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暁晨婚礼〜Happy 5th anniversary🌹❤️ Part1

XDay

2019年5月
暁晨はエルサレムにいた
今はとても観光に訪れるどころではなくなってしまったが…

私は彼の作品《皇帝の恋》を見ていらい、その繊細でリアリティ溢れる独特の演技にしびれ、彼を調べたり追いかけたりし始めて一年、Twitterで彼について発信してまだ半年足らず、といった頃だった。
まだ中国で作品がどのように制作され配信されるかもよくわかっていなかったころーーー

この旅行自体は単なる個人旅行ではなく、様々な芸能人が旅をし、その写真を上げるといった企画の一環で、写真も事務所から派遣されたカメラマンが撮ったのだが、、、

旅行先の選択も、訪れたそのラフな格好も、彼らしい、と喜んだ私だった。
それからしばらくしてーーー

またもやお気に入りの甚平を着た暁晨の姿。
"七月。すごくリアルだ"

"很真実"な七月とは?
日頃から非常に哲学的で比喩的で内面の描写が多い暁晨のコメントは、とても難解だ。
事務所で撮ったと思しき写真と、唐突に長い文章も飛び出した。
"僕は"ーーー

"僕は純粋な人間だ。そう言い切るには充分値しないかもしれないけど、こんな世界の中においては充分だと思う。僕はますます僕の人生について率直に向き合い、冷静に自分自身と向き合わなければいけない。
僕はけして丸い性格でなく、媚びるのなんかは大嫌い。口が上手いわけでもないし、行動も素早くない。不器用で機転も利かない。
少しながら融通が利くのは頭だけど、トラブルに巻き込まれやすい。

僕はこの世界で生きるのが楽しく、太陽の光を浴びるのが好き。
友達は多くなくてもいいが必須。
半月あれば体重を5キロ増やしたり5キロ減らしたりできる。
白すぎる膚は嫌い。浅黒い方が好きだ。

僕は伝統的な人間で、年代に応じてやるべきことをやり、やるべきことを変える。
家庭を持たねば、という責任感を持っていて、子どもを持ちたいという願望が強くある。
以前は見せびらかすことが好きだったが今は嫌悪する。誤魔化し装う輩を見るのも。
けれども、もし装うのが善行ならば、僕は心から敬意を払う。

僕は夜中の1時や2時にベッドに就寝することが多い。
僕は服を替えるのが嫌いで、普段着はごくラフなもの。それは僕が僕らしくいるってこと。
いつも完璧に健康でいたい。
困難を恐れず、根気と粘り強さがある。汚れること、疲れることも厭わない。
しかし同じくらい怠け者でもある。
愛に対して僕は期待を持っている。よく食べるし、動物が大好き。《目には目を》(恐らく映画のタイトル。《レイジング・ブレッド》)も好き"

この、やたら長い文章を、当時の私は読もうとも思わないし、読めるとも思わなかったし、ここまでの長い文章は彼は普段から書かないってことも知らなかったし、内容を知りたいとも思わず、ただその頃は添えられた写真のみを眺めて収蔵するだけだった。読んでいればーーー少なくとも、"家庭がほしい""子どもがほしい"と強く願っている、という箇所だけでも気づければよかった。

そして立て続けに、セブンイレブンの看板の写真を。
"沈黙を守る"という意味深なコメントも見受けられたが、当時の私はまたもや、そんなところに秘密が隠れていることも知らなかったのである

セブン・イレブン

張暁晨のお家芸、それはいつも"突然の宣言"。

7月9日、暁晨微博。
"三生有幸!"
という言葉を添えて発表されたのは、一人の女性ーーー

"三生有幸"というのは、前世、今世、来世までも幸せだーーーこの上なく幸運で幸せ、という意。

私が最高に愛した人は、追いかけてたった半年で結婚してしまったのである。
しかし、私は思った。
彼がこんなにも幸せを感じるのなら、お相手の方は素晴らしい人に違いない、と。

お相手は一般人で、暁晨より9歳も若い王詩婭さん。
よくよく見てみれば、それまでの写真にも写っていた。知る人ぞ知る、公認のGFだったのである。
いつも男女入り乱れての集合写真だったので分からなかった。

