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茨城百景 利根河口

ここは百景の一覧表の中でも異彩を放っていたので前から少し気になっていた景です。

茨城百景については→『結局茨城百景とは何なのか

包含風景も無く景の名前は利根河口と大雑把。ナンヤコレイッタイ….
ちなみに石碑も調べた限りでは存在していないようです。全く文脈が分からないのでとりあえずいつもの資料、茨城百景めぐり茨城百景巡礼を参照します。

茨城百景めぐり 著:鈴木彰 (1956年) より
茨城百景巡礼 著:室伏勇 (1980年) より
茨城百景巡礼 著:室伏勇 (1980年) より

ふむふむ巨大な利根川の河口はもちろんの事、ずらっと河畔に並ぶ漁船や波崎の砂丘が見所って事かな?
ちなみに室伏センセが言及している銚子大橋や砂丘荘は選定当時にはなかったので茨城百景めぐりでは言及されていません(初代銚子大橋は1960年完成、砂丘荘は1969年完成)

次に昔の地図や航空写真を参照してたんですがどーやら河畔の景色も昔は大分違かったようでちょっとこの景の文脈が見えてきました。
特に注目すべき点が波崎の南端。元々この波崎の南端には砂丘があり、戦後すぐに河口の護岸工事をして砂丘は砂溜まり的なモノになり巨大化。その後の1991年にその砂丘だった場所には波崎新港が出来て現在に至るという変遷があります。

1947年頃の航空写真
1963年
1978年
現在

なんなら今も残る砂浜自体も防砂林と市街地の拡大で少し幅狭になってますね。
ともかく昔は巨大な砂丘の先に巨大な利根の河口、そして対岸の銚子の街を望む景色が広がっていた筈です。
結局茨城百景とは何なのかでも言及していますが茨城百景は大正頃の行楽地や景勝地を選定している節があるので護岸工事をする前の自然な砂丘から見た河口の景色が本来のソレなんじゃないかと思います。つまり両センセですらこの砂丘の本来の姿は見れてないんじゃないかな(鈴木センセはギリギリ見れてるかも)
年代ごとの航空写真を見ていると護岸工事をしたのは丁度百景選定当時(1950年)とほぼ同時期だったらしくもしかして石碑も本来はそのあたりにあってその後、波崎新港を作る時に撤去してそのまま行方知らずとかいうパターンじゃないか・・・?
前途の通り現在、この砂丘は失われてしまいましたが波崎漁港の北側にある波崎海水浴場には新たな砂溜まりが出来ていて同じくらいの面積の砂浜になっています。あれ・・・ここ鹿島砂丘と神之池編で一度行ったところですやん・・・・

波崎海水浴場①
波崎海水浴場②
波崎海水浴場③

写真再放送使い回し笑
河口は見えませんが砂丘自体はこんなんだったんだろうなーと思います。

そしてどちらの資料でも言及されている河岸にずらっと並ぶ漁船群ですがこれは現在でも見れるようなので巡礼リストに追加。この船溜まりは波崎新港が出来る前からあるらしくやはりこの景の見所なんだろう。
それに関連してこの地域の昔の絵葉書には河口付近とそこを行き来する船という構図のモノがあるので(大新旅館という所から利根川を撮った絵葉書を複数枚確認)こういった河口付近の景色は昔から『利根河口』の代表的な風景だったんでしょう。

まぁこの絵葉書は千葉(銚子)側からの景色ですが笑

また室伏センセが言及している砂丘荘ですが厳密には選定当時にはなかったわけですが調べてて興味を持ったので跡地を巡礼リストに追加。
この国民宿舎砂丘荘は1969年に町営施設として開業、1991年に閉業。その後は放置状態で廃墟になり2008年に解体。跡地は再開発で豊ヶ浜運動公園になったようです。ここは非常に情報が少ないんですが調べてて分かったのは室伏センセの言う通り客室から見れる砂丘と海の景観が見所だったらしい。実際砂丘荘ができたのは護岸工事がされて砂丘が巨大化した後なのでそりゃすごかったろうなぁ。そして波崎新港が完成したのは1986年だそうなので景色が失われて数年で閉業という感じだったのかな・・・

1978年

こんな感じで鹿島灘~南端の砂丘~河口まで見晴らせる施設だったというのが航空写真から分かります。
さらによーく見ると砂丘荘の周辺にある防砂林に遊歩道のようなものが見えます。砂丘荘の庭園というか公園みたいな感じだったんでしょうか。

1970年代。中央の建物が砂丘荘。

そしてもう一つ気になるのが砂丘荘跡地と砂浜の間にある謎の建物で航空写真を見ると80年代頃に出来たようですが別館か何かでしょうか?

