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茨城百景 古渡の湖畔

茨城百景については→『結局茨城百景とは何なのか

久しぶりの百景巡りは手始めに今まで巡った場所のすぐ近くにあって行っていなかったところがあったなと思いそこから。
そこは古渡。水の里安中浮島の間にある所です。

入手した資料をパラパラみて後からここも百景の一つだった事を知りました・・・
そして包含風景の一覧は

1950年版茨城百景一覧表
1966年版茨城百景一覧表

またか・・・ 百景の名前がまた誤字疑惑です。
普通に考えたら『湖畔』では?となります。しかし最初は両方とも潮畔表記なのでもしかしてこっちが正しいのかと一瞬考える・・・
が、石碑のほうは『湖畔』表記なのでこれはまた浮島の時と同じパターン。そこでは石碑側の表記のほうが正しかったわけですが資料『茨城百景巡礼』に書いてある選定の方法を考えると石碑はまさにその場所を推薦した現地の住民が見るので表記は自ずと正しくなるのかな~と思います。
というわけで湖畔表記が正しいんじゃないっすかね(適当)

そんで資料『茨城百景巡礼』に古渡の要約が分かりやすく書いてある。

茨城百景巡礼(1980年) 著:室伏勇

古代からの水運の要所として発展してきた集落・・・
ちなみにここ古渡は夢の浮島編に登場した旧桜川村に属していたらしく懐かしい自治体名を見たなーと思いました。
そんでもって旧桜川村の中心部はこの古渡の集落にあったらしい。今は南側に新道(206号線)が通っていますが集落の中を通る古渡橋~古渡交差点までの通りが旧道かつメインストリートだった。
古渡橋も2002年に架け替えられていて現在の物は百景選定時の橋とは違う物。選定当時に架かっていた旧古渡橋は1939年に架けられた歴史ある物だったみたいですが末期にはこの有様だったみたい。

引用元

大丈夫かこれw(大丈夫じゃないから架け直した)

そして包含風景はどちらの一覧表でも一致。これらも下調べしていく。

①堂崎

昭和前期の地図

古い地図を参照したらありました。霞ヶ浦に突き出た堂崎鼻の事。

茨城百景巡礼(1980年) 著:室伏勇 より

というかガバガバ地図ばかりの茨城百景巡礼にも表記あったワ・・・

茨城百景めぐり(1956年) 著:鈴木彰 より

ここも他の水郷エリアにある百景と同じく湖水浴で賑わった場所らしい。

②上馬渡湖岸
どちらの資料でも上馬渡岸表記になっていますが百景の名称と同じく誤字と思われます。
調べると上馬渡はここの地名の事らしい。

岸?と思いますがこの西の洲は干拓で埋め立てた土地で

昭和前期の地図

昔はこう。航空写真を見ると70年代あたりから干拓しているので百景選定当時はまだ入江だった。
堂崎~石碑のあたりもそうですが入江なので水泳には適した場所だったんだろうなぁと思います。

③興禅寺

ここはググったら難なく判明。古渡の集落にあるここ。
調べたところによると応保年間(1161年~1163年)に源頼政が創建とあるので軽く800年ちょっとの歴史がある寺院という事に。ちなみにソメイヨシノが見どころらしくできれば春に訪問するのがいいみたい。

④熊野神社

ここもググったら(ry
文治年間(1185~90)に熊野別当の湛増と言う人物が古渡の地にお祀りしたのが始まりとされている。
興禅寺とほぼ同じくらいの歴史がある神社。
ちなみに城跡でもあるらしく同じく古渡にある古渡城とは別の城だったらしい。

引用元

石碑も含めた位置関係をまとめるとこんな感じ。

~現地編~

⓪石碑

『湖畔』表記でェ~す。なんか若干傾いてないか・・・?
ここは当時モン石碑で場所もどうやら変わってないっぽい。
ちなみに石碑の目の前には早速廃墟が。大丈夫かここ。

そして現古渡橋

そして橋の反対側はかつてのメインストリートですがやっぱり寂れています。

ここら辺はまだバイパスが出来て大手の郊外店も出て来て時代の流れという事で仕方ないと思うんですが住宅街に入っていくと商店以外の民家も結構空き家や廃墟が多かった。東京から60キロちょっとでもこのレベル・・・