最も古いものは2015年10月。奇しくも《皇帝の恋》を撮影したころだった

詩婭さんは湖南省出身、当時(2019)28歳。暁晨は彼女に一目惚れしたという。
交際期間は彼の長い彼女いる履歴中最長の、5年。5年越しの粘り勝ちゴールインだった。
5年ということは遡って出会いは2014あたり!
なんと、暁晨が悩み苦しんだ挙句陳坤殿下の事務所に心機一転移籍した時期と一致する。
もしかして、彼女はあげまんなのだろうか。
だとしたら、詩婭様様である。

しかしながら、ここまで"あの"暁晨が骨抜きになった詩婭さん。二人は5年間ずっとラブラブであったかというとそうではなく、私はあるインスタの投稿に思い至った。

"僕はもう金輪際、現実世界で誰かと付き合うのはやめる。僕の今までの日々よ、くそくらえ"ーーー
『現実世界では』という文言がつくのが俳優という稼業ならではで緊張感を若干削がれるが、詩婭さんとそれはそれは酷い喧嘩を、しかも複数回したうちこの日の喧嘩がその中で1番激しかったろうことを窺わせる、この日の日付けは2019年2月。何と結婚発表の年のはじめだったのである。
9歳歳上、37歳にもなる俳優、芸能人である暁晨と、出会ったときなら23歳であった詩婭さんが、本気の喧嘩をやってのけていたことになる。
それだけでも、彼女がいかにしっかり者で、それだけの喧嘩を経ても暁晨の心を捉え続けた魅力の持ち主であるかが証明される。
初めての彼女、ならまだ分かるが、暁晨はとにかくモテまくりで来る者拒まず、は言い過ぎか、彼女には全く事欠かない半生で、やってくる女の子をちぎっては投げちぎっては投げを繰り返していた百戦錬磨。何せかの『好男儿』オーディションの時すらも彼女を北京から武漢まで同伴してきたほどなのだ。そんな彼のキモチをガッチリと繋ぎ留めてしまったのだ。

私の最推しは結婚した。この世で考えられる限り素敵な人と思いを遂げた。喜ばしい。
そして次に思いつくのは、当然芸能人なのだから結婚式を挙行するだろうということだが、私はきっと暁晨は、式を大々的には挙げないにちがいないと思った。とにかく人と同じことが嫌いで、派手よりも侘び寂びに生きているのだ。
ましてや新婦は一般人である。
ところが…!

何とその日のうちに、結婚披露宴は2日後の7月11日に、新郎の伴郎(グルームズマン)は馬天宇と王伝君であることが発表されたのだ。
馬天宇!王伝君!!
そりゃそうだろう、二人をおいてほかにないーーー
ということはその規模もジミなものではなくなる。
だがしかし、2日後⁉︎
セブンイレブンーーーそういうことか!!
どちらも何と暁晨らしい『びっくり』だろう。

伴郎たち

暁晨が依頼した伴郎四人は
馬天宇、王伝君、赫雷、上白。
どれも納得の人選だ。そして、この四人に依頼出来るという暁晨の立場が、私を興奮させた。

①馬天宇

国民的スター馬天宇はそもそも、暁晨と同じ伝説のイケメンオーディション番組『加油!好男儿』で同じ予選地区から出場し、共に全国にゆき半年を宿舎の同室で過ごした仲だ。二人ともど素人だった。

それから馬天宇は北京電影学院という名門に進み、国民的スターとなった。
暁晨はまったく売れないアイドル歌手から流れ流れて、漸くメジャーな作品に出られるようになった。
ステイタスがまるで分たれても、変わらぬ友情は続いている。

②王伝君

こちらも大物だ。
上海戯劇学院の秘蔵っ子と謳われ、10代の頃からその実力は折り紙つき。数々の賞に輝く。
暁晨と同じ『加油!好男儿』の一年後輩して同じ事務所からデビューし、上海で二年ほど共に過ごした。

