王伝君と劇とテニプリ〜『好男儿』からの独立〜
王伝君
1985年10月18日生まれ
上海戯劇学院卒業
在学中より上劇の秘蔵っ子と呼ばれる実力派、在学前から俳優として活躍していた彼は『加油!好男儿』の2007年度生オーディションに応募するーーー
上海地区からエントリーし、5強に残り(第4位)全国大会へ。
しかしながら、ここではパフォーマンスが上手すぎ…かどうかわからないが、『好男儿』ではあまりに一定のレベル以上の"ナニカ"がある場合生き残れない"ナニカ"が存在し、大逃殺ーーー暁晨らの初年度は容赦ない30人→15人の大殺戮だったが
次年度は20人→10人の淘汰劇ーーーのさいに落ちてしまった。
落ちたときの曲は初年度の方が名曲で、無念さ、温かさ、美しさなどがよく表現されていたと思う。2007年度は初戦だけ見てみたが、スタジオ演出がド派手になった分、淡白でスピーディーになってしまったと感じた。
先輩は優雅で色っぽい
けれど他は伝君の方が上
さて先輩暁晨らは、オープニングでまず登場した。
初年度はイラストで表現されていた"ヒーロー"
すてきな格好をもっと見たかった。
先にSMGと契約し活躍する前年度『好男儿』らは、試合中何かとお手伝いをした。
『好男儿』に出場した選手らの"憧れの先輩"として暁晨は慇懃に優雅に振る舞った。
"最佳紳士風度賞"を受賞した暁晨は終始この
"優雅"の象徴とされた。
先輩暁晨は『好男儿』の番組中こんな感じで選手をエスコートしたり
一緒に試合に参加したりしていた。
伝君はひときわ目を引く187センチの長身と(鍾凱と同じ)、場慣れした才芸の魅せ方、ユニークで親しみやすい明るさで、オーラの違いを見せていた。やはり素人とは違う。
伝君は10強に入れなかったものの、復活戦で返り咲き、最終的に11位に。
好男儿』の後上海戯劇学院を卒業。
SMGと契約し、すぐに始まった『好男儿』コンサート。これで一通り『好男儿』とは別れを告げることになる。
上のコンサートは恐らく全国巡回のときのものだと思うがよく分からない。私の大好きなステージだ。
毛方圓の笑顔が楽しい💕💕💕ラップを歌っている選手が誰なのか分からない。
とにかく暁晨がとっても可愛いのだ💕💕💕
はたと気づいてみれば
これがいつのものか分からないという信じられない結果に。1番のお気に入りなのに。
三本の舞台
初めて臨んだ"舞台"
そう、全く演技の基礎訓練、経験のない暁晨が舞台演劇をすることに。
『赤と黒』、スタンダールのこのザ!古典文芸作品!に『好男儿』を出す⁉︎
と批判を浴びまくり、いきなり針の筵に座らされたものの、舞台監督から"彼は真の俳優に成る資質がある!"と期待をかけられ、上海芸術センターのベテラン宋憶寧、徐承先をわざわざ招き特別レッスンを受けさせてもらい、王伝君ほか若手の俳優と一緒に"演ずる際の感情の表し方をレクリエーション感覚で学ぶことができ"とっても楽しく面白かった"と特別待遇に胸を弾ませた。
練習とリハーサルを重ねて臨んだものの、初日の最初の動作をしたとき、暁晨は手が震えていたという。
主演の李宗翰に"よかったよ"と励ましてもらい、ときめきながら
素晴らしいパフォーマンスを間近で見て
その確かな技術を膚で感じながら
暁晨は改めて、俳優としてやっていきたい
と考えるようになった。
''俳優は他のパフォーマンスとは違ってミスが許されない。
