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雑談#5

後ろめたい生き方はしない

は~い!こんにちは!
二か月ぶりの投稿ですね
僕がnoteの投稿をさぼっている間にtwitterの名前がXに変わっていました。
月日が経つのが早いですね。

地元の公務員試験まで一か月半ということで心配が付きません
体感勝率4~5割ってところですね
何の根拠もないですが
相変わらずの不定期投稿

この前の連続投稿で力尽きちゃいました
そんなに書くことがなかったようです
さて今回の本題である後ろめたい生き方をしないについて
少し考えていきたいと思います

”後ろめたい”という言葉の意味を調べてみました。

 自分に悪い点があって、気がとがめる。やましい。
 自分の目が届かず、不安である。心もとない。気がかりだ。
 油断がならない。気が許せない。

goo辞書

僕が普段から考えているのは1番の意味です。
学校の課題や人とのやり取りの中でたまに感じます。
この世に後ろめたさを感じずに生きている人ってどれくらいいるんだろうか
そんな考えことをした日もありました

何か一つのマインドの切り替えで晴れそうな悩みですが
僕の生きていくなかでの一つの教訓として鎮座しておりますw
ここでの鎮座の使い方は全くあっていないと思いますが
ノリで書いておきます

皆さんにも生きていく上で大切にしていることなどありますか?
僕は人が気にしないようなところで気にしたり考え事をするタイプです
逆もまた然り
人っていろんなタイプがあるんだなって思いました

まぁ思ったことを書き連ねるこの投稿
話が二転三転としがちですがこのまま書き続けます
最近好きな考え方は”常識を疑え”です
常識って何?生きてきた中で疑問に思ってことはないですか?

常識というものを疑うことって放置しがちです
僕が常識というものを疑うきっかけになったのは
アインシュタインの言葉です

Common sense is the collection of prejudices acquired by age 18.

アインシュタインの名言 常識とは18歳までに~の意味と、教育について(英語&日本語)

”常識とは18歳までに身に着けた偏見のコレクション”
この言葉を聞いたときに私の閉じ切った世界は少しだけ広くなりました
偏見とはよく言ったものだなって感じたのですが
よくよく考えると思い当たることがあります

みんなそれぞれ育ってきた環境が異なり家庭などで教えられてきた常識などはその人たちが身に着けてきたもので常識ではなく偏見なのだと
価値観にも似たようなものを感じます
こういったものを僕は”ものさし”だと捉えています

みんなそれぞれ異なるものさしを持っており
それは可変であるとも思っています
だから価値観は変わるものだし常識だって思っていることも
変えられるはずだと

常識を疑えって変な感じですけど
当たり前に考えていたような事柄について
”なぜ?”を繰り返すと深堀ることができて楽しいです
一人でぶつぶつやっています

人と共有することでも新しい発見が生まれます
よくバイト先で聞いたりしています
こういったところから一人の人として力を身に着けていきたいものです

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