同じ舞台劇では伝君が演技の先生となった。
以来13年、家族より恋人よりお互い密に長く過ごした。

③赫雷

同じ事務所の若手。
《鳳凰の飛翔》というドラマで共演。彼は主人公でもあり事務所の社長でもあり看板俳優の陳坤殿下の侍従、寧澄役だった。

日本には他に《幻夢追凶》《大唐流流》《玉楼春》などが来ている。

暁晨は事務所では二哥と呼ばれている

④上白

こちらも若手。
暁晨とはこの二年前に《無名狂》という映画で共演した。暁晨が彼の年嵩になった姿という役だ。映画はほとんど彼が主役といってよかった。

張暁晨結婚発表!伴郎は馬天宇、王伝君!というニュースは瞬く間にネットを駆け巡った。面白いのは
"…で、張暁晨って誰?"
というメディアの皆様の戸惑いだった。

結婚にあたって

久しぶりに会ったバーで暁晨と詩婭さんから結婚の報告を受けたカメラマンである謝徳辰さんは、二人のために映像作品をプレゼントしたいと考えた。
それが、冒頭の甚平姿の暁晨だったのだ。

"僕は極めて野暮ったい人間だ
山が山であるように 海が海であるように
花が花であるように
僕は君と出会った
海は波立ち 世界は波打った
昆虫の小さな触手が世界を擽り
君が何も言わずとも 僕の世界の一切は君に向かって迸る"ーーー

『あなた方の脳裏にある妻と夫とはどのようなものですか』

暁晨:僕は妻と夫とはそれぞれの能力を具現したものだと思う。妻は…優しく賢いもの。夫とは勇敢を代表するもの。それから、…夫は太く、妻は細い。

詩婭:私が思い描く夫は、女性の人生を作るもの。その人といるだけで安らげる存在。そして、とても暖かい気分になれるもの…それが私の思う夫です。

『あなた方は(結婚するにあたり)どのように変わりましたか?』

暁晨:僕が変わったことは…、僕は以前完全に独りであろうと充分満足でした。それから、殆どの場合誰かが僕の世話をしてくれました。
今は僕がだんだん、人(彼女)のためにどう世話を焼いたらよいか分かりかけてきたところです。
簡単な料理や麺も少しなら作れます。
それから、少し複雑なものもできます。皿を洗ったり…、やることが雑多あるためいろいろ考えなければならなくなって、以前のように長寝はできず、早く起きなければならなかったり(暁晨は寝ることが何より大好き)。
これらが僕の変化したことです。

詩婭:私は以前全く平気な独身でした。非常に独立していました。べつに誰を頼らなくても大丈夫でしたし、誰かの世話を焼いたりなんかもしませんでした。比較的独りで平気な人間でした。でも今は完全に彼と一緒にいることが当たり前に感じるようになりました。

暁晨:それは要するに君には僕の世話が必要だったってことさ笑

詩婭:ええ、そうよ。面倒みて頂戴

『結婚観はそれぞれどんなものを持っていますか』

詩婭:私が以前持っていた結婚観は、結婚とは格別に純潔で美しいものでした。美しいものの代表でした。
例え結婚生活の中で口論したり軋轢があるのは現実的で、恐れてもいます。
私の中での結婚はそんなイメージでした。
私が今持つ結婚は、そこに極楽浄土があるような、そんな感覚です。

暁晨:結婚とはどんなものか?結婚にはこういった側面もあると思います。
僕は彼女の身体をよく知っていて、容姿もよく知っている。けれども時の経過とともに彼女も変わってゆきます。
彼女の性格もまた変わってゆくでしょう。
彼女の見た目が変わり、身体に変化が起こるーーー変わらないものは、ではどこでしょう?
僕はこの変化こそ、結婚の本質だと思います。
僕が白髪になり、或いはシミと皺だらけになったとき隣を見れば、彼女もまた同じように変わり果てているはずです。
このように変化が起きることは悲しいかな仕方がない。でもまたそれは、美しいことでもあると、そんな衝動が心の中に湧き上がってきます。
結婚の素晴らしいところは、お互い寄り添い、老いるまで支え合って、決して離れないことにあると思います。

『では、あなた方は結婚に際して躊躇は一度もありませんでしたか』

暁晨:結婚に対して危惧することは多少あります。
自分のやり方や物事に対する姿勢は、以前とは大きく変わるということです。

詩婭:心配なのは、欲求不満になることです。そうならないよう結婚には責任を感じなければならないでしょう。多かれ少なかれ、責任は生じます。
自分だけでなく、家族に対しても責任を感じなければならないでしょう。
独りのような気ままはできない。責任は重いと思います。

