張暁晨 2023.Jan.〜Dec.時間、你慢些走
時間よ、もっとゆっくり流れておくれーーー
40歳の誕生日を迎えた今年、暁晨の微博のプロフィールの文言がこれに変わった。
大いに共感する。
もう若くはないのだーーー"人生のページは、その終末に向かってまた一頁、また一頁進むたびに減ってゆくもの。
過ぎ去る時の速さに、まざまざとそれが感じられ焦る。
俳優としての力量、運勢、経験と未来ーーー
不安定な世界に生き、競争は厳しく激しい。
ことと次第によっては一瞬で白紙に変わる、そんな中国芸能界を、努力、努力、ひたすらの努力で生き抜いてきた暁晨。
しかし、オフのたびに、移動のたびにいそいそと携帯折り畳み式自転車で郊外へくり出すその奔放な姿には焦りは見られない。
むしろ達観した様子ーーーこれぞ張暁晨ではないか?
今年はそんな努力が報われた記念の年
そして節目の年。
張暁晨の一年を振り返ってみた。
新年は家族と共に〜未だ冷めやらぬ《卿卿日常》熱
昨年の暮れはまだ《卿卿日常》が放映を終えたばかりで、何が最も話題かと言って、それは"ムカつくクソ野郎二少主"のことだった。
2022年度末に放映された《卿卿日常》は、放映僅か1週間にしてあらゆるメディアやSNSへの投稿、検索数などで測られる熱度指数という、新たに設けられたシステムが始まって初の10000度超えという快挙、そしてありとあらゆる賞の獲得と、作品への賞賛は群を抜いていた。
《卿卿日常》で何が一番嬉しかったかというと、このように、最も忌み嫌われる役であったにも関わらず、分け隔てなく暁晨のものも作られたり参加することができていたりしたことだ。
多くの視聴者は主役しか興味がないため、脇役があまり取り上げられていないとか、そういう意識で公式ページを眺めた方は少ないかもしれない。
けれども、ほとんどの作品では、専ら主役の二人と、恋の鞘当てに関わるレギュラー数人だけというのが関の山なのだ(劇中のプロが撮影したスチル、メイキングなど俳優の名が記されたもの、インタビュー、特別に作られた海報などを指す)。当たり前でしょうが、だから《卿卿日常》は違った、ということなの。
《卿卿日常》は、いつでもどこでも暁晨の姿を見ることができた。
なかなか無い貴重な体験だった。
勿論それは暁晨も感じており、同時配信のときなど、殆どは笑みを乗せたまま他の俳優の話しを聞いているのみだったが、嬉しそうだった。そういう奥床しさも、また暁晨の魅力なのだ。
暁晨が所属していた事務所も、あまりの熱気に珍しく、一年間の活動を載せた海報に"最大の悪役たる二少主は深い印象を残す"と加えたくらいだ。
さて、その《卿卿日常》の二少主はとっとと消えろ騒ぎに派生した恩恵が、
『みんなも張暁晨にDMを送ろう』キャンペーンだった。
これは、あまりの二少主への憎悪の高まりに身のキケンすら感じた暁晨が、自己保身のためにぶち上げた信じられない作戦だった。
昨年中国では、"代弁する"という行為が大流行りしており、それに乗っかったのだ。
毎晩"なぜあんなヒドイ役ばかり演るの、私たち全然嬉しくないんだけど"と、連日重ねられる悪行に具合が悪くなってきたファンたち(私も含まれる)がとぐろをまき、『なぜあれほどクソなのか』『きっとヒミツがあるに違いない。なぜならば、張暁晨が演じるにあたってただのアホということなどあるだろうか?』などと毎晩検証会議を開いていたのを見ていた暁晨が、
"いいじゃないか、それ!妙案だ!今からDMを解放するから、みんなここで論じていたことなんかを、僕にも送ってみてよ"
"…ハア?"
