの景の見所みたいです。
上3つは観音寺に含まれるモノなんだから本来なら景の名前を観音寺にしてその他を包含風景するべきだろ(ネチネチ)

そしてこの観音寺自体もいくつか見所があり
・仁王門(行方市指定有形文化財)
・収蔵庫(茨城県指定重要文化財)
・スダジイの巨木(行方市指定天然記念物)
・山越阿弥陀図(行方市指定有形文化財)

等の文化財があり、更には寺の敷地自体も小幡城という城の跡であり、境内のそこかしこに土塁跡の跡などが残っている史跡のようです。(厳密に言うと寺の北側にある廃校になった小学校跡まで城の敷地だった)
小幡城に関して詳しく知りたい人は専門家のサイトを参照されたし。

現地編

まぁいつもの如く季節性を無視して真冬に来ています。人混みが嫌なんで嫌なんですけど(小泉進次郎)その内春か秋に再訪して写真撮りたいですね多分気が向いたら。

石碑

そして石碑の近くには

エッ・・・
今まで巡った所の名物松は全部なくなってるんですが茨城百景に含まれる名物松系は一本たりとも残ってないんでしょうか。
つまり今でも残っているのは桜並木と観音寺だけってことか・・・見所のうち2つは無くなっていて真冬に来て最後に残る桜並木(若しくは秋の紅葉)すら見れない俺がバカみたいじゃねーか(バカ)
ともかく石碑の場所が昔と変わっていなければ石碑は巨大な三本松の足元にある形だったわけですね。

そして肝心の馬場跡

石碑のあたりから撮った写真ですが恐らく茨城百景巡礼に掲載されている写真もここから撮ったのかな?

茨城百景巡礼の写真

経緯を知らない人からしたら歩道がやたらと広い変な道に見えるだろうなぁ。というか現地に来てみると桜並木も若干怪しい感じになってそうです。実際ストビューで4月頃の様子を見てみると察する物が。。。

そして仁王門です。

仁王がいません!あとネット上にある他の人が撮った過去の写真と比べてボロくなっています。改修前に一旦外に出したとか・・・?
そして見所である文化財には親切に能書きの看板が置かれていて目印になっています。助かる~

仁王門の能書き

この門をくぐると観音堂と収納庫です。

左手が収納庫、右手が観音堂

境内は樹叢に囲まれ~と書いた室伏センセが訪れた時代とここは変わりないようです。
観音堂周辺の林にはそこかしこに土塁の跡が見受けられます。

で、観音堂と収納庫の間にある道を抜けて更に北に進むと観音寺の本堂です。

左から本堂、スダジイの巨木、鐘楼

鐘楼は元土塁の上に建てられているとかなんとか。

そう言われるとなんか櫓に見えてきた

鐘楼やスダジイの巨木の横を抜け本堂の右側(東側)に行くと能書きが書かれた石碑があります。

・・・もしかして三本松がこの景の主題だった?
そういえば下調べの段階でこの一帯では高須崎の一本松と並ぶ2大松だったみたいな情報があったな・・・しかも石碑は松の足元にあったみたいだし。

そして寺の裏に抜けると小学校跡です。ここもまた小幡城の敷地だった。

茨城百景 観音馬場 ~完~

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