『老いたときどのような様子か想像したことは?』

暁晨:僕が歳を取ったら、そりゃあ"悠々自適"、これに尽きるでしょう。あまり行ったことのない場所まで散歩したり、まだあまり体験したことがないことをやってみたり。
そうすることでたとえ今とすっかり身体の様子が変わっていたとしても、平穏で解放的に過ごせます。
歳取った後はきっとそんな感じになっていると思います。
恐らくその頃には子供たちの将来についてそれほど心配も無くなっているだろうし、どんな風に過ごすかを、その時その時で決められる。
そんな生活が出来るなら、それこそ僕がずっとなりたかった状態が来たってことです。
何も煩うことがない。これは僕が今から楽しみにしていることなんです。つまるところ、全ては僕次第ってこと。

詩婭:私が年老いた時、私も彼もとても快適に暮らしていると思います。
私は子どもたちに、傍にいてほしいとは思いません。
それぞれ独立して、自由であり、お互いに束縛される必要はありません。そうすれば、彼も"悠々自適"になれるだろうし、私も楽です。
私の子どもたちも安心でしょう。

暁晨:そうなってるに違いないよ
そうなってほしい、とばかり思っていたらきっと一生をむだにしてしまう。
中年期も少年期も青年期も、それぞれ違う望みがあるんだ。あれこれこうしたいなんて思うはず。
満足を求めて追求するボーダーはどんどん高くする。芸術だけでなくどんなことも、それに向かって精進してゆくもので、だからこそ到達したものに敬意をはらう、それが追求です。
けれども老いたら、追求そのものをしなくなると思います。
基本的な生活というものに回帰してゆき、幸せとはどんなものか、思いのままとはどういうことか改めて分かるでしょう。
そうすれば、自ずとどうするべきかが判るようになるでしょう。
それはもうとても満足な状態です。
そして隣にはパートナーがいる。尚更良いではありませんか?

『恋愛から結婚へと決意する間躊躇はありましたか』

暁晨:当然、以前喧嘩はしました。

詩婭:私と彼は本当によく喧嘩をしました。冗談ではなく、頻繁に。
いいわ、ここは張先生に解説していただきましょう。

暁晨:君はいったい何を言わせたいんだ笑
自分一人ではできないことがたくさんあると思います。それが二人なら、何もない中でもどちらかが手を引っ張ることができます。
二人は異なる時間と異なる場所を生きる運命でした。
異なる者は異なる効果を生むことができます。
僕は今日、彼女と結婚式場に行こうとしています。
僕たちは口論をすることもあるけれど、僕たちがお互いに深く愛し合っていることは確かなのです。
僕は彼女の優しいところが大好きです。彼女はとても優しくて善良です。非常に知識が豊富で、賢い。僕はしばしばとてもふざけますが、彼女も僕の長所を分かってくれていると信じています。
今までたくさんの紆余曲折を経てきましたが、彼女と過ごした4、5年という時間は、僕にとって誰かと付き合った最長期間となりました。
それでも、僕はたいして裕福な人間ではない。
特別いいステータスがあるわけでもない、分かっています。
彼女はこんな僕と結婚すると言ってくれているのです。
僕の妻になる、と。
彼女は将来、僕と共に多くの紆余曲折に直面するつもりがあると。
とても困難な時期も、僕と一緒に超えてくれるというのです。
僕の傍で。
これはとても感動的なことです。

なので、彼女が僕と口論になったとき、僕はこのことを思い出します。
僕たちの結婚がどのようなことになろうとも、躊躇することがあったり、躊躇しても、彼女の困難について思い至ります。
彼女は僕と一緒にいたいと思ってくれる。
彼女は一途に僕を支えてくれる。
僕が様々な困難に遭遇した時
困難に立ち向かわなくてはならない時
彼女は僕と一緒にいて、僕の子どもを産んでくれる。
それが、どんなに僕を感動させたかを。
だから僕は心から願っています。
恐らく多くの良くないことがらは既に過ぎ去り、僕たちの未来はきっと平穏で、紆余曲折があろうとも、きっとこの将来はとても良いものであると
今日列席していただいた皆様も僕たちの幸せな瞬間を祝福してください。

張暁晨
王詩婭

Part2 披露宴 につづく🌹🌹🌹

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