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あの日、病院で起きたこと

 そのとき私が勤めていた会社では、三十歳になると、人間ドック受診が義務づけられていた。自分としては必要ないと感じていたのだが、仕方がないので総合病院に予約を入れて、休暇を取って、病院に行った。

 受付で受診書類を出すと、中年の看護師が書類に何かチェックを入れたり、受理印を押したりして私に返した。私が案内看板に従って最初の検査場所に向かおうとすると、後ろで中年の看護師が隣の若い看護師に、
「まだ三十歳なのに、もう人間ドック受診だって」
と言っているのが、はっきりと聞こえた。私は非常に不愉快な気持ちになった。こんなところ、来たくて来てるんじゃない。だいたい人間ドックなんて病院の金儲けのための仕組みでしょうが。

 管に息を思いきり吹き込め、バリウムを飲んでそこに立て、あとで下剤をしっかり飲め。私は人間ドックが嫌いになった。今後も毎年義務が続くのだろうか。なんとか回避する言い訳はできないだろうか。

 二週間後、結果通知が届いた。要再検査と書いてあった。そして、胃に異常があります、至急受診してくださいと書いてあった。
 そんなわけがない。健康そのものなのだ。誤診に間違いないと確信した。だが、会社に結果を報告しなければならないので、仕方なく休暇を申請して、受診した。

 受付で、送られてきた結果表を見せて、検査をしたい旨を伝えた。少し待つと、暗い顔をした女性が近づいてきて、こちらへどうぞと個室に案内された。女性は白衣を着ていないし、看護師の格好もしていないので、どういう立場の人かよくわからなかった。
「最近、胃が痛いことはありませんか」
「ありません」
「胃ガンの疑いがあります。このまま胃カメラの検査を受けてください」
とその女性はあっさりと言った。私は、冷静に受け止めて、立ち上がった。絶対に誤診だと確信していた。強がっているのではなくて、自分の体の内側からくる情報に基づき、誤診という確信があった。それに、人間ドックなどの検査では、一定割合で判定ミスが出ることも知っていた。

 でも、立ち上がった私の膝はガクガクと震えていた。

 私は本当に驚いた。私の意識としては怖い気持ちなどまったくない。だが、私の別の層、肉体レベルでは死を恐れて震えているのだ。自分が完全に分裂している不思議な感覚。

 そして、このとき悟った。震えているほうこそむしろ本当の自分であり、理屈を並べる大脳新皮質はその下僕に過ぎないのだと。意識は、体の下僕であって、日常の雑事を処理する係員に過ぎない。自分の本体は、この体であって、体はただ生きるのみ。生きること自体が目的。意識は、体が無意識の中で生きるために決定した事項を実行する処理係である。つまり、体が主人で、意識は下僕。体の目的は生きることそれ自体。

 何のために生きるのかという問いに関する考えも浮かび上がってきた。何のために生きるのかと問う時点で、意識が体を何か崇高な目的のために道具として使うという枠組が前提となっている。しかし、この前提が根本的に間違っているのだ。ここに実際に存在しているのは、生きるために生きている体、生きる以外に選択肢がない体、生きることそのものの体、生命体があるだけで、体が生きるために、意識が下僕として働いているのだ。意識は謙虚さを学ばなければならない、というか、立場を理解しなければならない。

 体の側からすると、何のために生きるのだろうか、という問いを意識に考えさせるのは、体にとってより生存に適した環境を探すよう、あるいは、生存に適した環境を作るよう、意識に命令しているのだ。

 地球環境が安泰のうちは、金儲けに励んでいれば良い。金で衣食住をまかなえれば体はご満悦なのだ。だが、地球環境がおかしくなってきたので、それだけでは足りない。意識がやるべきことは増大し、複雑になってくる。今は、意識が活躍しなければならない時代なのだ。

 記入して提出する書類には、胃カメラの検査をするとき、看護師に付き添っていてほしい、看護師に手を握っていてほしい、看護師は不要、あともう一つの選択肢があって、どれかを選ぶことになっていた。意味が分からない。付き添うと手を握るを区別するセンス。こんな選択肢は初めて見た。私は看護師は不要とした。

 診察室に入ると、若い医者がいた。胃カメラは、本当に管を飲み込んで胃に入れるというシンプルな構造だった。いざとなると怖くなった。さっきの選択肢の意味が分かった。

 管を口に入れられ、
「はい、飲み込むみたいにしてください」
と言われ、やってみると、管が入っていくのが分かった。のどに傷がついたようで痛い。むせて咳が止まらない。怖いし、いやだ。だがもうさすがにここまで来たら耐えて終わらせるしかない。むせて涙が出てくる。不安で仕方がない。なぜこんな目に合わなければならないの。医者の判断だったのだろうが、いつの間にか看護師が横に来て、私の体にそっと手を当てて、「大丈夫ですよ」と言ってくれた。

 人の手や言葉をこんなにありがたいと思ったことはなかった。

 やっと終わった。若い医者が、私に録画映像を見せながら、
「きれいなもんですわ」
と言った。私の大きな胃袋が画面に映っていた。やはり誤診、判定ミスだったのだ。
 七千円くらい払って、終わった。のどは一月くらい痛かった。運の良いことに、翌年から人間ドックは義務ではなくなったので、それ以来、通常の健康診断を受けている。


 




 


 








 

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