もしも朝ドラ「舞いあがれ!」が中小企業診断士2次試験の与件文だったら
※この記事は #診断士アドカレ の16日目です。
朝ドラ「舞いあがれ!」とは
NHK朝の連続テレビ小説、通称「朝ドラ」とは、土日以外の毎日朝8時から15分間、短いドラマを半年間放送し続ける連続ドラマです。
私は社会人になって以来の朝ドラガチ勢で、朝ドラを見ながら飯を食って、それから出勤するのが習慣になっています。
そして、ちょうど1年前の今頃放送していた朝ドラが、福原遥さん主演の「舞いあがれ!」です(福原遥さん、まいんちゃんと言えばわかる方もいるかもしれません。みんなも調べてアラモード☆)。
「舞いあがれ!」の舞台は東大阪なんですが、私が東大阪にちょっとしたゆかりがあるのと、ドラマ自体が登場人物の心情にやさしく寄り添う滋味深い内容だったのとで、私は1年経った今でも録画を残しているくらいの「舞いあがれ!」ファンです。
滅多に泣いたりしない私の涙腺が緩むくらいのいいドラマです。ぜひ見てください。……と言いたいところですが、全125話なので全部見ると31時間くらいかかります。布教のハードル高いよおおお。
さて、ドラマの内容についてです。
ヒロイン・岩倉舞(福原遥さん)の父・浩太(高橋克典さん)は、妻のめぐみ(永作博美さん)とともに東大阪で町工場を経営しています。
この町工場が結構な山あり谷ありでいろいろと苦労が多いわけですが、当時中小企業診断士2次試験の勉強をしていた私は次のように思いました。
「これ2次試験の問題っぽくね?」
だって、特定の取引先に依存してたらリスク高いから分散しようとするし、一貫生産体制構築したら事業が成長するし、M&Aするか事業承継するかで悩んだりするし、、、
劇中に中小企業診断士は登場しませんが、診断士の人が監修に入ってるんかもなと勝手に想像していました。
実際、東大阪商工会議所の方が「町工場監修」として、東大阪でねじ工場を経営されている方が「ねじ監修」として参加されていたようです。
また、「舞いあがれ 診断士」で検索すると、中小企業診断士の諸先輩方がブログで取り上げてたりもされています。完結した今、改めて「舞いあがれ!」に関する感想をお聞きしてみたい……!
このドラマでは舞の幼少期1994年から、母になった2027年までが描かれます。
海外製品に脅かされ、大企業との体力の差を思い知らされる。特にリーマンショック期の地獄のような苦しみは、いち視聴者にすぎない私でさえ見ていてしんどかったです。進むも地獄、戻るも地獄、中小企業に寄り添うということは、この地獄の中にあってもともに走るということ。
それでもしたたかに生き抜き、町工場同士で助け合いながら、夢を抱いて新しい事業に挑戦していく、この人々の輪に自分は胸を張って入れるのか? 自問しました。あんたが目指してる資格はそういうことやで、と突きつけられているような思いがしました。
そんな素敵なドラマだったのになんで見てないんですか?????(妙な角度からの煽り)
さて、今回診断士アドカレに参加させていただくにあたっていろいろとネタを考えていたわけですが、ふと「そうやん『舞いあがれ!』与件文にしたらええやん!」と思い立ったので、与件文書いてみました。
新しいタイプの2次創作ですね。
中小企業診断士とは
逆にたまたま流れ着いた「舞いあがれ!」ファンの方で中小企業診断士のことをよくご存じない方へ、ちょっとだけご紹介。
中小企業診断士とは、経営コンサルタントに関する唯一の国家資格です。その資格の2次試験として、実際の企業をモデルに作った事例に関し、経営学などの観点からあーだこーだと問うてくるんですね。
この記事はその「事例」っぽく「舞いあがれ!」を書いたらどうなるか? という痛ファンの2次創作です。
与件文
まあ前置きはこれくらいにして、まずは読んでみてください。
試験科目は事例Ⅰ(企業の経営戦略、組織・人事)を想定しています。
また、設問文は書いていないので、よろしければ「どんな設問にしようかなー」なんて考えてみてください。
そして、それを私に教えてもらえたらとっても嬉しいです!