ネット情報だと砂丘荘の事に関してはこれくらいが限界でこれ以上は町史などを参照しないといけないと思いますが本来茨城百景とあまり関係ないのでそこまではしない。

本来なら包含風景に波崎砂丘と船だまりを追加しといて欲しいわホンマ。
とりあえず船溜まり、砂丘跡、砂丘荘跡地を見に行く事に。

現地編

オザース

2代目銚子大橋です。室伏センセの撮った橋は初代で現在の2代目は2013年に完成したモノです。運転中だったし真ん中まで歩いていくのが面倒なので写真撮ってないですがこの橋の上から見た利根河口が一番絶景だったかもしれない。歩道は河口側にあったのでそういう事なのか!?(何が?)
写真を撮っているのは茨城側でそちら側には河畔プロムナードという船着き場沿いに作られた遊歩道や色々な公園が整備されています。

河畔プロムナード
河畔プロムナード②

もうちょい南進し波崎かもめ公園へ移動。

公園にいた猫

公園中央には漁船を模した遊具?オブジェ?がありそこから河口と土木工事で陸地から切り離された元砂丘の一部を見てみる。

切り離された元砂丘
河口方向

ちなみに切り離された元砂丘の一部は立ち入り禁止ですが・・・

ムム・・・こ、これはw

やっぱりなw侵入した釣人(つりんちゅ)がチャリ漕いでました。
ちなみにこれと前後して周囲の公園を片っ端から見に行って一応茨城百景の石碑があるか確認しましたがありませんでした(各公園には地元を題材にした歌の石碑があり非常に紛らわしい)が、あの元砂丘島に百景の石碑が取り残されていたりして・・・・多分・・・・

次は砂丘荘跡へ。

広場になってます。
元防砂林の遊歩道?のような場所には申し訳程度の松が。しかし航空写真だと当時砂丘荘の南にあった防砂林はもっと緑が生い茂っていたので見た目は別物でしょう。

しかしやっぱり気になるのはアノ建物。砂丘荘の別館なのかよくわからんヤツ。下調べの時点では何も情報が出てこないしストビューでも近くで見れないので気になってました。

トコトコ・・・

うお。やっぱり廃墟だ。公園側は草木が倒れておらず誰かが立ち入った形跡はありませんでしたが波崎海水浴場側の茂みには獣道というか草木が分けられた道が出来ていました。自分が書けるのはここまででスゥゥゥゥゥ

ま、こんな所ですかなとりあえずは。
防波堤や地形の関係で鈴木センセや室伏センセの時代のように波崎の南端の一角に立って巨大な河口、太平洋、巨大な砂丘から続く鹿島灘、対岸の銚子を一望に収めるというのは不可能になってしまったのが残念です。なので気が向いたら昔の波崎砂丘の写真を探してみたい所。

※追記:選定当時の利根河口の姿を記録した映像を発見。

↑この動画の0:24から始まる無人灯台落成式の部分ですね。
このチャンネルは前から知ってて他の景でもこのチャンネルがアップしている県の記録映画を引用していますが灯台下暗しだったなぁ。

該当シーンのキャプチャ

この映像が撮影された高台はまだ存在するんだろうかと思いGoogleマップを見てそれっぽい場所を探してみるとあっさり波崎灯台跡公園という所を発見。公園がある場所は小山になっていて、灯台跡には展望台があるようです。

ここまで来るとある疑惑が思い浮かびます。
それはこの景を推薦した人達が言いたい利根河口の景とはここからの眺望なのでは?という疑惑・・・
というのもこの小山には稲荷大明神と庚申塚がありますし灯台が建設されるような高台だったので当然昔から地元の人達にはここの眺望は知られていたと考えるのが自然です。
石碑の場所も↑である事無い事言ってますがもしかしてここにあったんじゃないか?(そもそも最初から設置しなかった説もあるが・・・)

あと灯台が廃止されたのは1997年だそうなので茨城百景巡礼にここの記載がないという事は室伏センセはもしかしてここに辿りつけなかったんだな~?
つまり室伏センセが巡礼を行っていた70年代後半あたりで既にこの景は文脈が良く分からなくなっていてとりあえず知っていた砂丘と漁船群を景の見所として挙げていた状態だったんじゃないか・・・
いやぁ~~~正直石碑ってなんの意味があるんだと思ってましたが標として優秀ですね。無ければ無いでマジで何もわかりません。

そして茨城百景めぐりの鈴木センセが言う『一角』とはもしやここなのでは?最初はこの鈴木センセが立った一角とは砂丘の端あたりかと勝手に思っていました。なぜならばその一角に立った時に見えるモノが対岸の銚子の街、犬吠埼の灯台、鹿島灘と書かれているからです。
そして現地に行った時思ったんですが元砂丘のあたりからだと位置が低すぎて犬吠埼の灯台なんて絶対見えないんですよね。しかしこの高台からならギリギリ見えるかもしれない。
ともかくその内暇があれば現地に行ってみたいと思います。

茨城百景 利根河口 ~完~

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