うったうたないよりも大切な線引き―人の話が聞けるということ
先日知り合った方と食事に行ってきました。
その方もうたないさんなのですが、お互いが感じていることを交換することができて、とても楽しい時間でした。
話をして、自分の頭の中が整理されました。の
先日から書いていますが、私は某外資から政府が購入した液体を体に入れていません。
その結果として、少数派になってしまいました。
そして婚活自体で対象になる人が大幅に減ってしまいました。
こちらが希望していないこともありますが、うたれた方からのお見合いの申し込みはないでしょう。
でもこれからの人生でそうした人と交わることもあると思います。
今回はうったうたないを超えて、婚活も超えて、これからの社会で人交わるために考えておきたいことを書いておく。
きっとこのことは、婚活にも活きる。
なぜなら、目の前の人にどう接するかが、その他の人にどう接するかを決めてしまうから。
つまり、お見合い相手とどう接するかも決めてしまうから。
自分で決めたとしても、運はある
人生のすべてが自分の意思で決められることばかりではない。
だから不思議に思う。
うたなかった人が自慢げに自らの選択を語るのはなぜなのかと。
こんな研究結果がある。
人が一日に決断できる意思の量は決まっている。
では意思の量がなくなった人はどうなるのか。
決断できず、周りの決定に流されてしまう。
楽器でも語学でもいい。
もしその人が熱中していることがあって、全てをそのことにかけていたらどうなるだろうか。
衣食住、その他のことはおざなりになってしまうと思う。
それを自己責任と片付けるのはどうかと思う。
誰も話さないけど、社会は一人じゃ回らない
正直、うたないさんの中には、うった人を馬鹿にしている人がいる。
だけどさっき書いたとおり、人の意思の量が決まっている。
そこまで頭が回らない人もいたはず。
そしてそういう人も含めて、社会は成り立っている。
社会は人の集まりだ。
その人々を蔑ろにして、社会は回らない。
そうした態度は、長い目で見たら、自分の首を自分でしめることになる。
いじめられっ子からいじめっ子になろうとする人がいる
最近勢いのある政党が、今の状況かで「今だけ・金だけ・自分だけ」の人がいるとの発言をしていたことが印象に残っている。
それは変な液体や予防機能がない口に括りつける布を売っている人たちの事を指しているように思えるが、実際は違うと思う。
うったうたないには、その人の考えがある場合もあるけど、そうではない要素もある。
そう考えると、「今だけ・金だけ・自分だけ」の人とは液体推進派のことを指すわけではなく、自分のことしか考えない人を指す。
つまりうたない人にもそういう人がいると言える。
そしてその中には、状況が変わることで態度を一変させている人がいる。
推進派有利から推進派不利に変わったことで、自らを正しかったと誇示し始める人がいる。
いじめられっ子からいじめっ子になったように振舞うのだ。
先に書いたことの繰り返しになるが、長い目で見れば、こうした振舞いをすると損をする。
それが分からないのは、「今だけ・金だけ・自分だけ」になっているからだ。
頭でしか判断していないなら、それは分かっていないのと同じ
ここまで書いてきて言いたかったのは、うったうたないだけではその人がどんな人かを判断できないということ。
そしてうった人もうたない人もいて社会が回っているのだから、共に生きるにはどうしたらいいのかを考えないといけないということ。
うったうたないには運が伴う。
そして社会という視野で見たら、そこよりももっと大切な境界がある。
はっきりさせておきたいけど、どちらの判断にしても、情報だけで判断しているなら、ある意味で同類でなのだ。
そうした人たちは、同類でなので、社会における共生では、あまり大した役割を担えないかもしれない。
ここで大きな役割を担えるのは、うったうたない超えて社会を考えられる人。
つまり、違いを認めて、人の話を聴ける人だ。
もし今回の液体に関する情報が正しいものなら、人口は急激に減る。
でもうった人全てがいなくなるのか。
多分それはない。
うった人、打たない人は多様にして共生することが必要になる。
そのために必要なのが、過去の選択を認めながらも、今どうするべきかを話し合えることだ。
そして話し合うためには、まずは相手の話を聴けなればならない。
聴いて理解することができないなら、話し合うことは成立しない。
できているようで、言いたいことを言い捨てているだけになってしまう。
異なる立場と意見に耳を傾けられるか?
長々と書いてきたが、言いたいことはこれだけである。
異なる意見を持つ人に耳を傾けられるか。
良き活きられるかはここに次第であると言っても過言ではない。
うたないさんを探すにしても、ここをまず見ないといけない。