①堂崎
ここガチで車停める所無い!(迫真)
しかし自分天才チンパンジーなので早朝に行き堤防道路の左にギチギチに寄せてそくささと見に行きました。

右手の水辺にせり出した茂みが堂崎鼻です。

更に鼻に接近。対岸の美浦村の丘の向こうに筑波山が見えます。こういう景色かぁ。百景選定当時は堤防化されてなかったので長い浜と入江そしてこの筑波山の景観だったわけねー。
そして鼻に到達。

謎の石碑

うわ草ボーボー!昔の航空写真を見ると鼻はもっとハゲてたっぽいので霞ヶ浦にせり出した所から見晴らしができたのかも。

1960年代の航空写真

ついでに堂崎鼻から古渡方面の景色

②上馬渡湖岸
上馬渡に到着。ここら辺に関しては選定当時から絶対景色変わってないだろ!知らんけど(関西人)

美しい上馬渡の田園風景

しかし肝心の岸にアクセスできる道が上馬渡側には激細未舗装農道しか無いので西の洲から攻めていく。

こ、ここが西の洲でござるか~。写真では伝わりにくいですが古渡編では一番壮大な景色だったかもしれない。
とりあえず西の洲側から上馬渡の元岸に行ってみる。

西の洲と上馬渡の間に架かっている橋から撮影。左手が西の洲で右が上馬渡。

↑この川が元浮島と上馬渡の間にあった入江という事になります。

霞ヶ浦方面に向かって撮影。右側が西の洲で左手が上馬渡。

↑選定当時の西の洲が無かった頃は先ほどの堂崎のように大きな入江が広がっていた景観だった。

上馬渡側からかつての入江の出口方面を望む。

③興禅寺
このお寺、駐車場はありますがすれ違い不可能な道を通らないといけないので他人とかち合わないよう願いながら進みましょう。

手前に目的の建造物、奥に寺の新しい建屋があります。

能書き

おお。このまま映画ドラマに使えそうな風格。軒下の彫り物は必見です。
手前の参道の景観も良く出来てます。

チンパンなんで9月に行ってますが普通に例のソメイヨシノの時期にくればよかった。しかも天気悪いしなにやってんだ俺。

④熊野神社
ここは駐車スペースも無ければ周りにも停められる場所は無さそうなので寺の駐車場に停めたままテクテク歩いていきました。軽自動車ならギリギリ行けるかもしれないがオススメはしません。
そしてGoogleマップを見ながら滅茶苦茶狭い道路を歩いていきマップが示す熊野神社がある場所に到達・・・お?

山道
鳥居と謎の建屋(右)

なんか参道死んでない?

現地の状況を説明すると

参道が緑に埋もれています。管理されず自然に半分還りかけてるパターンは今まで何度かありましたがこのレベルは流石に初めて。
Googleマップのレビューでこんなのがありましたが推して知るべしなんでしょうか

子供がいなくなって相撲イベントが無くなるって言うのも現代の日本の地方って感じです。そしてこれは4年前のレビューなのでもしかしてコロナをきっかけに祭りやらなくなって管理もしなくなったみたいないつものパターンなのでは・・・とか思ってしまいます。ネット上にある巡礼記は結構コロナの直前に行っているのがありましたがここまで荒れ果てていないので多分そうっぽい・・・実際どーなんでしょうか。

しかし山道側は車が通った轍の跡があるので一応管理車両が通っているのかな?ともかくこの山道側から山を登っていく。

山道側から見た参道はこんな感じ。獣道ですやん。
肝心の神社さんは

工事中?一応管理されているんでしょうか。
ちなみに意外と地形がわかりやすく城跡の解説図通りになっていました。大体こういうドマイナー城跡は素人からすると丘にしか見えませんがここは分かりやすかった。

そして登ってから気づいたんですがここは恐らく見晴台系の景だったんじゃないかという疑惑。自分が行った時点では鬱蒼としてましたが地理的には古渡の集落と古渡橋、入江を見渡せそうな高台で里山に人の手が入っていた頃はいい景色が見えたのでは?と思わされました。

いやしかしもっと天気の良い時に行けばよかった。写真映えが悪すぎた。ちなみに全部巡り終わってからバカみたいに晴れだしてキレそうでした。

茨城百景 古渡の湖畔 ~完~

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