湧き上がる感情を、的確に観客へ伝えなければならないんだ。
それぞれの役柄の善悪を表現するのが最たる役割だ。
そしてその表現は独自で生み出すもので、それには決められた枠などない。
いつの日か素晴らしい俳優になって、僕の中の様々な感情や解釈や意図するものを、魂に委ねて思うままに爆発させてみたい。
例え悪人でも構わない。僕が感じた、まだ出会ったことのないキャラクターの感情を、僕が生み出した僕の表現で、解釈してみたい"ーーー
暁晨の『好男儿』からのファンクラブ『オレンジジュース(橙汁。暁晨ーーシャオチェンのチェンと橙のチェンがかけられている)からの花束を、暁晨は初日の晩のブログで載せている。
愛のたくさんこもった、何より励まされた贈り物だったろう。
暁晨の演技は努力の結果"賞賛"へと変わり、アイドルもどきの偏見を払拭するとともに暁晨自身にも演技に対する興味と更なる向上心を齎した。
在学中から"神童"の異名を恣にしている伝君を後輩ながら頼りにし、慕い、暁晨は演技のノウハウを伝君から教えてもらった。公演が終わるころには、すっかり意気投合し無二の親友に。
公演の終盤には髪が紫に。8月の初演から秋になるまで、約2か月の興行中、暁晨の演技を見て、閉幕後記念撮影を頼む外国人の観客が引きも切らずだったという。
公演中『好男儿』のみんなも応援に駆けつけてくれた。写真は陳怡川。
千秋楽を迎えたとき、僅か半年(公演は2ヶ月)の間の自分の成長に感慨を抱きながら、暁晨は当初受けた批判を思い出していた。
ただでさえ『好男儿』出身だということで色眼鏡で見られ、純粋に演劇の専門機関で学び、演劇一筋で漸くこの舞台のキップを掴んだ他の俳優らの妬みと冷たい態度に、何度この『好男儿』のレッテルを剥ぎ取りたいと思ったかしれない(文中帽子と呼んでいるのはこのこと)。
公演中、カーテンコールの"最中"に、暁晨のファンが舞台に上がり花束を手渡したハプニングがあった。たまたま観に来てくれたファンか、ファンクラブのメンバーかは暁晨には判断がつかなかった。
暁晨は舞台監督から厳しく叱責を受け(中国では自分のファンを俳優自身が管理する決まりがある)、開幕から閉幕までが公演であること、舞台は選ばれし者だけが上がれる神聖なものであることを教わった。
練習中、不用意に持ち道具を床に置き激しく叱咤されたことなどもあった。
"真剣に取り組む"ことを、叩き込まれた。
だからこそ、終わって暁晨には新たな気概が生まれていた。
『好男儿』出身だからって何が悪い。自分はやり遂げてみせる、いつかきっと一廉の俳優になってみせると。
奮闘
2作目の舞台『奮闘』。人気があった同名のドラマの舞台化。暁晨はキャスティングの段階で出演が決まっていた。監督は『好男儿』のときから暁晨に注目していたといい、実際に暁晨の演技を見て"やはり、逸材"だと確信した。
暁晨も期待に応えた。この時期の暁晨の魅力は、"美しいマスク"と"人懐こい可愛らしさ"と"仕事に対する真摯さ"そして今も変わらないのは"自分を徹底的に分析する客観性"である。
『好男儿』上がり、というレッテルを見事に努力により成長の跡を見せて評価へと繋げた。
記事はこちら。
この記事の最後に見逃せない箇所がある。
"張暁晨のマスクの美しさは台湾一の美女でも敵わない"
なぜ台湾一…⁉︎大陸ではないのか?
