深夜パトロールの際に起きたこと
「研修期間中と言っても現場では警察官だ。油断するなよ」と私はこれから六週間一緒に組む新米警官に声をかけた。
「わかりました。ご指導よろしくお願いします」と若い警察官は答えた。警察官の名前は佐野と言った。
私はパトカーの助手席に座り、周囲に気を配った。と、橋の真ん中付近の欄干に腰掛けている中年男性がいることに気づいた。後ろに倒れれば数十メートル下に落下することになる。佐野も気づいた。
「声を掛けます」と佐野は言い、パトカーを路上に停めた。時刻は午前二時だった。
「こんばんは。ちょっとお話し聞かせてもらってもいいですか」と佐野は優しく言い、慎重に、ゆっくりと中年男性に近づいて行った。私も佐野の斜め後ろに配置をとり、一緒に近づいて行った。
中年男性は、髪はボサボサで、よれよれのスーツを着ているところから、最近会社をクビになって路頭に迷い、自殺するかどうか悩んでいるといった感じに最初は思えた。だが、佐野の声掛けを無視して、こちらに目を一度も向けずうつむいている様子は、何か罠を仕掛けているようにも思えた。自殺しようとする者の中には、他人を道連れにしようとする者もいるのだ。佐野は新米だから自殺者を救おうという気持ちが強すぎて、悪意の可能性に気づいていないかもしれない。
「佐野」と私が声をかけたときには、もう佐野は中年男性に手を差し伸べているところだった。
「佐野、一歩下がれ」と私は鋭く言った。とその瞬間、中年男性は佐野の腕をつかんで、そのまま後ろに倒れ込んだ。うわあ、という佐野の声を聞きながら、私は佐野の足に飛びついた。
私は腰をくの字にして体を欄干に引っ掛け、両手で佐野の片足をつかむかっこうとなった。佐野の片腕には中年男性が両手でしがみついている。私の腕には二人分の体重がかかっている。欄干が腹に強烈に食い込んでくる。佐野は、片腕は自由が利く状態だ。
「佐野、男を振り落とせ」
「できません」
中年男性は真っ赤な目でこちらを見てニタアと笑っている。
この世の者ではない。
ということは、実際は、私は佐野一人分の体重を支えているだけだ。
私の体力を考えればチャンスは1回限りだ。全力で引き上げてみよう。
おおっと大声を吐きながら私は足を踏ん張って、渾身の力で佐野を引き上げた。私は後ろにひっくり返った。佐野は欄干の内側に戻った。私は吐いた。
中年男性の姿はどこにも見当たらなかった。応援のパトカーが二台到着した。パトカーの停止時間が長い場合、応援要請をしなくても応援に来てくれるのだ。
橋の下には川が流れているので、中年男性は流された可能性があり、夜明けを待って捜索を行うこととなった。
応援で来た警察官の一人が私に近づいてきて、
「昔、会社をクビになったサラリーマンがここで飛び降り自殺したんだ。それからときどき出るんだよ。無事で良かった」と言った。