茨城百景 高須崎の一本松
茨城百景については→『結局茨城百景とは何なのか』
ここは歩崎の眺望の巡礼のついでに「お、霞ヶ浦大橋渡ったらすぐじゃーん」というノリで行ったので全く下調べせずに行っています。
現地
なんか3本あるよ!?
しかも思ったより小さいな・・・ん?何か看板がある。
し、死んでる・・・
かつての雄姿
かつてかつての雄姿
あまりの衝撃に石碑の事を一瞬忘れてましたが発見。
看板とは逆の方向に正面が向いており、航空写真を見ると選定当時(1950年)は松の目の前は砂浜だったっぽいので当時は石碑から松を見ると松+霞ヶ浦の絶景だったんでしょうなァ~
ていうか後ろの木めちゃくちゃ立派じゃないですか。あちらの方が霞ヶ浦に近いし本当に水をガブガブと飲んで・・・
机上調査編
家に帰ってから更に深堀して調べてみました。
まず初代の松はかつて、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮のイチョウと並び、関東二大名木と呼ばれたシロモノらしい。水戸のお偉いさん達の覚えもめでたく中々歴史的な価値のあるモノだったみたい。
そして看板に書いてないその後の歴史があるみたいで、それが一本松が三本松になった経緯と共に判明。
まず現地の看板は2代目までしか言及がありませんがこの2代目は既に枯れており2016年に3代目を投入。しかしこの3代目も病気を発症し、次の年2017年に4代目を投入。この4代目は今までの反省を生かし1本では枯れてしまう可能性があるという事でヘッジとして3兄弟化。そして今に至る・・・との事。
詳しく書くと
1950年に茨城百景に選定
↓
1952年、県の天然記念物に指定
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1976年に松食虫に被害を受けて初代が枯渇
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1980年に初代が県の文化財の指定を解除
↓
幸い初代の実生が残っていたので地元の有志が育てそれを1983年、2代目として植樹する。
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しかし2代目が枯れ、2016年に3代目投入。
↓
すぐに3代目も枯れ、翌年2017年には4代目を投入。この時に3本松になる。
というか資料『茨城百景巡礼』のこの景のページを見ると既に枯れていると書いてあるのでずっと謎だった茨城百景巡礼の著者が百景巡りしていた時期が1976年~80年だという事が何気に判明しました。1980年出版なので70年代のどこかとは思ってたんですが木が時計代わりになって判明するとはw
ちなみに↑の経緯はこの記事を参照してを書いたのですがこの記事の一番下に・・・
どうして神様はこんな仕打ちを・・・しかも上記の記事、2015年の物で『聲』出ました。完全にフラグ発言ですね
しかし3代目も4代目も初代の遺伝子をしっかりと継いでいるらしく(要約すると地元の有志が初代の松ぼっくりから松を育て初代と似た形の物を植樹している)今後の成長が楽しみです。
もしかしたらですが900年後にこの松の所で「高須崎の一本松」の石碑を見つけた人が見るのは3本の巨大な松で、それ不思議に思う・・・なんて事があるかもしれません笑
茨城百景 高須崎の一本松 ~完~
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