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スポーツ選手からWebエンジニアへ

はじめに

こんにちは。ずっと大地🦦と申します。
オンラインスクールのRUNTEQにて、未経験からWebエンジニア転職を目指して学習しております。
先日、無事に卒業認定も頂き、ポートフォリオのアプリも本リリースできたので、就活準備に入っております。
就活準備をしていくにあたり、自分と向き合う機会が多いと感じたので、このタイミングで、自己紹介や過去と共に、RUNTEQでの振り返りもしていこうかと思います。
なるべく、簡潔に書くことに務めますが、多分長いです。ご了承ください!
対戦よろしくお願いします🙇

自己紹介

神奈川県出身在住、28歳、ずっと大地🦦というニックネームを、RUNTEQ内やSNSでは使わせて頂いております。
ニックネームの由来は、RUNTEQの同期にだいちさんが沢山いたので、区別をつけるために同期が提案してくれたことでした。ラッコの絵文字を使っている理由は、前職の会社が三重県だったこと(実はラッコは三重県と福岡県にしかいないのです)、ゲーム等のユーザー名にラッコという名前を使うことがあったことです。

経歴

前職は、スポーツ選手として活動させて頂いていました。小学生の頃からスポーツを続けており、昨年まで大会に出場していました。
2014年にAO入試のような入試方法で早稲田大学に入り、2018年に卒業しています(決して頭がいいわけではありません🙏)。
2018年に三重県の会社に選手として入社し、今年(2024年)の3月に退職しました。

大学時代

大学時代は、片道2時間の通学に加え、トレーニングにバイトと、日々多忙でした。バイトが0時に終わって家に帰って1時に寝て、次の日は7時には家を出る日もありました。今振り返ると、よくやっていたなという感じです。もうしたくありません。笑
また、全体としての日本代表ではありませんでしたが、世代別の日本代表ではあったので、海外遠征の機会は多くありました。(また、社会人になって地方にも4年ほど住んでおりました。)
海外遠征を多く経験したので、必然的に海外の選手や海外コーチと関わり、世界を見て回ることにより、自分の世界観や価値観、世の中への感覚が、事実と異なることを多く感じました。
情報化社会なので、自分は世界をなんとな〜く知っている気がしていましたが、蓋を開けたら全然違うことも多くあったので、当たり前ですが、世の中に飛び交っている情報は全て真実ではなく、見極めることがとても重要なのだなと、大学から社会人になりたての頃に思っていました。大学でも、スポーツメディアを専攻していました。

スポーツ選手

大学卒業後、スポーツ選手として競技活動を続けることができました。
結果的に、東京五輪代表の選手をみていたコーチ、またその選手と一緒にトレーニングをさせて頂いてたので、とても恵まれていました。
しかし、その頃の自分といえば、コーチの言われた通りにトレーニングをこなすことしかできておらず、一つ一つのトレーニングの意味や身体の構造など、噛み砕いて理解できておりませんでした。

コロナ禍と東京五輪のタイミングで、必然的にコーチ達との練習機会が減り、自分でトレーニングを考えることにしました。また、自分で考えたトレーニングメニューの効果を最大限出すために、食事管理も行うようになりました。選手引退までの最後の1年半は、鶏胸肉生活をしていました。
結果としては、85キロしかあげられなかったベンチプレスが、100キロまで上がるようになり、5キロのランニングに25分かかっていたのが、18分で回れるようになりました。競技の結果としては、国内大会のランキングではありますが、2022年は1位になりました。
前提として目標が明確に言えること、一つ一つのトレーニングの意味を理解していること、なぜそれを行うのかを説明でき、目標に対して逆算、フィードバックを行うこと、これらをどれだけ丁寧に行うかが、結果に大きく影響することを身をもって痛感しました。

