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茨城百景 水郷麻生

茨城百景については→『結局茨城百景とは何なのか
これも水郷シリーズです。1億回くらい擦り倒した↓の動画の9:34~9:57&11:40~12:01に出てくるのが麻生です。

この水郷という記録映画で言及されていますがかつて茨城の霞ヶ浦や利根川周辺は各地に名所がありレジャースポットとして栄え水郷と呼ばれていました。大正頃からモータリゼーション前までが全盛期で京浜圏の人達が泊りがけで行くような場所だったようです。しかしインフラの整備と自家用車の普及、所得向上が進み大勢の人が安価に更に遠くに行けるようになった事、そして1960年代末頃からの水質の悪化でトドメを刺されこれら茨城の水郷エリアは衰退してしまいました。この麻生はその典型的な場所でした。

地理的には霞ヶ浦東岸、茨城県行方市にあり水郷牛堀のすぐ北側に位置しています。

そして今回の包含風景を含めた全スポットはこれ

県報版茨城百景一覧表(1950年)

①天王崎
ここ実は前からドライブで何度か来てたので知ってました。なので下調べはあんまりいらなかった。

天王崎公園①
天王崎公園②
天王崎公園③

水郷麻生のメインとも言える場所。かつては水郷エリアに数ある湖水浴場の中では定番の一つだったようです。ちなみに↑の映画水郷には11:40~12:01に出てきます。
この天王崎には八坂神社という神社があり、かつては境内のすぐ横に砂浜が広がっており、そこが湖水浴場になっていたようです。
またかつてはこの神社の南東側にある麻生港に湖水浴客を運ぶ観光汽船が乗り付け、神社のすぐ近くには国民宿舎白帆荘が整備され・・・という感じだったらしい。

黄色枠内が八坂神社。白帆の湯(銭湯)がある場所にはかつて国民宿舎白帆荘があった。
『茨城百景巡礼』著:室伏勇 より70年代頃の地図

かつて見られた境内を囲う松林のすぐ横に砂浜が広がっている景観は残念ながら堤防が出来た事によって視界が塞がれ失われています。

神社の境内。階段のある盛り上がってる部分が堤防。
1965年頃(引用元)

ちなみに今ある砂浜は堤防の先にもう一度人工的に作り直した物。他の霞ヶ浦の湖水浴場の浜も同じですが霞ヶ浦をグルっと一周する堤防を作る時に本来の砂浜は消滅。

砂浜
砂浜②
砂浜③
『茨城百景巡礼』著:室伏勇 より70年代頃の天王崎砂浜

現在は湖水浴場のあった場所の北側に天王崎公園が整備されるなどしていますがかつてと比べるとひっそりとしたもの。
ちなみにこの境内で行われる馬出し祭りというお祭りもここの見所で↑の映画『水郷』でも9:34~9:57に登場。

②霞ヶ岡
これ調べても某先人の方の記事しか出てこず。麻生城跡の事だそうですが裏付けの資料とかも無しに急に書いてるので?と思ったのですがこの方は茨城百景めぐりを所有している人なのでそれかなと思い自分も見てみる。

あぁやっぱそうだ。根拠も何もなかった理由がわかりました。茨城百景めぐり自体にもなぜこの名称で呼ばれているかの説明はありませんでした。なるほどね。
城の事はこの記事の解説が一番わかりやすかったです。
端的に言えば麻生城のあった場所はかつての香取海に突き出る半島部分の先端で戦略的に重要な場所だった。

引用元

現在、城跡は羽黒山公園として整備されている模様。位置的には天王崎から程近くにあり、選定当時だと国民宿舎からの一本道で城跡がある丘まで行けたという感じ。

昔の写真(引用元)

まー天王崎から徒歩でちょっと行った所にある見晴台的な感じだったのかな?