という展開に。
斯くして、翌日の"娯楽トレンド"に
『張暁晨は私のネット代弁人だ(嫡長主説)』
が。
ファンは"歴史的瞬間"と揶揄ったものだ。
本当に面白い人だ。飽きない。飽きる暇がない。
これだけ憎悪が高まってて身のキケンを感じたから、番組公式でDMを解放し役への意見をドシドシ送ってくれと請い、さりげなく演じている自分と役である尹嵩は区別して認識させるニクイ印象操作。こんな過激&クールなことを、どこの誰が思いつき、実行に移すだろうか。
さて、そんなDM解放大盤振る舞いの恩恵に与った私。
ドキドキして送ってみたら、フイッといつものコメント返しのノリで暁晨から返信が来た。
私が手術したことを覚えていてくれ、労わる言葉と共に、京都が最も好きだと(知ってた)言ってくれていた。尊すぎる。
これでどこの誰が、この人を差し置いて浮気できるというのか。
生涯を捧げて応援する価値ある素晴らしい人だ。
全ては、暁晨の誠実な人柄により起こった顛末だった。
年末年始にかけ、北京は再びコロナでロックダウン。そうなる直前に、暁晨は家族でまた海南島を訪れていた。夏にここでドラマを制作して、家族を同道させ楽しい思い出をいっぱい作ったが、更に思い出を盛るために真冬にまた来たのだ。
尊く誠実な人はまた、素晴らしい父であり夫でもある。
この日は同じ海南島で、並居るスターらが煌びやかなイベントのためにドレスやタキシードに身を包み、これでもかとメディアを彩っていたが、暁晨は一心に地球を掘っていた。
いつしか息子のぐるぐるちゃんは飽きてママのところへ行ってしまい、パパ一人黙々と掘り続け、
童心のままはしゃいでいた。これもまた暁晨の魅力的な部分だ。
年明け、最初の仕事は海南島から戻ってすぐの、青島での《卿卿日常》ファンミーティング。
急遽決まったイベントだったが、暁晨ももれなく招待され、当日はVALENTINOのベルベットスーツで臨んだ。よかった、スウェットとかでなくて…😂やりかねないのだ
アイドル時代、さまざまなバラエティをこなしてきた暁晨だが、久々にそれを思い出した、とてもとても楽しかった、と振り返る。
例え作品中最も嫌われた役だろうと、同じ仲間として共にいてくれる《卿卿日常》での彼は、私たちにどれだけの楽しみを与えてくれただろう。
スタッフに本当に感謝しかない。
エッセイ100篇挑戦…したんちゃうんかったんかい⁉︎
年末暁晨は海南島の大自然、大海原を眺めながら悦に入ってこんなことを言い放った。
"やっぱり文章を書くって作業は人間にとってかけがえのないものだと思う。
たくさん書いて書いて書きまくることで、内面を観察したり、今まで目を逸らして来たモノに立ち向かい、新たな自身を発見し、自分に対してより誠実なキモチを持てるようにするんだ。(←相変わらず自己観察のことしか考えていない)
ってことで、今年はできるだけ長〜い文章をたくさん書くってのを目標にしたい。
そーだなあ、100篇!100篇書こう!
ーーー
張暁晨のファンならば、こう彼が宣言したならば、100人が100人とも同じ感覚を覚えたろう。
すなわち
"晨哥。…またそんな大言を。多分その誓いは守られないよね"。
果たして、ファンたちが皆予感したとおりとなった。
ナンバリングは4月に7個目であやふやとなり、
ファンたちが何個目かをツッコむこととなり、
10月の時点でまだ10個にも届かず、ファンたちが
"晨哥ったら!100個書くなら今月は30個書かないと、もう間に合わないよ!"