一番難しかったのは、競技がマイナーであったことです。単純に情報が少ない。本などありません。世界ランカーの試合動画を見て、分析して自分の課題に落とし込めるか見極める、そんな生活でした。日本のヘッドコーチは、外国人でしたが、日本と海外選手との環境の差をよく指摘していました。
『彼ら(海外の代表選手)はエリートとして世界大会に出てきているが、君たちはエリートとして選出されているわけではない。』
意識の高さ、想像力、勝つために準備する意欲、目標に対してどれだけ必要なのかが、少し見えるようになっていきました。

選手としての気持ちのタイムリミットも迫ってきた2023年の4月、パリ五輪の選考があったので、その結果次第で選手生命に区切りをつけようと決めました。自分でトレーニング内容を決めたことで、世界ランカー達との差が、前より見えていました。ポジティブな話です。自分なりに精一杯準備をして選考大会に臨み、結果次第でセカンドキャリアを考えることにしました。
結果的に選考からは外れ、2023年8月には大会中に腰椎椎間板ヘルニアにも発症しました。怪我をした後も大会が控えていたので、怪我に向き合いながらトレーニングをすることも、とても貴重な経験となりました。
色々と間が良かったので、2023年10月の大会を最後に、怪我をした状態で最低限の結果(国民体育大会6位)を残し、選手を引退としました。

RUNTEQ

怪我をした頃に、スポーツで知り合った方にVBAを少し教えて頂きました。その方が書いたプログラムにより、自動でファイルが生成されていく様を見て、とても感動しました。PCでできる仕事、プログラミング?かな?程度に思っていましたが、プログラマーになるにはどうしたらいいのだろうと本格的に調べ始めました。
いくつかのオンラインスクールに目星をつけましたが、10年くらいWebエンジニアとして働いている知り合いに聞くと、オンラインのプログラミングスクールで学んでWebエンジニア転職というのは、想像がつかないようでした。今思うと、それだけオンラインスクールでプログラミングを教えるのは難しいのだと思います。
自分は環境を変えないと身につかないタイプ、独学では厳しいのではないかと考え、オンラインのプログラミングスクールの中でもカリキュラムが一番長いRUNTEQを選びました。面談時に丁寧に説明をしてくださったCTさんも好印象でした。

RUNTEQには、2023年に11月に入学しました。
スポーツ選手時代に、なるべく物事を明確にと意識していたはずでしたが、プログラミングでは、自分のおざなりにしていた部分がエラーとして返ってきました。最初の3ヶ月は特に学習の仕方が良くなかったですが、RUNTEQの売りでもあるコミュニティに助けられました。コミュニティの偉大さは、以下のLT会で使用したNotionにもまとめてあります。

RUNTEQの講師やRUNTEQ生に助けられながら、2024年5月に卒業認定を頂きました。
プログラミングは多方面に学ぶことが多く、難しいというか時間がかかりますが、理解がおざなりがちなこんな自分でも、続けていればなんとか卒業できています。
ダメな時はわかりやすくエラーが返ってくるので、理解することに時間を惜しまなければ、自分なりのスピードで成長はしていけるのではないかと思っています(自分なりに入学当時よりは成長しています)。個人的には、何事も続けることが大事だと思っているので、そういう意味でRUNTEQでの生活は、学習の継続を最大限サポートして貰える環境だと思います。

ポートフォリオには、生成AIによる名言提供サービス、MeigenOtter(名言おったー)を開発しました。名言の取得は最短10秒、ユーザー登録せずにも使えるので、良かったら覗いて見てください。

最後に

RUNTEQで出会った方々は驚くほどいい人ばかりで、そんな方々の多いWebエンジニア業界働きたいという思いは強まる一方なので、Webエンジニア転職を目指して、就活頑張ります💪

おそらく大変なのはこれからですが、自分事すら他人事にすれば大抵のことは乗り越えられると勝手に思っているので、やらなければならない嫌なことの時には気持ちを押し殺し、淡々とこなしていくつもりです。
そして何より、プログラミング自体を自分はとても格好いいと思っているので、それを原動力に今後も学習を続けていきます(Vim、黒いターミナル、格好いいから使ってるだけです)。

長々と失礼いたしました🙇
最後までお読み頂き、ありがとうございました!!

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