Shall we dance?〜全国大会第二戦 COOL MAX之夜〜
『加油!好男儿』全国大会第一戦は
武漢、北京、上海、杭州、重慶、瀋陽から集った34人の選手をひといきに15人へと削った。
短い間とはいえ、地方大会で三戦、いざ全国大会というまでに約ひと月、多くの取材、撮影、イベント、練習などを共に体験した友を失った衝撃と悲しみは深かった。
張暁晨のいる武漢地区は最年長でリーダー的存在だった鍾凱を失った。メンバーのショックは酷いものだった。
26歳の鍾凱は遥かに落ち着きがあり、自信に満ち溢れ、寛大で的確で、頼り甲斐のある、真の『好男儿』だった。その大哥が先ず落とされた衝撃。チャンピオンの馬天宇は、その責務と自身の実力に完全に否定的になり、自分のせいだと責め苦しんだ。
北京。流石中央戯劇学院、北京電影学院など一流演劇、芸術学校出身の選手ばかり。しかしよもやそれが仇となろうとは、第一戦で厳峻、宋雷濤、雷諾児が脱落。敗者復活し加わった張洋も脱落。全員、現在も活躍する俳優である。
重慶。他に敗者復活戦から加わった張緒がいたが初戦で淘汰。チベット出身のチャンピオン蒲巴甲と女の子と見紛うような華奢で小柄な向鼎だけ残った。
この個性的な二人がこれからも重慶代表として『好男儿』の顔となる活躍をする。
杭州。敗者復活で陳澤宇(左)、郭帥(右)が加わり7名での全国大会となったが、復活した2人が残り、チャンピオン呉建飛が残るのみという結果に。
呉建飛は大変な人気だった。暁晨と同じく"ただの"いちモデルだったが、そのルックスだけでなく暁晨より相当な苦労人だったことが同情を誘った。
上海。冠軍巫迪文は誰が見てもハンサムと認める完璧なマスクと長身の持ち主、大変に明るく、面倒見のよい『好男儿』。15人強に残ったのはほかに歌って踊れる沈人杰、幼少時の医療事故で聴覚を失った宋暁波。
瀋陽地区冠軍、程顕軍
そして瀋陽である。何と瀋陽地区は第一戦で四人共が排除され、大会最年少の冠軍(チャンピオン)、18歳の程顕軍だけが残った。
顕軍は大連海浪モデル芸術学校に通う学生で、本格的にダンスを学んでいた。
体育会系で負けず嫌い、ガッツがあるが大変に澄んだ優しい心を持っており、そんな境遇が彼を苦しめた。ただの個人戦だったなら、これほどの苦しみを味わうことはなかったろう。
武漢の馬天宇然り、この顕軍然り、『好男儿』は選手たちに責任感と仲間意識、人との触れ合いなど、心の成長を多分に促した。
選手の誰もが、参加したものの自分に自信などなく、青春真っ只中で他の同性の友人との腹を割った付き合いなど未経験だった。それだけに、寝食を共にしながら毎日のようにスキンシップに溺れる体験は、生涯の大切な思い出になった。
顕軍は兄さんたちに瀋陽代表として四人分の夢と気概を託された。並々ならぬ思いで臨んだ第二戦だった。
5つの''チーム"
まず選手らは3名ずつ5つのチームに分けられた。強制指名である。
これが、実に素晴らしい振り分けだ。
どの選手にもピッタリバッチリ来る。
また振り付けも本格的で趣向もたっぷり凝らされている。
よくこんな本格的なダンスを覚え、踊ったものだと感心する。
練習は大変だったに違いない。
ロケは170年以上の歴史を持つ老舗のホテル(現在は博物館)、浦江飯店で行われた。中国で初めて舞踏会が行われた場所である。
リムジンで登場する純白の衣装を着た王子様とは!👑👑👑
確かに理想の男性ならワルツの一つでも踊れなくては!
怡川や天宇など居ないメンバーも…なぜか巫迪文ばかり3つもカットがある
大変にお金と手間をかけ撮られたのではと思うすてきな映像。手を取られ躍る女性たちが羨ましい
チーム戦
それぞれ練習した成果を発表する。
先ずは陳怡川、呉建飛、蒲巴甲たち。『リベルタンゴ』を披露。皆サマになっている。
ダンスが終わると一人一人批評を聞き、その後審査員の美女が気に入った選手に"次のダンスは私と踊ってほしい"という意味の赤いタイを首に結ぶ。
選ばれた選手は残留決定というわけだ。
怡川は見事、ネクストダンスに誘われた!
