人に言えないこと
人に言えないことってあると思う。
心の奥底に深く厳重に抑圧し、普段は存在しないものとしているのだが、決してなくなることはない。
それとともに人は生きていくしかない。
そして、それとともに、死ぬしかない。
そのとき、私は4歳か5歳だった。
その日、私は母の友人の家に預けられた。そこには私と同じくらいの年の子がいた。その家は私の家より裕福だった。大きな家で、子ども部屋があって、おもちゃが夢のようにたくさんあって、きれいなお母さんがいた。私の家は古い平屋の借家で、母は愛想笑いが顔に張り付いていて、不細工だった。
私とその子は、近くの公園に遊びに行くことになった。当時は小さい子だけで外に遊びに行くことは今ほど危険視されていなかった。その子はミニカーなどのおもちゃが入ったカバンをもっていた。
公園の端の方に軽トラックが止まっていた。公園の管理用のものだったと思う。私たちはその近くで遊び始めた。
私は消防車のミニカー、といっても二回り大きいサイズで、私の家では絶対に買ってもらえないタイプのものを手にして、心が躍った。あのときのうれしさはずっと覚えている。その子は惜しげもなく貸してくれたのだった。
私は軽トラックの荷台に小さな体でよじ登った。その子は地面でミニカーで遊んでいた。私は消防車を荷台の縁に沿って走らせて遊んでいた。
ふと下を見ると、その子の頭が真下にあった。その子は一心にミニカーを手で走らせて遊んでいた。私には全く注意を払っていなかった。無防備だった。
私は、消防車を頭に落としたらどうなるだろう、と思った。
小さかった私はしばらく心の中で葛藤した。そんなことをしたらだめなんじゃないか、という気持ちはその時点で確かに私の中にあった。
遊んでいてうっかり落としたってことにすれば叱られないんじゃないか、と思った。私は平均よりIQの高い子どもだったのだ。
私は、消防車をその子の頭の真上に掲げ、手を離した。
鈍い音がして、しばらくして、呻き声が聞こえてきた。その子が頭に伸ばした手と指の間から、赤い血が流れ出てきた。髪の毛は血で濡れたが、意外なことに、赤くは見えなかった。血は止まらない。どんどん流れていた。その子はうずくまって動けない。頭を抱えて呻いている。私はぼうっと夢でも見ているように、その光景を見下ろしていた。異様に興奮していた。
公園にいたよそのお母さんたちが近づいてきた。トラックの荷台の上にいた私には目もくれず、うずくまるその子の様子を確認していた。
救急車が来た。その子のお母さんも走ってきた。私はその子の家の玄関で待っていることになった。
長い時間が経った。小さな私は玄関に座っていた。タクシーが止まり、頭を包帯でぐるぐる巻きにされたその子ときれいなお母さんが下りてきた。
偶然、ちょうどそのタイミングで、私の母が私を迎えに来た。事情を説明する中で、きれいなお母さんは、「遊んでいて、手がすべっておもちゃが頭に当たったのよね」と私の目を真っ直ぐに見つめて言った。
私は答えられなかった。うつむいた。きれいなお母さんは、急かすことなく、私の返事を待っていた。長い時間が流れた。
「わざとじゃないんだから、そんなに落ち込まなくていいのよ」ときれいなお母さんは優しく私に言った。
「わざとやった」と私は言った。
「手が滑っただけで、わざとじゃないでしょ」と私の母が言った。
「わざとやった」と私は言った。
「わざとってどういうことかわかってるの」と私の母が問い詰めてきた。
私はうつむいた。
「わざと、の意味がわかってないみたい。ケガさせてしまってほんとにごめんなさい」と母が言った。
「子どもが遊びの中でケガするのはよくあること。何針か縫うことになったけど、骨も折れてなかったし、もう気にしないで」ときれいなお母さんは私の母に言った。
そのとき一瞬、ほんの一瞬だけ、きれいなお母さんは私の目の中を見た。
私がわざとやったということも、わざとという言葉の意味を理解していることも、すべて見抜かれていることに私は気づいた。そのうえで、事を大きくすることを望まないので、偶然の事故として片付けようとしているのだ。
夜、父が帰ってきて、父も謝罪に行くことになった。父の車に家族全員が乗って、その子の家に行った。
その子のお父さんも帰ってきていた。私は怖かった。その子のお父さんに殴られたりするのではないかと思って体が震えた。
父と母は何度も謝った。
「わざとじゃなかったんだよね」ときれいなお母さんが私に話しかけた。
「わざとだよ」と私は言った。私の父が私の頭を叩いた。
「何を言ってるんだお前は。はは、本当に申し訳ありません。言葉の意味がよく分かっていないみたいで」と父が言った。
帰ってきたばかりみたいの、スーツ姿のその子のお父さんは一連の様子を見ていて、「ちょっと」と言ってきれいなお母さんと廊下の奥の方に言った。しかし、そのやり取りは私たちにも漏れ聞こえてきた。
「あの子はわざとやったと言っているじゃないか。そうならそうだとして、あの子への適切な対応を考えるべきじゃないか。損害賠償とかそんなことはいい。あの子がわざとやったのなら、あの子は心に大きな問題がある。そこにしっかり向き合うことがあの子のためにもなるんだ。なんなら僕からお父さんに話をしようか」
「やめてよ。わざとじゃないに決まってるじゃない」ときれいなお母さんは言った。
「しかし、、、」
「もういいから。あなたは黙っていて」
「わざわざ旦那さんまで来ていただかなくてもよかったのに。もうこの件は気にしないで。大丈夫よ。じゃあ、おやすみなさい」ときれいなお母さんが言った。
その後ろから、その子のお父さんが、分厚い四角い眼鏡の奥から、心配そうに、また、私の本心を見抜こうと、優しく鋭いまなざしを私に向けていた。
結局、私の本性はそのお父さんの見立てのとおりだった。
私は、その後、性的能力に目覚めてから、幼い子が被害者となる恐ろしい罪を複数犯し、長期間服役した。その間に母は自殺し、父は行方不明となった。
私は数日前に出所した。私は更生し、罪の重さを理解できるようになった。自分の罪、自分の弱さを認め、受け入れ、反省している。
私は責任をとるために、これから自殺するつもりだ。
消防車が頭に落ちてきた子の痛みが今は想像できる。私はなんてことをしてしまったのだろう。そして、なぜ、あんなことをしてしまったのだろう。わからない。それだけはなぜか、どうしてもわからない。自分の弱さのせいで、多くの人を傷つけてしまった。
みんな、ごめんなさい。さよなら。