と苦言を呈する有様に。
そんなとき、暁晨は言うのだ。
"だいぶ前だったかなあ、やっぱ止めたや、って言ったと思うんだけど(←そんなことは聞いてないぞ)、ま、あんまり大風呂敷ってのは敷かない方がいいってこった"
と。
シレッと躱すこのムカつく態度。マジメなようで、その実そうではない。
このスチャラカなタイドにいちいち目くじらを立てていたら、暁晨のファンは務まらない。
長ったらしい文章を訳しながら
"何だって?"と時折彼らしい写真が上がるもののヒマを持て余していた春。仕事をしているのかいないのかサッパリな日が続いたある4月、嬉しい報せ。
2019年の秋、《千古の愛、天上の詩》の直後に撮影した暁晨の主演映画が北京国際映画祭の"鏡界"部門で上映されたのだ。
中国では主役を領銜主演と言い、レギュラーを主演と言うのでややこしいが、この映画は暁晨が主役なのだ。監督は以前も主役を務めた《無名狂》の李雲波。失意の旅をしていた映画監督が、ある女性に会い…というストーリーらしい。
映画という作品としてきちんと上映されたというだけでも、以前騒動に巻き込まれ、撮影したのみでお蔵入りになった『瀧夜曲』の体験があるために、大変嬉しい。
主役として、いち俳優としてこうして舞台挨拶の場にいる彼を見るのも。
その北京国際映画祭を皮切りに、2023年はヒメイを上げんばかりの播出、日本上陸作の津波となった。
4月20日、正月明けから横店(浙江省にある撮影所)入りしていた暁晨。めでたくクランク・アップの報。
この作品は《風月錦囊》。
暁晨の役所はまたもや拗らせていそうな雰囲気笑
仕事を終えたときの、いつもの嬉しそうな様子に、期待高まる。
普段のラフでちゃらんぽらんな彼と、作品を見て鳥肌が立つような彼の豹変ぶりに、いつも感嘆させられる。
"カッコイイ"は私が嫌うことばだ。これを言うとことさら外見だけを私が見ているような気がするからだ。
言い換えれば、"カッコイイ"と言い放った瞬間に、私も彼も、中身のないアホに思える。
勿論それは私個人の印象であり、拘りだ。
私が"カッコイイ"を使うときは、あえて中身に触れないときか、分かっていて揶揄うときだ。
"素敵"
という言葉で私は彼を形容したい。
内面から滲み出る素敵さ
勿論見た目も素敵だが
彼そのものが素敵だから出る言葉だからだ。
4月29日、GW映画として《奇門遁甲II》が上映。
こちらも、待ちに待った主演作品。
紛れもない、堂々の主役である。
本編は言うに及ばず、ポスター、メイキング、全てに彼がいる。
当たり前だが、暁晨ファンにはめったに味わえない贈り物の嵐、といった感覚なのだ。
嬉し涙が止まらない。まして、あの曰くつきの『瀧夜曲』の存在があるために、殊更に感激してしまうのだ。
世に出るって素晴らしい😭😭😭
映画はネット映画ということもあり苦戦したものの、評判はよかった。
しかし、前作の5000万元を超えること能わず、最終興行成績は2500万元にとどまった。
本編はこちら。冒頭五分不気味だが、暁晨はすぐに登場する。そのあとは中国語が分からずとも、何となくわかります笑
愛奇芸にはスチャラカAI字幕ならあります。
5月、暁晨は家族で西安へ。歴史の文物などを見て回る。有名スターは中国の主要都市を周りながら品牌活動をするが、暁晨にはそんなものはない。
仕事以外は全て、家族と友人たちと過ごす時間だ。
前年はスケートボードにハマっていたが、今年暁晨が情熱を注いだのは自転車。
北京、貴州、恵州、訪れた先で買ったか持って行ったか、よく乗って郊外の風光明媚な場所を楽しんでいた。
まったく、ちっともジッとしていないのだ。
中身はまるで小学生男児である。
"最近ガクッと体が変わったんだ。あらゆるパーツが劣化してきた。
何だか「第二段階」に切り替わった感じ。髪も薄くなってさ"ーーー
去年の夏と今年の冬
暁晨はパパラッチに喫煙するところをキャッチされているが
左手をコートの袖に通さず纏うという
"ラフすぎる"風情の虚を突いてどっこい、吸う際はちゃんと外に出て吸い、最後まで吸い切って吸い殻はゴミ箱に棄てるという、至極当然で当たり前な行動を優雅極まる仕草でやってのけ、"何という紳士な振る舞い"と賞賛されることに。
以前、あるイケメン俳優ZYCが移動中の車内でタバコを吸い、灰を窓から二度落としただけでなく、まだ火が点いていたにも関わらず道路へそのままポイ吸てするという"非文明的行為"を同じくパパラッチされていたのである。また別の日にはタバコを吸いながら痰を吐く様子まで捉えられてしまっていた。
ZYCのファン曰く"彼の活躍をやっかんだ連中の依頼を受けたパパラッチの悪質な嫌がらせよ。タバコを棄てるなんてみんなやってるじゃん、彼は中身が素晴らしいの、こんなことで評判を落とそうったってそうは行かないわよ"らしい。
この開き直った態度が更なる批判を喚んだ。
私はこのじけんをあるきっかけから知っていたため暁晨が同じくパパラッチされた動画を発見したときは
どうだ!批判できるならしてみろ、彼がそんな酷いマナーなものか、と彼を信じていた。
動画のタイトルは『男性スターのマナーは向上した』だ。
やはり張暁晨だ。芯から紳士な彼が非文明的な行為など取るはずがない。いつどこでパパられようが大歓迎である。誇らしくてならない。
タバコはやめてほしいが…劣化も防げるはず。
第二の故郷で、夢の舞台に
6月ーーー暁晨はついに上海国際映画祭の紅絨毯に!
