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百害あって一利ないやつ③人を怒ること

前職は看護師で、新人時代とにかく厳しい職場だった。
毎日怒られることの恐怖から、「患者さんのため」ではなく、
とにかく「怒られないため」に、
ミスをしないよう細心の注意を払っていた。

自分が上の立場になり後輩を指導するとき、
自分が怒られるのがとても嫌だったので
自分は後輩に怒ることができなかった。

周りの先輩からは、「厳しく育てないとつけあがる」とか、
「優しさは後輩のためにならない」と言われることもあったし、
看護の現場では特に、「人の命がかかっているんだから、
厳しくして当たり前」という風潮がまかり通っていた。

叱れない自分に劣等感を抱くと同時に、
「厳しく育てること」って本当に必要なのかな、ともやもやしていた。
自分が怒られたときに、「心を入れ替えて頑張ろう」
と思えたことなど一度もなく、
むしろ「怒られた」ということで頭が真っ白になり、
怒られた原因よりも
「どうやったらこの目の前の怒っている人の機嫌をとれるのだろうか」
と半ばパニックで頭をフル回転させていたからだ。

(「怒る」と「叱る」は別で、「叱る」はいいけど「怒る」は良くない、
という説を目にするけど、怒られる側からしたらどっちも一緒じゃん
ってずっと思っていた)

そんななか、村中直人先生の「〈叱る依存〉がとまらない」
を読んで「そうそう!!!これ!!」
と、超絶腑に落ちた。

(以下引用)
『実は、「叱る」にはそんなに大した効果はありません。
少なくとも、「叱る」による人の学びや成長を促進する効果は、
世間一般に考えられているほどではないのです。
一見するととても「効果があるように感じる」だけで、
実は課題解決にはあまり役に立っていません。』

叱ることよりも、相手が「どうすれば良いのか」を
具体的に考えられるように関わることが必要で、
強い口調で止めるべき場面(本人や相手に危害が及びそうなときなど)
もあるけれど、
ほとんどの場合、向かい合って冷静に言葉で伝えれば十分だ。

色んなところで「叱る人」に晒されているひと(特に子ども)
のことを思うと、胸がぎゅーっとなる。

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