ガッツポーズ。
第二グループは張暁晨、程顕軍、郭帥。
セクシーに"チャチャチャ"!
踊り、となるとぎこちない暁晨だが
ポーズを決めたり、エスコートしながら正面を向きウォーキングする様は堂々としたもの。
また、彼女いない歴はゼロではないかと思わせる平素の素振りから女性の扱いは慣れたものか、照れなど感じさせない。そういう意味では、暁晨もプロのモデルだ。
爽やかな笑顔、何よりその、選手らに"クレヨンしんちゃん"と揶揄された太い眉と、"電眼"と呼ばれた深い黒目がちのひとみには審査員のお姐さまがたも興奮気味だった
要するに"顔値"の話題でダンスはどこへやら、だが。
一方暁晨は今も健在なくるくる変わるその表情、肩を竦めたり首を倒したりという仕草、甘いハスキーボイス、それらに歯の浮くような会話を加えて司会者の陳辰を呆れさせる。出来過ぎ、といったところ。
ネクストダンスの相手を指名されるCM入りの直前、暁晨は大きなため息を吐くようすを見せる
それは不安げなものではない
選ばれたさいも満面に笑顔を静かに湛えただけ
もしかして自信があったのだろうか
第三グループ。馬天宇、巫迪文、郭家銘は明るいキャラ全開でスウィング・ジャズの"In the Mood"を。
第一戦のとき、不安そうな表情と自信のなさから小さな動きとなってしまい、さんざ審査員から"チームの足手纏い"と批判された天宇だったが、ここではまだ動きは控えめながらも、笑顔をつくり軽快に踊り切ってみせた。
郭家銘はパフォーマンスの間、常に"演技"をしていた。表情をつくり、ここぞというところでアドリブ的な仕草も加え、おどけたような素振りさえつけて踊った。勿論、パフォーマンスとはそうあるべきだ。それができないのが素人であり、素人がなぜできないかというと訓練をしていないため、恥ずかしがってしまうからである。
羞恥心を捨て、自信のなさからの不安を隠し、するべき動作、するべき表情で芸を『見せる』
それこそがパフォーマーである、かくいうピアニストである私も。
試合後巫迪文の伴奏をする郭家銘。彼は中央戯劇学院で唯一残った『好男儿』だった。中戯をはじめ、北京電影学院、芸術、演劇、舞踊学校などから多くの選手が参加したが、悉く淘汰され、パフォーマンスのプロを育成している側の各学校では評判に瑕がつき大騒ぎになった。
『好男儿』=才芸に秀でた者、スターのたまご
ではないからくりがいつしか出来ていた。
チベット族の巴甲、杭州の建飛、馬天宇は学業もままならない貧困苦のなか育っており、向鼎は中性的で非常に華奢で小柄で庇護欲をが掻き立て健気なすがたが胸をうつ。
巫迪文と暁晨はルックスにまず目がゆき、とはいえバタ臭く濃いめで好き嫌いが分かれる。
残りは警官魏斌と軍人陳怡川、耳が不自由で手話でコミュニケーションをはかる、優しい天使のような宋暁波、"彼を復活させなければ自殺する"というヒステリックな手紙が舞い込んだバドミントンコーチ陳澤宇だ。
こうして書いているだけで顔を知らなくともキャラが立っていて面白すぎる。
自然それぞれ個性や生い立ちが独特な10人が残ったということが興味深い。
鍾凱と馬天宇
第一戦で審査員を務めた伊能静も含め、周りは天宇のダンスの上達ぶりと、振りまく笑顔に感心頻りだった。
天宇は胸元のペンダントを示して見せた。
それは鍾凱が、先日の天宇の誕生日にプレゼントしてくれたものだった。
鍾凱が誰より先に落伍したことを受け止めきれず、武漢地区の四人は呆然自失状態になり、励まさんと様子を見に行った鍾凱が言葉を失うほどだった。軍人である怡川すら例外ではなく、まるで集中力を欠き覇気はなく、天宇は自分を責め続けていた。
"自分がこれほどみんなに慕われていたとは"
と鍾凱は驚いたが、ともあれ落ち込む天宇を慰めようと、お守り代わりにこのペンダントをつけ、頑張れ、と送り出したのだった。
前向きに頑張り、一抜けのキップを手にした天宇は嬉しそうだった。
ところが、、、天宇はその頑なで純粋すぎる性格から、これからも試合毎と言ってもよいほど独断で事件を起こしてしまうのだ。
第四グループは創作クラシックバレエ。
魏斌、陳澤宇、向鼎のビジュアル系でエレガントに踊るーーーはずだったのだが