私は当初、またもや関係がないことだとため息をついていたのである。
ところが、暁晨からの微博を見て、ひっくり返るほど驚き、ついで号泣した。
初の紅絨毯?初のタキシード?
そんなばかな、あるでしょ?
と思われた貴女は恵まれたファンだ。
というか日本では当たり前の、「主役ばかり俳優」のファンであられる。
人気者、アイドル、もしくは代表学府である北京電影学院、中央戯劇学院、上海戯劇学院、北京舞踊学院、北京音楽学院などのエリートか…
なら年に何回も、まるで制服か何かのように頻繁にタキシードで紅絨毯を踏み締めまくっている姿を目にできるであろう
しかし暁晨は地方の工業系大学の、会計課出身で、素人オーディションからデビューした何のスキルもハクもないところから出発した。
そう、外でもない、この上海でーーー
約三年間、この街で暮らし、憧れた煌びやかな世界で芸能人として振る舞う全ての素養をこの街で学んだ。
以来、夢に向かって邁進すること
謙虚さを忘れず、けれども自分の良い面を積極的に出して自信のさまを示すことなど、奇跡とも言える人との縁と信頼のみでキャリアを繋げてきた。張暁晨に関わった監督たちは皆
"この子は天性の俳優としての素質を持っている。磨けば相当のものになる"
と一様に感じ、最大限のサポートをした。
それは張暁晨が、常に真摯に出来ることを惜しみなく吸収しようと努力する姿勢を見せ、誠実で穏やかな気性と謙虚さを失うことなく課題に取り組み、結果を出してきたから築けたもの。
何も知らなかったからこそ、その場その場で受けた指導を、吸収してゆくしかなかったのである。
専門演劇大学を出ていない暁晨にとって現場だけが学びの場、アイドル歌手から俳優へ、主役から端役、脇役からようやく主役へと悩み苦しみ、必死になって演技を磨いた20年。
恵まれていたとは言い難い紆余曲折と遠回りの20年だったのだ。
そして思い出の地上海で初めて、俳優として紅絨毯を歩くことが叶った。
初めて俳優として袖を通すタキシード。
感無量だ。
他のどの俳優よりも、感慨と喜びを持って踏み締めていたのではなかろうか。
それほど遠い、縁のなかった日々だった。
この夢の晩、暁晨はある言葉を微博に出し、すぐに削除した。
その消した言葉とは
"僕は感情表現が希薄な人間なんだ。…だけど本来は違ってたってことが今夜分かった。僕のせいなんだ"ーーー
心から嬉しく、興奮した暁晨。感傷的すぎるこの感慨を、出したもののこんな素直な独白は自分だけに秘めておこう、と消したところも非常に暁晨らしい。
愛しさが溢れる瞬間だ。何て人間らしいのだろう。
それほど嬉しい。私も嬉しい。
映画祭の詳しいレビューは下の記事からどうぞ。
映画祭からの播出ラッシュ〜ちょっと!作業が終わらない!(嬉しい悲鳴)
映画祭の翌日、暁晨は所属事務所に併設された養成所のワークショップに参加。
ゲストはサハリンのチェホフ劇場の所長であり、著名な俳優であり舞台監督でもあるウラジーミル・ベッヒャー。演技の研鑽にも余念がない。
7月、暁晨は《凡人仙侠伝》の撮影のため横店へ。
飛行機から北京を発つ際の写真は、いつもオフとの切り替えと、新しい役へと変身する期待と不安に満ちている。
《凡人修仙伝》歴飛雨ーーー主人公の親友役だ。
この作品は武侠ものということもあって、夏場のアクション撮影は過酷だったようだ。
"常にジャンプと回転が連動し、風も泥も雨も熱気を孕み、冷気を吸収する"
このロケでは常に雨が降っていたようだ。
とてもドラマチック。
