大哥、再見ーーー全国決勝大会第一戦、最初の別れ
全国から応募が殺到した上海東洋衛視のイケメンオーディション『加油!好男儿』。
北京、瀋陽、重慶、武漢、上海、杭州の6地区から5人ずつ、そしてインターネット投票で敗者復活した4人を含めた計34人で全国決勝大会に集結し、34人から一気に15人へーーー
そのあいだも34人は、34人出揃うまでそれぞれ様々な場所でイベントや慰問などに参加し、『好男儿』のコンセプトーーー真の"いい男"とは?ルックスや運動神経、芸才などだけでなく協調性、誠実さ、真面目さ、向上心ーーーなど、内面にまでに及ぶ人間性を問うたこの大会中、連日の慣れない試合のためのトレーニング、準備、撮影、録音、取材などに追われ睡眠不足でふらふらになりながらも、それぞれのファンに対して毎晩自分の心情を吐露し、感謝の意を述べ、責任感をも育てていった。
調べているうちに、地方予選、全国決勝の間も暁晨がいかに"顔値最高"と思われていたかが伝わってくる。
今でこそ馬天宇がこの大会中1番の出世頭であり有名人だがこの頃彼はまだ素人の一般人であり、モデル歴が二年の暁晨とは"見せる"という点でキャリア差があった。
暁晨が自信満々だったのはやはりどこにいても持て囃されたからだろう。
どの記事を取っても、目がつい彼をロックオンしてしまうと言わんばかり。
番組の専属カメラマンをして
"張暁晨を初めて見た瞬間から、彼の持つ"陰影"ーーーそれは表面だけでなく内面のものにも及ぶーーーを捉えなければという思いを抱いた。
彼のそんな印象は、退陣したその時まで変わることはなかった"
と言わしめる、独特の空気を纏っていた。
短いひと月のあいだに34人は深くお互いを知り、お互いをライバルではなく兄弟と呼び認め合い、励まし合い、高め合ってきたがこれはサークルでなくバトルなのだ。
最高の『好男儿』であると認める友らに勝ち、残ることができるのかーーー
選手たちは常に緊張と不安と自信と戦っていた。
武漢の五人も
34人から15人まで淘汰される全国決勝大会の第一試合ーーー"大逃殺"の前日まで
諦めず努力を、と精一杯ベストを尽くそうとしていた
有名な"大逃殺前夜の不眠練習"の映像である。
こののち『好男儿』に関わらず現在までに至る馬天宇の芸能界に対する姿勢の根底がよくわかる。
人前で芸だの演技だの、恥ずかしくてとてもできない、という億劫な思いがあるのだ。
そんな天宇を五人で1番年嵩の鍾凱が諌め、諭す。
"なぜそんなに怯える必要がある、独りじゃないんだ、五人で一緒に歌っているんだ。怖がっていないで自信を持って歌え。きっとできる。俺たちがそばにいる、みんなで歌うんだ。大丈夫だ、思い切りやれ"ーーー
鍾凱ーーーこのとき既に馬天宇より6つも年上の26歳だった。彼は予選の初戦から自信に満ち溢れ、堂々としていた。モデルであり、地元湖南のモデルコンテストで優勝したこともある。
自身で冷静沈着であると言い、しかし冷めているわけではないと言う。
武漢以外の選手からも慕われるみんなの大哥だった。
前夜の練習での不安を引きずりながら、34人から15人に淘汰される"大逃殺"が始まったーーー
これで34人、このメンバーで戦う。
武漢五強は瀋陽五強と対戦することに。
歌とダンスをそれぞれ披露したあとに敗けたチームから落伍者を名指しするという残酷さ。
馬天宇は恐怖心と羞恥心を何とかやり過ごし、練習の甲斐あって瀋陽に勝った。
瀋陽では、李叢煒が去ることに。
2試合めはダンス。
相手の瀋陽には、ダンスの専門学校に通う程顕軍がいる。
まず批評は馬天宇が全くなっておらず、ダンスとは言えない、と酷くこき下ろされた。拙いと批判されたのではなく、もっと自分をアピールしなさい、と言われたとみるべきだが、このやりとりの後に瀋陽の勝利が決まり、今度は武漢から身内を出さねばならなくなった。
ことの重さに天宇は見る間に涙目になる。
名前を呼ばれた瞬間、悲しみに鍾凱に抱きつく暁晨。天宇も泣いて抱きついた。
夜通し励まし、練習に付き合ってもらったのはつい昨夜のことなのだ。
冷静で
寛大で
振る舞い、態度、姿勢ーーー全てにおいてみんなの手本のようだった大哥の離脱。
落伍の初っ端が鍾凱だったことの衝撃。
今まで何人もの兄弟を見送ったが、身内との、鍾凱との別れはこれほどつらい。
なぜ?なぜーーー
納得が行かないが、鍾凱のメールの数が最も少なかったのだ。仕方がない、そういうルールなのだ。
そして誰もが思った。
『好男儿』とは?
今去るこの素晴らしい男がそうではないと?
残る誰よりも劣るというのか、そんなはずはないーーー。
明らかに天宇のダンスがまずかったと言われてしまっていた天宇に
納得の行かなかった鍾凱のファンが試合後ウェブで襲いかかった。
鍾凱と交代しろ、というものだ。
勿論天宇は望むところだ、自分はそうするべきだとブログで謝り続けた。
当然鍾凱がそんなことを承服するわけもなく、彼は自分のファンたちを嗜め、天宇を攻撃せぬよう約束させた。その迅速な対応もまた、さすがだった。
対談の日は天宇の20歳の誕生日だった。
天宇はファンたちと過ごし、より成長して試合を続ける気持ちを取り戻した。
鍾凱は宿舎を引き払ったが、この後のコンサートだけでなく、他の選手らとグループを組み歌手デビューしたのち、俳優として今でも芸能の世界にいる。
あの夜五人で練習し、瀋陽に勝ちそして鍾凱を失った思い出の『再見黄鶴楼』は、今でも五人にとって大切な曲となっている。