帥気ではなく美しさなのか…?笑
そして
"彼の膚はとっても美しいのよ、羨ましいったらないわ!"ーーー
そうなのだ、『好男儿』地区予選で登場したときから、暁晨の顔は"膚が美しい"と言われていた。
"化粧品の品牌人(イメージモデル)に"
まじですか、どうぞどうぞ使ってやって
再見、我的愛人
三本めがこの『再見、我的愛人》。最後の舞台作品であり、並々ならぬ気合で臨んだ。
初めての古装劇(時代劇)《美人心計》と続く《新・水滸伝》を経験し
暁晨は以前の2つの舞台よりも場数を踏み、バラエティ番組のパネラーやMCなど、喋りのスキルも会得し、あっという間のデビュー3年間、自身が身を置く芸能界で、自分がこれほど機会に恵まれてよいのだろうかと戸惑うほどに、さまざまな経験をさせて貰ったと振り返った。
無名の歌手が芸能界の駆け引きの中で、上司である女性と、一般人である女性とどちらと愛を貫くべきか苦悩し、真の愛に気づいたときにはーーー、というストーリー。
初めて台本を読んだ時は、何だかベタでシンプルすぎる、と思った暁晨だったが、リハーサルを繰り返すうちに、シンプルなストーリーだからこそ、深い表現が重要であることに気づいた。
幼馴染と交わした他愛のない誓いを、自身がどんどん長いものに巻かれてゆく過程で守ることができなくなり、迷いと夢、誠実さと冷徹さに漂う主人公を、持てる全てで表演した。
初恋の子か上司か⁈
超有名歌手になるための選択はどちらにすべきか、芸能界の闇をも切り込む、純愛劇。
『好男儿』のときも、そしてこのときも、そして今現在もーーー張暁晨を特別なものたらしめているのは、徹底した解釈による役作りと自己分析、そして何よりも"自信"。
過信でも慢心でもなく、精一杯努力したからこそ抱ける自信と、より優れたものになろうとする夢を抱いてまた努力するその姿。
"一個の表現者として、このような大きなチャンスを与えられ、責任は重大だけど、努力を尽くしやり切った時は感激で、胸がいっぱいになる"
ーーー
暁晨は初めての《赤と黒》の舞台本番前に、ネズミに囲まれ食い荒らされる悪夢に飛び起き、本来の自分ーーー臆病で、恥ずかしがりやで、愚鈍でパッとしないその意気地のなさに悩み、うんざりしていた自分が蘇り、俯いた。
次いで己を叱咤した。
そんな自分を変えるために、モデルをし、挑戦できることは何でもすると、『好男儿』にも応募したのではなかったのか?
引っ込み思案な自分と決別し、内なる感情を外へ解き放つ。
成長し、自分しかできない表現で、人を幸せに、感動させてみたい。
夢は諦めない。それには洞察と努力を惜しまぬこと、きっと自分はできる!
張暁晨の靭さは、こうして常に初心を忘れぬことにある。
テニスの王子様
《赤と黒》を終えたころ、暁晨らは2008年3月、ドラマを撮る前に、"上海アニメフェスタ"で『テニスの王子様』のコスプレをした。
みんな青学笑
先程の張超と魏斌、宋暁波、毛方圓、陳澤宇がいる。
これが評判がよかったのか、すぐに本格的にミュージカルかドラマをやろうということになり、
"みんな青学"でなく
青学なのは伝君と陳澤宇。
氷帝な巫迪文と
山吹な鍾凱と沈仁杰
そして
聖ルドルフ学園な暁晨
ただし中国には部活動がないため設定はみな大学生だ
暁晨は観月はじめ役だ
誰が配役したのかピッタリではないか…
暁晨の髪が『赤と黒』から紫メッシュなのにお気づきだろうか。
制作スタッフは、なるべくアニメの髪型や雰囲気に近づけようとし、馴染みのない日本風の髪型を再現すべく、日本からわざわざ美容師を招き、スタイリングを任せた
ところが暁晨の黒髪は手強く、黒髪を更に黒く染めており、そのせいで何度脱色しても完全に色が抜けず、暁晨の髪のダメージを心配した美容師の苦肉の策でこのメッシュとなったのだった
"紫って…(笑)"
と暁晨は言っていた
そして出来上がったのがこの造型だ
魏斌がこれまた可愛く繊細な演技、うまいではないか、元気弾けるお調子者ポジティブボーイが悩みまくるようす!
惚れ惚れするここの表情芝居。
『好男儿』のときのフラフラした大根ぶりは何処へやら、しっかりもう張暁晨だ。
そしてこのシーン!