暁晨は最初の10年、激しいワイヤーアクションが目白押しの時代劇によく出ていた。
ここ10年も、ファンタジー古装劇でワイヤーアクションには挑んでいたものの、本格武侠モノは初めて。いろいろ勝手が違ったのかもしれない。
8月9日
今度は実験的に制作された短編映画、《星環》が上映。
この映画は上映時間20分という短編ながら、中国初の8Kで撮影された実験的SF作品。
暁晨は地球から29億㎞離れた天王星の研究機関に勤める科学者。しかし、地球との思念通信の実験中の事故で生死不明に。
恋人は暫く2人で過ごしていた日々の録画や、アンドロイドで気を紛らわしていたが、行方不明の恋人を探しにゆくことを決意、2人は29億㎞の時空を飛び越え、再会する、というラブ・ストーリー。
暁晨は幼い頃、科学者に憧れていた。
残念ながらお勉強があまりできず、本当の科学者にはなれなかったが、俳優を続けてきたからこそ、夢をバーチャルで叶えることができたのである。
8月10日
WOWOWからチャンネル銀河に『風起隴西』が降りてきた。
より多くの方に見てもらえるかと思いきや、あんまり盛り上がらなかった…
黄預の話題は無いも同じ。
仕方なし、虚し、かなし。
サテ同じく8月10日ーーー
"あの"超超話題作、王鶴棣をスターダムにのしあげた《蒼蘭訣》の二番煎じで期待されていた
《七時吉祥》が开播!
昨年6月、すてきなすてきな天君(神仙を束ねる天界の王様的な存在)すがたを見てから楽しみでならなかった作品だった。
当初、天君だから
高みからさまざまな困ったじけんを報告され、良きにはからえ、とOKを出す、その程度の役がらだ、とだけ思い、脇役だと軽く考えていた私だったがとんでもなかった。
何とのっけから怪しい匂いがプンプンするどころではなく
黒も黒、真っ黒けの天君!!
しかも、どこを取ってもステキ!
最高の張暁晨劇場!!な幸せ🖤🖤🖤🖤
日本上陸のあかつきには、熱く語らせていただきます🖤🖤🖤🖤
8月11日、WOWOWにて《卿卿日常》日本初放送。
"まともな"日本語字幕での鑑賞はやはり最初の印象からして変える。
素晴らしい。
暁晨の役所尹嵩は"いん・すう"とあてられた。
嵩の字を"崇"とされている方もみえた。
このほど、12月に《卿卿日常》はめでたく放映を終了。本国と同じような反応だった。
尹嵩兄さまの末路については、日本の視聴者は中国よりも冷静で冷たく、"妻たちにした仕打ちは許し難い。数々の所業により自業自得。最後まで見苦しく、育った環境は酷い行動の理由にはならず同情しかねる"
というもので、退場したのちは話題にすら登らなかった。
尹嵩の辛さ、焦りなどがあの酷い行為は愛を、安らぎを、自由を求めようと許されなかった、尹嵩の叫びなのだという解釈のもと演じた暁晨の苦心はバッサリと斬られてしまった。
犯した所業は酷いもので、私は反論できる余地を有していない。
これもまた、仕方なし、虚し、かなし。
"今年見た作品のお気に入りキャラ"に張暁晨が演じた役が入ることは、無い。
仕方なし、虚し、かなし。
8月12日
昨年夏海南島で撮影していた、《白日夢我》が播出。
連日の开播に放映に忙しいのなんの。
しかし、この作品での暁晨の役所は、全く分からなかっただけに、本編を見て感激だった。
暁晨が演じたのは中学生で少し尖った、どこかニヒルな主人公沈倦の叔父だ。
家庭の事情から、10歳のとき叔父に預けられた。
叔父は洛清河といい、生業はシルバーアクセサリー作家。独身。
この叔父はとにかく魅力的な人間で
