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張暁晨の軌跡〜出演作全記録Part9(2023)

記念すべき、40歳となった年。
20歳のとき、偶然乗り合わせたバスの車中でVOGUE社の社長にスカウトされ、モデルとなった。

それから三年、更なる自分の可能性を求めて、《加油!好男儿》のオーディションを受け、晴れて全国8位を獲得し、芸能界に入った。

30歳までの7年間で、アイドル歌手から場当たりで臨むことになった舞台で演じる魅力にとりつかれ、役者一本を志した。

しかし、30歳になった頃は、一年のほとんどを端役として過ごし、撮影所は監獄のように感じられた。

そんな折、陳坤と出会い、その生き様と演技に懸ける熱意に心酔し、事務所を移籍。
『海上牧雲記』、『風起隴西』など、以前では考えられなかった一流作品で生きることができるようになった。

30代の終わりに、自らの人生についても考えることを怠らなかった暁晨は、心から愛しぬいた人と結婚し、待望の男の子を授かった。

自身がなぜ生き生きと活動することができているか、暁晨は忘れることはない。
20年で築いた友情、信頼、実力ーーー
新たな40代に突入するときも、梯子の足元を振り返ることはせず、ただ先を、高みを目指す。

2023年(40歳)
"《卿卿日常》ファンミーティング"
新年最初の仕事は、ファンミーティング。急遽愛奇芸が企画した。
暁晨は嫌われまくった役だったので、公式発表があるまで参加するかどうか分からなかったが、杞憂に終わった。
さすがの公式。ありがとうございます。

この日のスーツはVALENTINO

玉淵潭公園で氷滑り

16日
《錦囊妙録》
撮影期間:2022年12月22日〜2023年4月21日
2025年1月14日播出
秦熠役

悪役の種類もそろそろ制覇したのでは、と思いきや
今回はサイコパスのロリコンという…苦笑してしまった。

最後に焼死、というのも初めての展開だ。

4月27日《麦高芬的味道》
北京国際映画祭試写会に舞台挨拶

4月29日、《奇門遁甲II》上映

5月
西安へ家族旅行

6月9日
上海国際映画祭
夢にまで見た、俳優となっての初めてのタキシード、初めての紅絨毯。
映画《孤星計劃》の助演者としての出席だった

どれもこれもが憧れたもの

21日
『山下学堂』ワークショップ
ロシア・サハリンにあるチェーホフ劇場の芸術監督、ウラジミル・ベッヒャーを招聘。

7月
《大奉打更人》
撮影期間:2023年7月19日〜12月12日
2024年12月28日播出
楚元縝役

大侠役。もと役人だったが、師匠が朝敵に殺され、政と国に愛想が尽きたため、江湖に出た。
今回、暁晨はとことん善人であることを、登場するや強調した。

初めて化粧をしてる写真が夏に上がったときはどの作品か分からなかった。恐らく、定粧時(髪型やメイクなどを最終的にどのようにするか実践し、劇中の全ての衣装でポスター撮りをする過程のこと)のものだろう。
播出されるや、この日の定粧時のなんと動画を、大盤振る舞い。暁晨は定粧ですら、あまりお目にかかれないというのに…

"終盤になっても闇落ちしません"

今回、迷カップルとなった王伊瑶のおかげで、いつもとは違うものを見ることができた。

8月10日《七時吉祥》开播

8月12日《白日夢我》开播

8月24日
《無名狂》リユニオン
上白、隋咏良と撮影会。三人がお互いの服や帽子をランダムに取り替えるという、粋な方法で。

28日
パパ会
王伝君は、前年にスーパー女優蔡渓と結婚。女の子が生まれた。サングラスの男性は誰か不明。
伝君は娘の顔を公表していないため、二人もそれに倣っている。

腹心の友、伝君との写真は、19年の結婚式以来だ。
暫し、息子とゆっくり過ごす。

《凡人修仙伝》
2023年7月〜12月15日
歴飛雨

夏頃に撮影としか今時点(2025年2月現在)分かっていない。
ワイヤーアクションには慣れているはずの暁晨が、非常に大変な撮影で、始終雨に降られ、苦労したとこぼしていた。

9月22日
シルクロード国際映画祭
《孤星計劃》の宣伝を。

写真は《孤星計劃》公式微博より。

この日の出立ち。暁晨本人より。

30日
40歳の誕生日は、自宅にて。

この前日に、暁晨は親知らずを抜いていて、それを抜く際死ぬほど痛かったらしく、目の前のケーキはほとんど食べられなかった。もう二度と御免だと思ったが、彼の親知らずはその1本だけだったらしい。

この年からDMでメッセージを送れるようになった

誕生日のポートレート、大盤振る舞い。
東申公式には上がらず、誕生日グリーティング海報も無かった。
不安で死にそうな1週間が過ぎた10月。

10月5日
北京郊外、潭柘寺。

8日
重大発表

暁晨は、40歳の誕生日を機に、事務所を変えた。
新しい事務所は、萌樣影視。重要なシルクロード映画祭や、誕生日を寿ぐ報せがなかったのは、このせいだった(年末の総括海報もこの年は無し。初の上海映画祭などのイベントがあった年だけに恨めしい)。
東申より新しく、若手ばかりを扱い、規模も小さな事務所のため、私は非常に不安だった。

"男人装"

この記事を読み、合点がいった。
暁晨は、変化なくしては、成長は無いと考えたのだ。
苦労と回り道で失った時間を武器に換え、やっと20年かけ、エリート校出身俳優たちと同じ場所で仕事できるところまで来た。

所帯を持ち、息子の父となり、責任が生じる立場となったこの時期に、自分をここまで引き上げてくれた義兄の元を離れ、全く違う場所へ移るーーー
そんな賭けのような恐ろしいことを、未来と自身を信じて、決断する、それも、『自身を更に成長させる』ために。

保証など何もないというのに、不満どころか、この上ない環境を離れるというのだ。
これからどうなるのか、私は恐ろしくてたまらないのにーーー
しかし、それが張暁晨なのだ。

11月
貴州にて

大好きな写真
これより始まる美食レポート

26日
咕噜咕噜誕生日(4歳)

春のすがた、夏のすがた。難しい字も読めるように。
パパに見せる最高の笑顔。

12月。初めての華やかな話題溢れた年だったのに、移籍したばかりのせいか、新しい事務所からは総括海報は無かった。そのせいで、夏と年末の南部の旅の真相はわからない。
撮影のついでか旅行かの判断がつかないのだ。
私は大きな不安を抱えたまま年を越した。
しかし、翌年を暁晨はびっくりと、幸せに溢れたものにしてくれた。
それは、彼が張暁晨だからである。
決して失望させず、笑顔をくれる。最高に心配した後の、泣き笑い。いつもの私の顔だ。

心配要らないって言ったろ、の笑顔。
"そうだったわよね、ごめんなさい"
私はいつも涙を拭いながらそう謝る

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