③養神台
ググったら上の2つから約3キロ南に養神台公園というのを発見。ここも見晴台なわけですがここも調べてみると結構な歴史がありました。
まず麻生という地名の由来は「常陸風土記」によれば麻が群生していた所から麻生の里と呼ばれていた事。その昔「麻生の里」の南に「香澄の里」があり浮島編でも登場した景行天皇が「印波(印旛)の鳥見の丘からはるか東の方を眺められたとき海(香取海)には青波がただよい、陸には霞がたなびいている・・・」と言われたので霞の里(香澄の里)と呼んだといわれている。
で、その香澄の里というのがこの養神台のあるあたりらしい。

とまぁ能書きはほどほどにして・・・そんな事より問題があります。
Googleマップ見ても駐車場まで完備されている↑の羽黒山公園と違って全くアクセスの手段がわからないんだが?

航空写真見ても周辺のストビュー見ても公園本当にあんのかって趣だけど大丈夫かこれ・・・
国土地理院の地図で確認すると一応山道がある模様。

うーんこれでも状況が謎だなぁ。とりあえずぶっつけ本番だ!

現地編

①天王崎
まずは石碑ノルマ。石碑は八坂神社の境内にあります。隣に茨城百景(1950)より昔の茨城四十五景(1935)の石碑も。

かつての景色と今は・・・

1960年代(引用元)
現在

かなり原型が残っています。しかし現地に行くと境内は案外狭く凄まじい密集具合だったんだろうなと実感できます。

湖畔にある神社だというのがなんとか感じられるように撮った写真

そして現地に来ると気になるのは天王崎公園と八坂神社の間にあるこの謎の建物。

トイレだけ使えて塔への入口は閉鎖されてます。最初来た時なんじゃこりゃと思って調べたのですが1992年に出来たが2013年に閉鎖、そのまま閉鎖され続け現在に至るらしい。時期的にバブルの勢いで作ったけど不良債権になったハコモノでしょうか?
ちなみにたまたま記録に残した人がいたようでYoutubeに登った動画があります(謎情報)

公園と八坂神社の間にはこの便所タワーだけでなく国民宿舎白帆荘の後継たるスーパー銭湯、白帆の湯もあります。

国民宿舎白帆荘は茨城百景選定の2年後である1957年に出来、2007年に閉鎖。その後、跡地にはこれ↑が。
この建物には銭湯だけでなくお土産を売っている観光交流センターや屋上展望台があります。
ちなみにこの屋上展望台は露天風呂?なのか展望台の右前方の外の部分に裸のオッサン達が乗り出して景色を眺め始め絶景が台無しになります。

②霞ヶ岡
霞ヶ岡にある羽黒山公園には駐車場が整備されているので車で乗り付け出来ます。しかし公園までに至る道は狭くこの先は通り抜け不可なんじゃないか?と疑ってしまいそうな生活道路でちょっと不安になりました。

天王崎方面①
天王崎方面②
牛堀方面
おまけ。公園の砂場。お察しください。

③養神台
事前の下調べでもイマイチどこから公園に入るか、それどころか駐車もどうしたらいいかわかりませんでしたが丘の麓に私有地なんだか駐車スペースなんだかよくわからないスペースがありました。まぁ過去のストビューを見ると大体察する所はありますが訪問する際は常識の範囲で。

黄色〇の所

とりあえず下調べで見た国土地理院の地図に載ってた道を探すと

おっありました。つまりまとめるとこんな感じ

×のついている方向は民家の庭先に出てしまうので通り抜け不可。

で、この山道を登っていきますがこのかつて整備されたであろう階段はほぼ自然に還りかけています。
そして展望台へ

ハァ~(クソデカため息)

いやでも諦めない。隙間から辛うじて見ます。

ちなみにGoogleマップのレビューを見ると過去の草木がまだ無い頃の眺望を見れます(投げやり)
つい数年前までは草木無しの眺望だったようなので馬掛不動尊のパターンと同じ。数年遅かった・・・!
ただ真冬の草木がハゲてる時期に行けばかなりマシかもしれません。ここも冬に再訪してみようかな?

茨城百景 水郷麻生 ~完~

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