モノを創る職人というのもあって最愛の、と形容してもよいくらい、主人公に影響を与える。
ある日、叔父のお気に入りのカップをあやまって割ってしまった。
謝り、修復しようとする倦に、叔父は
"治さなくていい"と言う。
"どうして?だって叔父さんの一番のお気に入りのカップなのに"
"この世にある全てのものには生と死があるってことを理解しなさい。
お前の済まない気持ちと悲しみは、このカップに伝わってると俺は信じてる。
割れたままでいいんだ"ーーー
あれから
叔父は交通事故に遭いーーー
植物状態のまま…
"この世の全てには生と死がある"
沈倦は最愛の叔父との忘れられない思い出たちを胸に
叔父の"延命治療打ち切り"の書類に署名する
辛すぎる選択
辛すぎる別れ
それだけでなく
叔父の事故にはあることが関わっていた
沈倦はそのことにも苦しんでいたーーー
大好きな大好きな叔父さん
すてきな役だった
8月末
北京にてパパ友会
前年に結婚し奥様(スーパー実力派女優斉渓)の連れ子が存在する王伝君と友人Aと共に
お互いの子どもが共に幼稚園くらいの年齢なのだ
もしかしたらここに隋咏良が加わることもあるのだろうか
9月25日
またもやシルクロード国際映画祭のゲストに張暁晨の姿が!!
度肝を抜くど派手な屋外ステージ!
そこに上海と同じ、《盗火者》チームとして暁晨もいました。
当初彼だと遠目でわからなかったのは、降ろした髪と、銀縁の眼鏡、ガバガバのスーツのせいだった。顔も何だか白いし笑
本当に《盗火者》のおかげで、貴重な機会を得られてばかりの年となった。何だかんだ、年内の公開にはならなかったが、もし上映されたら主役はアイドルの王源だし、そこそこ入るのでは、と期待。
やはり暁晨の役所は反派なようだ。堂々の生日海報!
そう、そうなのだ。今年最大のニュースは、このときのことが一切、事務所の記事にならなかったことと関係があった。
なぜ上がらない?
首を傾げたまま迎えた誕生日ーーー
いつもなら、所属事務所からこのような特別なグリーティングが上がるはずなのだ。
ところが当日は、待っても待っても、ボスの陳坤殿下のものばかりで、ついに日付けが変わってしまった。
日曜だから?翌日が国慶節だったから?忘れた?遅れている?
そんなことがあるのだろうか?
モヤモヤしたまま、私は彼に祝辞を送った。
昨年は微博のコメント欄で。
そして今年は、DMで!
毎年、信じられないようなことが起こり、その度に暁晨に言い表せないほどの感謝を感じ、ここまで来た、5年目。
誕生日についての記事はこちらを。
しかし、事務所から何もないまま数日が過ぎ、不安に死にそうになっていた10日目の10月9日。
『東申未来』から『萌樣衛視』へーーー
何と暁晨は40歳の節目、芸能生活20周年の節目に、自らに更なる変革と未来を齎すために移籍を敢行したのだった。
奇しくも、このとき私は大阪の住吉大社にいた。
ここは船出の吉祥を祈願する神社だ。
私は新たな彼の未来への発展を祈願した。
それを暁晨に伝えたら、
"ありがとう。今の僕には、この祝福が必要なんだ"
と喜んでもらえた。
こんなやりとりもDMならではだ。
表ではなかなか神社の話は難しい。
しかしながらせっかくの生日に海報がなかったのは惜しかった。一年で一回の楽しみなのに…
萌樣衛視はかの王鶴棣が所属する事務所だ。
王鶴棣が一枚看板と言ってもいい。彼も含め、所属俳優は若者ばかり。
そんな事務所に暁晨のような中途半端な年齢と芸歴で、クセの強い職人俳優がいて大丈夫なのか?
