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茨城百景 無量寿寺

オッス。今回はここ無量寿寺。

茨城百景については→『結局茨城百景とは何なのか

いきなり無量寿寺とか言われてもどこの無量寿寺なのか分からんので下調べの初手はとりあえず百景巡りの先人パイセン達の記事でも見てみるか~

引用元:はしごエンジン
引用元:はしごエンジン

しょしょしょ焼失ゥゥ!?
なんか俺の巡礼する数年前に消滅している景が多すぎないか・・・

気を取り直してこのお寺の情報です。
正式な寺号は光明山無碍光院無量寿寺で浄土真宗本願寺派のお寺。鉾田市鳥栖に所在しています。同じ鉾田市内の下富田にも別の無量寿寺がありますがこちらは百景ではありません。ちなみに無量寿は阿弥陀如来の事で阿弥陀仏の寿命が無量であるところから来ています。

元々は806年に平城天皇の勅願所として建立されその後、親鸞(1173-1262)という浄土真宗の宗祖である高僧が1221年から3年間この寺に住み阿弥陀仏を自ら刻んで本尊として浄土真宗の教えを広めたという歴史があるお寺。

歴史のあるお寺ですが一番の見所はその歴史と関連する文化財の数々のようでその一覧がコレ。

・国指定重要文化財(国寶)
      絹本着色拾遺古徳伝絵
        絵 土佐光信
        筆 本願寺覚如上人
・県指定重要文化財(建造物)
      無量寿寺本堂
      無量寿寺大門
      無量寿寺鐘楼
・有形文化財御文章
      本願寺実如上人筆
・天然記念物菩提樹
      親鸞聖人御手植
・町指定文化財
      無量寿寺樹叢
      女人成佛経石塚
      他、法宝物傅

そして数年前に火事で焼失してしまったのはその中の一つである本堂というわけです。

在りし日の本堂

不幸中の幸いで他の文化財はほぼ無事だったようで現在は県外から宮大工を呼び寄せて本堂を再建中らしい。
で、これらの文化財の中でも特にこのお寺の歴史と関連するのが幽霊済度の伝説の遺蹟です。その幽霊済度の伝説とはなんぞやというと

無量寿寺は大同元(806)年、三論宗の寺として創建。当初は「無量寺」と号し、その後、禅宗寺院になったといわれる。
伝承では、親鸞聖人が常陸在住の頃、当地地頭の村田刑部少輔平高時の妻が難産で亡くなりこの寺に葬られたという。ところがその妻が、我が子愛おしさのあまり幽霊となって現れたため、住僧は逃げ去り寺は無住となったという。順信とともにここを訪れた親鸞聖人は、困りはてた村人たちに小石を集めさせ、小石に三部経の文字を一文字ずつ書いて妻の塚に埋め、幽霊を済度したと伝えられる。
聖人はここで三年逗留され、後を順信に託したという。このときから無量寺は無量寿寺と改号し真宗寺院となったといわれる。

https://www.shin.gr.jp/shinran/24/t_004.html

つまりここ無量寿寺の重要な歴史そのものを物語る伝説です。
そしてこの伝説の遺蹟というのが幽霊の墓である女人成仏経石塚、その傍らに植えた菩薩樹、そして幽霊図。3つ目の幽霊の絵は残念ながら例の火事で焼失してしまったようです。しかしこの幽霊図は昔なかなか有名だったらしく絵葉書に残っています。

こんな不気味な葉書、需要あったんでしょうか?

というか段々感づいてきたんですが包含風景の無い景は楽ではなくてむしろ自分で文脈を読み解いてどこが見所か調べないといけない、つまり自分で包含風景を見つけないといけないようなものなのでこれはこれで面倒ですね。

現地編

石碑は正門?の左側にあります。ちなみに寺が建つ丘の上側に舗装された駐車場があるので(しかも墓地のすぐ近くで利便性〇)自分のような百景の石碑をわざわざ見に来た変わり者以外は主にそっち側からアクセスするんだろうなぁとか思いました。

例の如く歴史ある寺社仏閣あるあるで凄まじい勾配の階段。ただし左側に緩やかな勾配のスロープが作られていて大変助かりますた。

そして境内へ

大門(山門)
鐘楼
本堂

藁葺き屋根は再現するんだろうか・・・
そして幽霊関連の史跡は墓地にあります。墓地の前にはお参りしてから墓地に入ってね!と看板がありますが本堂が物理的にアレなのでまぁいいか・・・

菩薩樹

この菩薩樹の裏に例の墓があります。

女人成佛経石塚

基本的に他人の墓の写真は撮らないタチなのですが(自分がやられたら嫌なので)そもそも茨城百景を全て網羅し体系的に記録を残す事が目的でこの女人の墓は前途の通り茨城百景 無量寿寺の中核とも言えるモノなので信念を曲げて撮りました。ゴメンネ。まぁこの女幽霊サンは伝説によると菩薩になったらしいので大丈夫か!・・・・・大丈夫だよね?

茨城百景 無量寿寺 ~完~

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