#4 わたしが子どもの頃、いてほしかった大人になる
※この投稿はLemon8で「子どもという世界」という本についてご紹介した時の私なりのエッセイなのでnoteでは一部内容が分かりづらい箇所があるかもしれません。
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私も含め、みんなきっと自分のことで精一杯だと思う。もちろん自分のことが一番大切なのはいいこと。
人生には「わたし」と「社会の一員としてのわたし」2つ存在すると思ってるんだ。
いつもは「わたし」について
役に立つような本の紹介やお話をしているのだけど、今日は「社会の一員としてのわたし」についてお話したい。
4つ前の投稿でご紹介した私が大好きなエッセイストの一人である幡野広志さんの
「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる」
という本がある。またどこかでご紹介するね。
で、「社会の一員としてのわたし」に大切なことは幡野さんの言葉を借りるなら
「子どものころいてほしかった大人になる」
だと思うんだ。人は大体6歳くらいまでに聞いた、かけてくれてた、親や先生や周りの大人たちの言葉でできている。それがベースとなり大人になる。そう考えると「“自分”なんてものは存在しないのでは?」と少し哲学的なことを思ってしまう。
周りの人間によって自分が"作られた"のかも。
親に言わてきた、協調性がない、大人しい、いいこ、が自分というもので、
先生や大人が教えてくれたことが正解なのだと信じて大人になる。
そして大人になって、信じてきた正解と本当の自分のズレに苦しむことになる。
今日紹介した本の中にも書いてあるのだけど、
(子どもという世界)
"完璧な人間がいないのは完璧な親がいないから"
だとするなら、大人になった私たちが社会の一員として意識していたいことは
「わたしが子どもの頃にいてほしかった大人になる」
じゃないかな?
何が正しいとか、世間の正解なんてどうでもよくて、
「あの時、こんなことを言ってくれる大人がいてくれたら私は救われた。」
そんな大人として生きること。
人間関係を築くこと。
大切なことは社会の正解ではなくて、
自分の正解であること。
みんなが自分の正解を持っていることが、
多様性で、
みんなが自分の正解で人の役に立てた時に、
多様性の本当の意味が
わかる。
社会の正解で生きるから、人が許せなくなる。
楽しそうなやつ見てるとイライラする。
楽して稼ぐやつ見るとムカつく。
毎日お母さんの愛情たっぷりの手料理も、
毎日スーパーで買った出来合いのご飯でも、
お母さんが笑顔ならどっちも大正解じゃない?
健康は大切だけど、病はやっぱり気から。
私はそう信じている。
子育てなんてない。
あるのは親育てだけ。
私は、
「わたしが子どもの頃、にいてほしかった大人になる」
えりな