またなぜここに決めたのか?
最近アイドルが主役のドラマにばかり太鼓持ち役で出演しているのと関係あるのか?
まさかこれから、そんな役を頼みにしてやってゆくつもりでは?
不安は拭えないが、彼の並外れたバランス感覚を信じてついてゆくしかない。
そのほかのプレゼント。
ガバガバスーツはdunhillのものだった
この"合わない"スーツのように、今は何となく収まりが悪いが、いずれピッタリ来るようになってくれたらと願う。
もう一つ、プレゼント。
移籍に関する暁晨の考えが語られた記事はこちらを。
ちょっと待って、フォロー⁉︎ホントに⁉︎
11月
私はあるパニックに襲われていた。
暁晨に美しい虹の写真を送ろうとしても、
DMは最初の一文しか送れない仕様に変わってしまってたのだ。
この焦りはあることに由来する。
上画像のときの私のテキストのバックは、ファンダムでの私のステータスを反映し、紫色になっている。ファンダムでは、鉄、金、ダイヤモンドの階級があり、私は紫のダイヤモンド級ファンなのである。
ところが、そのとき送ろうとしていた私の画面は、普段仕様、相互フォローしている他のファンたちと会話するときの、普通の青色に変わっている。
実は、9月の生日のときには既に初期仕様の水色だった。だが、今回は画像を送れなかったのである。
画面には、初回につきものの
"相手にフォローされていないため、貴女から相手に送れるのは最初の一回分だけです。
相手が貴女に返信をしたら、その後会話を続けることができます"
という文章と、
"画像を送るためには課金を"
という、今までにはなかった文言が。
困った私は頭を抱えた。
そして、Instagramの彼の投稿へのコメントとDMに、困っているため返信してほしいこと、画像はもう送れないため、見てほしい写真は私のホームに上げるので、気が向いたらアカウントを訪れてほしいことを書いた。私がもし暁晨なら、「面倒くさいファンだ」と間違いなく思うだろう。
諦めモード85%くらいの落胆だった。
今まで暁晨の好意からとはいえ、DMできていたのが滅多にない僥倖だったのだから…出来なくなっても、それは当たり前のことであって、出来ていたこと自体が奇跡だったのだから…と言い聞かせていた。
すると2週間くらいして暁晨から返信があったのだ。
暁晨:なして返信出来ないの
私:ついに返信してくれたのね!
暁晨:インスタ見て(窮地を)知ってさ
私:インスタを!見てくれたのね!ご迷惑おかけしてごめんなさい…
という顛末があり
冷静にもう一度注意書きを見たら
"送れるのは字のみで画像送りたいなら課金"
だった。疲れる。
そして更に半月ほどして
信じがたい通知が!!!
ーーーそれはまるで、初めて暁晨からインスタで返信を貰った時と同じ気持ちだった。
あのときは驚愕のあまりスマホを放り投げたが、
今回は就寝直後だったためベッドから転げ落ちるところだった。
しかしこれで、全ての懸念は吹っ飛んだわけである。
懸念①暁晨に送れるのは100回のみで、1回分は1週間、ダイヤモンド値を連続して貯めたとき、一通分送ることができるポイントを獲得できる。
毎日このポイントを貯めてゆくのだが、ポイントはファンダムチャットに何かしら書き込みをし、彼を応援する何かしらの行動(ファンダムへの記事投稿、またはリポスト、または他のファンの投稿へのいいねやコメント書きなど)をし、この2つをして初めて受領できる。
ただこのポイントも、取得してから180日で失効してしまうのだ。
暁晨へのDMは、無制限にはできないのである。
②こうなってしまったら画像は送れない。
もしか最後の投稿から日が経つ度に、初期仕様に戻るのか?その度暁晨の返信を待たねばならないのか(全て目を通してもらえるわけではない。目を
通して貰えないからといってゴネたりしない。当然である)。しかしそんな頻繁にDMを送れない。しつこい、節度の欠如した奴だと思われてしまう。
③。これが最大の懸念であるが
実は頭のチャット画像で暁晨は、今年日本へ行くつもりがあること、そして日本に着いたら私に会うつもりがあることを伝えてきていた。
彼が来たとき、お互いに連絡を取り合わなければならないのに、返信数制限があるのに、送れないことになったら困る。
返信を貰えぬ限り会話を続けられないのはインスタのDMも同様である。
最高なのは微博かインスタで、暁晨から私をフォローしてもらえることだが、さすがにそれは無いだろう。微博でフォローすれば全てのファンが知ることとなる。そんな不公平で馬鹿げたことはしないだろう。
インスタなら希望がないではないが、やはり有り得ない。
フォローしてくれとは口が裂けても言えない。そこまで厚かましくはない。
からの、まさかの
"暁晨からのフォロー"
だったのだ。
何というアメージングな展開だ!
