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「皮膚の内側に入りこむ」

おはこんばんにちは、えっこです(´∀`)
今日は元気に仕事に勤しみ、時折箱根駅伝を見ては涙ぐむという一日でした。

しかしあれですね!

子供の頃は箱根駅伝をみても面白さとかよく分からなかったのに、大人になると何故か感動してしまうものですね...(面白さはまだわからない。無念)

自分よりも年下の若い子達が一生懸命努力する姿に感銘を受けました。そんな一日。

さて、私は社会人経験をしてから看護学生になった人間です。
そして看護学生をしながら認知症の方が入所している介護施設で働いております☺︎︎

今日は普段いる場所とは違うところにお手伝いに行ってきたのですが、そこの介護士さんがとてもすごいなと思ったので忘れないよう記事に残そうと思います。

詳しい流れは省略するとして。

一時期

「今日はお出かけの予定があるから、着替えをしておきませんか?」
「家族の方がいらっしゃるからそろそろ朝ごはんを食べて準備をしませんか?」

等と声を掛けると途端に手もつけられないほど激怒する入所者さんがいらっしゃったことがあったらしく、その施設の職員さんは対応に困っていたことがあったそうです。

しかしその介護士さんは、入所者さんに声をかける前に

「お父さん!今日もお母さんの無事を祈ってて下さいね!よろしくお願いします!」

と、居室にある亡くなられたご主人の仏壇に手を合わせ、挨拶をしていたとの事。
そうすると入所者さんは決して激怒することなく、笑顔を見せてお話をしてくれるようになったそうです。

私はこのお話を聞いた時、こんな言葉を思い出しました。

「皮膚の内側に入りこむ」

聞いたことがありますでしょうか?
これはヴァージニア・ヘンダーソンが書いた看護の基本となるものという本の中で彼女が述べた言葉です。

さらに詳しく抜粋するとこうです。

「看護婦は、他者の欲求を評価する自分の能力には限りがあるという事実を認めねばならない。たとえ非常に緊密な二人の間においても互いを完全に理解するのは不可能である。しかしそうはいうものの、自分が看護している人との間に一体感を感じることが出来るのは、優れた看護婦の特性である。患者の“皮膚の内側に入りこむ”看護婦は、傾聴する耳を持っているにちがいない。言葉によらないコミュニケーションを敏感に感じ、また患者が自分の感じていることを色々の方法で表現するのを励ましているにちがいない。患者の言葉、沈黙、表情、動作、こうしたものの意味するところを絶えず分析しているのである。この分析を謙虚に行い、したがって自然で建設的な看護婦=患者関係の形成を妨げないようにするのはひとつの芸術(art)である。」

これを初めて読んだ時、私は思いました。


͡° ͜ ʖ ͡° ) what?

言いたいことは何となく分かる。でも抽象的でいまいち理解出来んのんじゃーい!

これが本音です(笑)

そして自己解釈ですが、要約すると「相手の目線で相手の立場になって相手の気持ちを推し量り相手の心に寄り添う」ということかなと考えております( ´•ᴗ•ก)💦

今回の介護士さんは、まさにこの「皮膚の内側に入りこむ」という言葉を実践されたのだと感じました。

相手が大切に思っているものを、自分も敬意を払って大切なものとして扱う。そんな彼女の想いが入所者さんに伝わったのだと。

そしてこれを意図的にしろ無意識下にしろ行ったこの介護士さんは、本当に入所者さんのことをよく見ていて大切に思っている方なのだと思いました。


経験されたことのある方もいらっしゃるかと思いますが、認知症の方の介護・看護をするというのは精神的にも肉体的にもとても“力”のいることです。(もちろんこれは認知症の方の介護・看護に限らず色んなことに該当するとだと思います)

特に私は精神力が必要だと感じています。
そしてそう感じると同時に、私が1番身につけなければならない部分でもあります。

看護学生として残された期間はあと2年ほど。学生の間でしか学べないこと、感じれないこと沢山あると思います。


一日一日を大切に、仕事や勉強に励みたいと思います。

ではまた。

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