
小学校のやすみ時間の過ごし方
こんばんは。
自立に向けてとにかく手を動かしたいとっとです。
夏休みも明け、この9月から、小1の長男はふたたび小学校にかよっています。
感染のリスクを考えると、自主的に休ませようかとも悩みましたが、いかせることにしました。
ある日、学校から帰ってきた長男と、カミさんとの間で、気になる会話がありました。
どのおもちゃ持っていこうかな
と長男が言っていたので、気になって割り込みました。
学校におもちゃ持って行っちゃだめじゃないの?
すると長男は、
いいんだよ、休み時間にひとりで遊べるように、なにか一つもってきていいんだって。
だそうです。なんだか、複雑な気持ちになりました。
これまでの休み時間の過ごし方
小学校の休み時間といえば、男はドッジボールでしょう。(偏見?)
私の時は、ドッジボール時々ラグビー、雨の日は定規戦争、高学年になってくるとサッカー、って感じでした。
小2の時、ガキ大将的なやつがラグビーボールを学校に持ってきていて、何故か4年生と勝負してボロ負けしたり、学校の外にある川にボールが流されたりした記憶があります。
たしかにうちの長男も、すこし前まではドッジボールをやってるって言っていましたし、私のころに流行っていた定規戦争ならぬ消しゴムバトルにハマっていました。
しかしこの9月からは、休み時間にみんなで集まったり、席を移動したりせず、自分の席でおとなしく休憩するようになったのだそうです。
・・いやいや・・
小学生が休み時間に休憩するのか、甚だ疑問です。
わたしの頃を思い出しても、休み時間になった瞬間、われ先にボールを奪い合い、校庭に走り出した記憶しかありません。
休み時間の次は給食レースです。おかわり争奪戦は必ず上位に食い込んでいましたし、おかずがダメなら牛乳、あわよくば両方狙っていました。
主観ではありますが、はしりまわって、汗だくになって、おもいっきり麦茶飲んでせき込んで、それからまた走り回って、汚して怒られ、ケガして怒られるのが、小学生でしょう。(別に怒られなくてもいいのですが)
休み時間に一人であそべるように、というのは分かります。
でも、この記事でも触れましたが、うちの長男は授業がつまらないそうなので、余計つまらないだろうなぁ・・とおもうわけです。
せっかく、小学校に行って楽しいと思えることを説いたばかりだったので、なんだかわたしまで、少しがっかりしてしまいました。(笑)
こんなものを持って行ってます
そんな長男ですが、休み時間にひとりであそぶのに、何をもっていってるかというと、小学校入学前に遊びで買った、小2の算数の問題集(ポケモンのやつ)をもっていっていました。
保育園で簡単な算数はできるようになっていたので、わたしが面白くてamazonで買ってみたやつです。(別に教育パパではありません)
一時、めんどくさがって嫌がっていたのですが、すこしでも背伸びできると嬉しいらしく、最近はその問題集の紙を何枚かもっていってるようです。
それあそび?
って気はしますが、面白くひとりで過ごせれば、なんでもいいでしょう。
あとは、友達がルービックキューブを持ってきているらしく、ほしい!となったので、カミさんが買ってあげていました。
ここ数日、なんどもなんども、外のポストに届いていないか見に行くくらい楽しみにしていたようです。
念願かなって今日届いたので、早速明日もっていくことでしょう。
ちなみにさっき早速遊んでいて、一面揃えていました。
わたしは揃えられません。
ニンテンドースイッチはダメ(笑)
また、当然といえば当然かもしれませんが、さすがにニンテンドースイッチのような電気製品をもっていくのはNGだそうです。
わたしは最初この話を聞いたとき、タブレットやノートパソコンをもっていき、ゲームしながらパソコン操作に慣れる時間にしてもいいかな、とも思いましたが、ダメなようです。
パソコンについては、いずれ学校でオンライン授業がはじまるようですから、必然的に触っていくことでしょう。
また我が家では、長男のために、ジモティでお古のパソコンを安く手に入れ(たしか3,000円ほどでした)、それなりに使えるようにしてあるので、ゆっくり慣れてくれればいいかなと思います。
今はほぼカミさんがつかっていますが。
まとめ
そういうわけで、余計に楽しみを見つけづらいであろう、長男の小学校生活ですが、算数の問題やルービックキューブの次は、何をもっていくのか少したのしみな気もします。
もちろん懸念もすこしあります。
友達と気軽に、自由におしゃべりしたり遊んだりしたりできない、という環境に慣れてしまい、それが社会のルールのように感じながら大きくなってしまうことです。
それはコロナという病気の蔓延を防ぐためであり、本来は、わいわい気軽におしゃべりしたり、集まって走り回ったりしていいんだよ、その時が来たら遠慮しなくていいんだよ、っていうことを、私もどこかわすれてしまっていたのではないかと、考えさせられました。