これで全くの懸念なく、彼と自由に何でもやりとりできるのだ!
(とはいえ暁晨はインスタには低浮上なので普段は微博のDMにメッセージを書いている。無問題だ、いざというときのホットラインさえ確保できていればいい)
何て人だ、これが惚れずにいられようか!✨✨✨🌹🌹🌹
新たな姿と新たな出発
11月27日。
暁晨はこの2週間前からまた撮影に入った。
今年は自宅にはいてあげられなかったが、愛息ぐるぐる(咕噜咕噜)ちゃんの4歳のお誕生日には、また私たちに可愛らしい姿をお披露目してくれた。
目に入れても痛くないとはまさにこのこと、彼は仕事以外の時間を、全て息子に捧げているかのようだ。
一年の2/3は家を開けている暁晨。
オフの期間は思い切り息子に愛を注ぐ。
11月は暁晨は王鶴棣主演の《大奉打更人》を撮影していた。
空き時間を、電車を使い周辺(といっても隣りの省というくらい移動距離は遠い)を旅して、現地の食を楽しんでいた。
自転車も持ち込み、郊外をサイクリングしたりして過ごしたりもする。
例の喫煙パパラッチ動画は、このときに撮られたものだ。
貴州にて。
激辛肉ラーメンを食べていたらスープにハエが。
"すごいな。貴州のハエは唐辛子入りの邀熱スープにダイブするのか…過激な死も怖れずに。何て勇気だ"
と感動していた。
とっっても暁晨らしい。
勿論、この時点で食べるのはためらわれたのでここでストップしたそうだ。
何なの…
《大奉打更人》には《卿卿日常》でも一緒だった劉美含など、たくさん出ている。きっと3度目の再会に、賑やかな王鶴棣の気性も相まって、和気藹々とした雰囲気だったろう。
クランク・アップは12月12日。
このあとの打ち上げにも、暁晨の姿があった。
同じ日、暁晨は現場に持ってきていた椅子の写真をアップした。
この椅子はもうかれこれ13年使用しており、何回も修理を施して愛用してきたが、もう寿命かな…と何とも愛着と哀惜を滲ませていた。
この物や人、自然や思い出など、ありとあらゆるものへの愛、そこに注ぐ絶え間ない愛、独特で優しくて誠実で、真摯で優雅で品があり、しかし豪放磊落なところ、力や関心を抜くときは抜く、やるときはとことん、やらないときは超適当人間な彼、
この1年を振り返るだけでも、
どれだけの幸せと感動と笑いと涙を与えてくれたか…
この1年の暁晨の姿をご覧にいれたが、張暁晨という人は、とにかく見ていて飽きない人だということを、知っていただけたのではと思う。
そして、私と同じように、彼を好きになり、興味を持ち、応援して下さる気持ちを持っていただけたなら、感激です。
来年も、暁晨は更なる活躍と感動を与えてくれるに違いない。
いつもありがとう。
本当にありがとう、貴方を知ることができてよかった。
貴方の存在に感謝します。
貴方の心に感謝します。
来年も私は貴方を応援し続けます。
私の持てる全てを注いでーーー。