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【コラム】生と死について考える【命題】(第19回目)

こんにちは、雑食坊主です。

連載が、今年二度目のインフルエンザ(風邪という視点では三ヶ月連続罹患)になったため、途切れました。

自分の限界を知る良い機会でした。

これからは無理せずのんびりと、30回記事を書いてみる、をやっていこうと思います。


第19回目となる今回は、初めてリクエストをいただいたものがテーマです。リクエストはポケモンのニャースさんからいただきました。

ニャースは喋れるからリクエストもできる!すごい!ありがとうございます!

で、もらったテーマがこちら。

重すぎぃ!ポケモンも死ぬくない?というのはさておき


ちょっと重すぎんよ〜。

ということで、30数年間生きてきた僕の死生観を述べていくことで、回答していきたいと思います。

まず、僕個人の経験として。祖父母は全員他界して、父母は健在。親戚や身近な先輩を何人か亡くしたり…という経験です。そのため年上の方からは甘っちょろい死生観と思われるかもしれません。

死を定義づける所でまず、色々な【死】が存在します。解釈次第で。例えば、めちゃくちゃ有名な『ワンピース』という漫画では、とある登場人物が、『人はいつ死ぬか?それは、【人に忘れられた時】だ』と放つ場面があります。

生き物には避けられないものなので、宗教・音楽・芸術など、様々な分野で、それぞれの【死】の定義づけやテーマで表現されています。

今回の記事での【死】は、単純に生き物としての生命活動を終える時を単純に【死】と表現することとします。死因は色々あれど、生き物は必ず死ぬ。その【死】。

めちゃくちゃ怖いですよね。

人間であればあるほど怖いってゆーか。

真面目であればあるほど考えちゃうとか。

フッと落ち着いた瞬間の何気なく忍び寄る恐怖とか。

めちゃくちゃ怖いです。

子どもの頃はもっと怖くて、ひたすら怯えていた思い出もあります。

「自分はなんなんだろう。どうして生きているんだろう。目が見えて、音が聞こえて、考えて言葉を話して。不思議でたまらない。おじいちゃんとおばあちゃんにもう会えなくなる日がいつか来るの?それが怖くてたまらない。」

小学校低学年くらいの感覚でした。

もう少し時間が経って高校生くらいになると、ひたすら悩んでいたような気がします。

「自分の生きる理由は見つからないけど、死ぬのはとても怖い。ただただ怖い。どこかに自分とこの恐怖を分かち合える人はいないだろうか。孤独だと思う。」

この辺の感覚は、日本の学生においては、わりとあるあるなんじゃないかなと、何となく思います。

今書き起こしてみて、色々な立ち位置を想像すると、あの時の僕はだいぶ優しい環境にいたのかもしれません。本人としては、真っ暗闇にいるような気持ちでしたが。

そんな高校生2年生ぐらいの頃、僕はとあるバンドの音楽・唄に触れました。

これがもう、言葉では表現できないくらいに刺さった唄たちでした。文字通りに、「救われた」と言ってよいです。助けてもらいました。

説明が難しいですが、

①死ぬの怖い

②唄を聴く

③え!?自分と似たようなことを考えてる人、死ぬとかそういうのが怖くてたまらない人がいてくれるの?歌詞が全部、自分の不安を分かってくれてる?こんなことある??

④聴けば聴くほど、「唄の中に自分がいる」。死ぬことがめちゃくちゃ怖かったけど、自分が死んでも、この人たちが作ってくれた唄に、自分はいる。間違いない。だから大丈夫かもしれない!

⑤それから20年以上、そのバンドのファン。

こういう、稲妻に打たれたように救われる感覚がありました。一連の感情の変化をすごくドライにまとめると、【自分が死ぬことに対する保険を見つけた】とも言い換えることができるかもしれません。

※保険🟰安心 と言えそう。

そんな出会いがありました。

理由は何でもよいから、僕は彼らの楽曲があったからこそ、ここまで生きてこれたんだと、それは確信を持って言えます。

生きながらえたからこそ、色々な出会いや経験も積めたぞ。という。
僕の思春期はまあまあ辛かったので、ここで救われたのは本当に幸せでした。

人は誰でも、こういう出会いが、少なからずあると思っています。僕の場合は音楽でしたが、それが人によっては、それがディズニーだったり、スポーツだったり、部活だったり、ゲームだったり、配信者だったり、ドラマだったり漫画だったりアニメだったりと。何かしら、誰かしら手を差し伸べてくれている存在があって、それを掴んだ自分がいて。

そうやってみんな、厳しい現実を生きているのではないかなと、何となく思います。

差し伸べてくれる人たちは皆そう言ってくれますが、【その手を掴んでくれた、あなたの勇気が何よりもすごい】って仰られます。僕もそう思います。だからそういうのを見つけた自分にまず拍手!すごい決断!


で、話をテーマに戻して、【生と死について】をまとめます。

僕を助けてくれたバンドの唄たちの中でもよく歌われているテーマが、「生まれてきたことに意味がある。一秒も無駄にしちゃいけない」というもので。

どんなものでも、「時間」という概念が存在する以上、「終わり」があります。

時間は有限です。

誰にとっても、残酷に、等しく。

なので、この限りある時間をどう使うのか?どう自分が納得して、【死】にたいのか?もっと言うと、「自分の葬式を誰に、どうやって送り出して欲しい?」と考え続けることが、【生】きている間にできることなんじゃないかと。考え続けて、やりたいことを実行する。やれなくても、何とか方法はないか、足掻く。足掻けるのは、【生】きている人の特権である。

こんな風な死生観を僕は持っています。

ある程度年を重ねたので、もう少し付け加えると、やっぱり若い人がこれからの時代を背負っていくので、若いこれからの人たちに、僕は僕が助けてもらったような経験を与える機会を作れたら、それはもう大満足だなと思っています。

僕自身の魂はもう、今までの人生で助けてもらいました。その音楽や、数々の良い出会いのおかげで。だから頑張りたいことはあれど、僕単体の話はある意味で終わっている。

大事なのは次。

次の世代に、どうやって、より良い影響を与えられるか。残せるか。

この辺がテーマになってきそうです。

何だかSDGsみたいな結論に近くなりそうです。

そんな感じで、僕なりの【生と死について】を書かせていただきました。

重いテーマの記事ですが、読んでくれた方の安心材料の一つになれたら幸いです。

では今回はここまで!

また次回〜

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