このときフェンスの向こうの観月は尊大だが暁晨は伝君を演技の先輩だと尊敬しており、彼からいろいろレクチャーしてもらった。
今現在の二人の絆を知った上で見てみると胸熱なシーン。
個人的に好きなシーン。
私は暁晨の叫ぶ芝居が好きだ。
これから長らく声優による吹き替えばかりの暁晨だが、テニプリは原声だ。
今思えば周助は陳澤宇だった笑
バドミントンコーチである澤宇を最強兵器不二周助に据えるとは
初めて見たとき澤宇の背に"高ッ!"と驚き、188㎝の澤宇、187㎝の王伝君や鍾凱に取り囲まれる182㎝の暁晨がまるで背が低いように錯覚してしまう
178くらいが平均の日本の男子がこの中にいたら"ちび"と呼ばれるに違いない
澤宇と暁晨はこのころ宿舎で同室だった。
王伝君とはこの後も
家族より
恋人より
長い時間を共に過ごす
演技に対する姿勢
好きなもの
ファッションやライフスタイルや趣味
全てにおいて共感でき共有できる
伝君は第一線で活躍する実力派
暁晨は細く長く遠回りする実力派
大仙衙門
2015年秋
暁晨が自身の主演ドラマを横店撮影所で撮影しているとき
伝君も同じ横店で自身の主演ドラマを撮っていた
それが『絶命卦師』と『大仙衙門』だ。
暁晨と伝君と暁晨の両親
暁晨は『絶命卦師』の役の格好だ
こちらをクランク・アップしてすぐに伝君のドラマに合流した。
暁晨は2015年
4月より『三国志趙雲伝』6月より『皇帝の恋』、8月に陳坤殿下のチャリティー活動である山行に行ったのち9月から『絶命卦師』、とほぼノン・ストップ。
それでも親友との得難い共演の機会を重んじ、捩じ込んだスケジュールだった。
暁晨は親友を装いながら実はとんでもない野望を企んでいる皇太子だけれども狸狐妖怪である任平生を演じた。
苦節10年
こんな訳の分からない役を演じられるまでになったのである。
皆さんはおできになりまして?
そして二人は出会ったのです
出会うべくして
いつも一緒にいる二人が。
二人を知っていたらニヤニヤ笑いを堪えて楽しむしかないこのカンケイ
しかもまた平生が美しく見惚れてしまうほど
この直後が"あの"牧雲徳
言わずもがな
ファンの間でもとても人気が高いキャラクターだ
方や名門演劇大学出身の実力派で
映画を中心に数々の賞を獲得していて
方やモデル、アイドル歌手から身を立てて役者として何とか生き残り主役まで務めるようになれた
その間の10年
ずっと共に過ごし
一つの作品で主役と主演として仕事ができる
すてきな関係ーーー
撮影所にも顔パスで遊びに来られる"腹心の友"
遊びに来てスタッフからも王伝君が!と言われるほどのスターなのである
これでもか、と載せたが
15年ずっと、離れずに友誼を保っていること、お互い俳優として活躍していること、お互いを崇拝し、高め合い癒し合える関係であることーーー二人を見ていると、羨ましくなるほどだ。
暁晨は結婚式で、伝君に伴郎(グルームズマン)を務めてもらった。馬天宇と相まって大変な評判になり、暁晨の知名度ではとても不可能だったマスコミの注目を集めたことで、この結婚式が大変有名に。張暁晨が総合プロデュースしたこの式はそれだけで
"ただの"式ではなかった。それがここまで注目され、報道されたのは伝君と天宇のおかげだ。
結婚式の一部始終はこちらで。
伝君はデビュー以来数々の賞を受賞してきたが、最近の『薬の神じゃない!』の快挙によってますます知名度を上げた。
24年にはついに主演映画《黙殺》が大ヒット。
いじめのエスカレートにより殺された中学生の娘の父役を熱演した。
実力があり演技派の彼は、母校である上海戯劇学院の在校生らにとって憧れであり目標だ。その実力、ファッションを含めたライフスタイル、全てがスタイリッシュ。
伝君のそのライフの陰に常に暁晨がいることが、暁晨ファンである私には大変光栄なのだ。
毎年一本以上という映画出演
日本でも彼の作品が見られる機会が増えればと願う。
現在、王伝君は上の《莫尔道嘎》での共演した大女優、斎渓と結婚し一女がある(このほど二人めの子どもができたことが噂されたばかり)。
パパになった暁晨と一緒に、イクメン団欒を持っている。
伝君は有名人のためか娘の顔は非公開。そのため暁晨もこの写真では息子の顔を隠している
また、珍モーメントとしては、北京で馬天宇とのランチの約束を暁晨がドタキャンし、急遽伝君が代行するといった出来事も。
三者の関係を知らなければ分からないおかしみ。
『好男儿』の絆と天宇や伝君との変わらぬ友誼。これらはやはり、『好男儿』だからこその恩恵と言わざるを得ない。