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父親のこと

私が子どもの頃、家は安心できる場所ではなかった。
特に父が居る時間は、家族全員が緊張していた。

父は少しでも気に食わないことがあると途端に機嫌を悪くし、
無視する、怒鳴る、手をあげる。
毎日のように夜中に泥酔して帰ってきては
母を大声でなじる声で目が覚めた。

専業主婦で実家も頼れなかった母は、
私と弟のために我慢せざるをえなかった。

自立できていなければ理不尽な我慢をしないといけない。
そして自立していない責任を子どもに負わせる。
自立できないことは罪だ。と思い私は看護学校へ行った。

私が成人する少し前、父が会社をリストラされ、
その後起業を試みるがうまくいかず、
もともと外面が異常に良く、飲みに行っては気前よく振る舞い、
至る所に借金をしていた父はとうとう破産し、
実家が差し押さえられ、
私は働き始めると同時に、母の生活を支えなければならなくなった。

その後父は自分の実家に寄生し、
おじいちゃんの遺族年金でそこそこ豊かに生活できていた
おばあちゃんのお金を食い潰し、
おばあちゃんの貴金属を黙って質に入れ、
おばあちゃんは自分の趣味さえできない状態になった。

父と最後に電話したとき
「おばあちゃんのお金を使うな」と言うと
「持ってないやつが持ってるやつにもらうことのなにが悪い」
と言った。
私は「あんたなんか早く死んでくれ」と言った。

その後20年以上父と絶縁し、しばらく恨んでいた。
ずっと強い気持ちで恨み続けることもできないもので、
段々父のことを考えることもなくなっていった。
ただ、いつお金の無心をされるか、
父が動けなくなり身元引受をせざるを得ない状況になったら、
と時々不安に思っていた。

そんな父が2年前「癌で余命わずか」であることを弟から聞いた。
友人や職場の先輩にその話をすると、数人から
「自分も父が好きではなかったが、父が亡くなったあと
『もっと話をしておけば良かった』と後悔したよ。
会えるうちに会っておいた方がいい」
と言われた。

そのとき「自分も後悔したりするのかな?」と
心が揺れたけど、積極的に会いに行く気にはならなかった。
その頃は弟が父の入院手続きや洗濯物の世話などをしていた。
いよいよもう危ない、と連絡が来たとき、ようやく
「後悔するかもしれないから、ちょっとくらい会ってみよう」
と思い弟と病院へ行った。

父はナースステーションの隣の部屋のベッドで、
まさに虫の息だったが、まだ意識はあった。
父は私を見て「来なくて良かったのに」
と言った。
私は(やっぱり来なきゃよかった)
と思って、すぐに帰った。

看護師さんからしたら、こんなときに側にいないなんて、
ひどい家族だ、と思われたと思う。
私も逆の立場だったらそう思う。

翌日、父は弟に看取られて亡くなった。
亡くなる前は、父が亡くなったら自分はどんな気持ちに
なるのだろうか、と考えていた。
「寂しい」なのか「悲しい」なのか
「良かった」なのか「嬉しい」なのか。
実際に父が亡くなったときの私の感情は、

「無」

だった。全く悲しくもないし、嬉しくもない。
ただただ、無。
何の感情も沸かないまま、葬儀~火葬まで淡々と済ませた。
うっすらと「もう人を恨んで生きなくていいんだ」
という安心感がじんわり来たくらい。

もう2年経つが、父に関することについての感情はずっと無で、
思い出すことすらあまりなかったが、

施設にいるおばあちゃんが一昨日、
「○○(父の名前)が、毎日朝ご飯を食べに来るんだけど、
○○は今どこにいるのかね?」
と言って(こわっ)と思うと同時に、
私にとってはろくでもない父親でも
おばあちゃんにとっては可愛い一人息子だったんだよな。

と思うと何とも言えない感情になったので、
整理するためにここに書いておこうと思った。

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