第一戦の夜、その日は蒲巴甲と魏斌の誕生日だったため、淘汰された5人との送別会兼誕生パーティーが催された。
魏斌はハイテンションで
酒を煽るわケーキをメンバーに投げつけるわ大変なはしゃぎようだった。
折からの疲れと睡眠不足、緊張からの解放感が祟って酔いが回り過ぎ自室のシャワールームで転倒し、大怪我を負ったのだ。
すわ棄権かと思いきやそうはならなかった。
急遽魏斌のみ中間部分で車椅子ダンスをすることになった。
招待の赤タイは陳澤宇がゲット。
魏斌は怪我の顛末を語ったが、そこへ湖南から家族がサプライズで登場。
父親と祖父母がステージに。
魏斌の祖母は上海生まれだという。
母親は病気で来られなかったが、家族の抱擁にホロリとさせられる場面となった。
第五グループはモダンバレエ。
目隠しをし、江洋(江明洋)、沈人杰の演技派が雰囲気たっぷりに、耳の不自由な宋暁波も思わず見入るほどの表現を見せ、演目としてはこちらが一番素晴らしかった。
ダンス後、なぜか審査員の伊能静氏を口説いてみよう!的な流れになり、江洋は歌をプレゼントし、沈人杰はダンスの相手をし宋暁波はバラの花弁でハートを象ってみせるなどした。
赤タイは宋暁波に、この日、最高獲得票数を得たのは巫迪文だった。
シークレット・ルームにて
第一戦では大掛かりなゴンドラ・セットで、一対一(PK戦と呼ばれる)で残留か敗退かが示されたが、老舗ホテルというロケ地の都合上、ホテルの設備を使った演出が採られた。
結果、宣告された選手と出待ちするファンにとってある意味第一戦よりも心理的にツラいものになった。
MCの曹可凡氏が選手の進退が記された名簿を持っており
グループにつき二人ずつ残されていた選手は密室に招ばれる
暫し今までの振り返りと抱負、現在の心境などの雑談を陳辰さんと交わしているところへ傍らの電話が鳴る。
電話の相手は曹氏だ。
曹氏ともまた選手はいくらか会話を交わす。
そしていよいよ、宣告の時となる。
選手はグループで二人ずつ残されているが、どちらかがではなく二人とも残留、二人とも脱落というパターンもあるのだ(結果は電話やメールによる票数で決定されるため)
まさにロシアン・ルーレット
残留が決まった二人
待っているファンのもとへ
歓喜し名前を連呼するファンの花道を抜け、帰ってゆく。
一人残った重い責任を背負って戦った顕軍。ファンが描いた瀋陽五強のイラストを見せる。
宣告は"離開"(離脱)。
自嘲し自分を納得させるように俯き、部屋を後にする。
顕軍が持っていたのは横断幕。ファンから託されたものだろうか。
『好男儿』のバッジにキスをして、別れを告げる。
郭帥。彼は顕軍が去った後からずっともう号泣していた。一度杭州の地方大会で10強から5強を選ぶ決勝戦で敗れたものの、敗者復活戦で返り咲き全国へ来た。
地方大会では味わえなかった数々の経験、体験。この先も続くそれらへの未練を、ジッと外したバッジを凝視しながらの溜め息で断ち切る。
またもや逃げ切った魏斌!
怪我をし、今度こそだめかという覚悟を、ファンもしていただろう。それだけに、残留が決まったときは狂喜乱舞だった。
向鼎も残った。
しかし、江洋と郭家銘、沈人杰はここで敗退。
北京、瀋陽は全員淘汰という結果に。
結局、『好男儿』ベスト10に残ったのは、バドミントンコーチ陣澤宇(杭州)、中性的な向鼎(重慶)、マスクの濃い張暁晨(武漢)、空軍パイロット陳怡川(武漢)、撮影アシスタント馬天宇(武漢)、警察官魏斌(武漢)、モデル巫迪文(上海)、モデル呉建飛(杭州)、天使のような聴覚に障害を持つ宋暁波(上海)、チベット出身の俳優蒲巴甲(重慶)だった。
列挙すれば、何となく残った理由も納得が行く。
そして、いかに武漢五強が不敗神話を守ってきたか、実感できる。
これだけの個性派揃いのなか、わが張暁晨はどこまで行けるのか⁈
尚、涙、涙の別れを余儀なくされた程顕軍と郭帥は、大会終了後も人気が衰えず、晴れて10位入賞者と同じようにSMGと契約し、向鼎、魏斌、陳澤宇などとユニットを組み、アイドル歌手《HEROとしてデビューすることが叶った。
本当に輝いていた、二人が更に活躍できたことを、嬉しく思う。