体裁を本番に寄せた画像と、テキストベタ打ちのどちらもご用意しています。
画像
ベタ打ち
A社は、資本金1,000万円、従業員40名(うちパート・アルバイト3名)の、特殊ねじの製造業である。A社は「ものづくりのまち」として全国に知られる、中小製造業の集積地域に立地している。
A社は、A社長の義父(夫の実父)によって1960年代に創業された。規格品である普通ねじを中心に製造し、1980年に初代社長が急逝すると、大手重工メーカーでエンジニアとして働いていた初代社長の息子が2代目社長に就任した。2代目社長は幼い頃より飛行機に憧れを持ち、就職先の大手重工メーカーで航空機の製造を希望していたことから、A社でも航空機部品を作る夢を持っていた。
A社は下請として産業用機械の部品のねじを製造していた(註1)が、1990年代に入ると海外から安価な普通ねじが流入するようになる。普通ねじは規格が定まっているため品質面での差別化が難しく、価格面でA社は海外製品に太刀打ちできなかった。そして売上高の多くを占める大口取引先から、唐突に取引停止が通告された。その頃のA社は、2代目社長、初代社長の時代からA社のねじ製造を支えたベテランのX氏(註2)、高校を卒業したばかりのY氏(註3)の3名によってねじの製造を行い、2代目社長の妻が事務を行っていた。苦境に陥った2代目社長が新規案件獲得に奔走していると、ある取引先から特殊ねじの試作を依頼された。技術的に製造が難しいうえに納期が短く、他社から断られているという案件だったが、2代目社長は藁をも掴む思いでその特殊ねじの試作に取り組んだ。2代目社長とX氏の高い技術力や、先代社長を知る近隣の金型製造業の協力が奏功し、試作に合格して受注を獲得できた。
特殊ねじの量産によって売上が回復すると、2代目社長は普通ねじの製造を縮小し、顧客によって仕様の異なる特殊ねじの製造を注力する方針を立てた。2代目社長やX氏、職人として成長したY氏を中心に、高い技術力を生かし顧客企業の要望に沿う特殊ねじの製造体制を確立した。また、2代目社長は新規取引先を積極的に開拓していった。
特殊ねじの製造が軌道に乗ると、A社はより広い工場に移転し、製造設備の増強を行うとともに、社員の採用を進め、2代目社長とX氏によって職人の技術教育に努めた。また、2代目社長は社名を英字表記に変更する(註4)とともに、自社のHPを作成し、知名度向上を図った。自社のねじが航空機部品として空を飛ぶことを目標に、「小さなネジの、大きな夢。」とスローガンを制定し、社内外に発表した。
2000年代に入っても安定的な成長を続けていたA社は、自動車部品に進出すべく、社運をかけて新工場を設立する。しかし、新工場が操業を開始した直後、リーマンショックにより自動車メーカーからの受注が激減し、A社の経営は打撃を受けた。信用金庫から多額の借入を行った直後であったため、A社の資金繰りはたちまち悪化し、社員の給与を社長個人の貯蓄から支払う状況に陥った。信用金庫からは事業売却や人員整理を提案されたが、2代目社長は父から受け継いだ工場や、家族のように大事にしてきた社員を手放すことができず、リストラ以外の方法を模索した。この頃、A社の製造部門で主任を務めていたY氏が、A社の倍近くの給料を提示した同業他社にヘッドハンティングされ、A社を退職している。
A社の経営状況が悪化していく中、取引先から太陽光発電設備のねじ部品の製造を打診された。新規案件を2代目社長は大いに喜んだものの、その案件は納期が極端に短く、A社の生産能力では、本注文後の製造開始だと納期に間に合わないほどの受注量だった。売上とリスク回避のどちらを優先するか、A社内でも議論を行ったが意見はまとまらず、最終的には2代目社長の判断で、本注文前に製造を開始することにした。しかし、本注文前に取引先から、設計変更に伴う取引中止を通達され、A社は大量の不良在庫を抱えることとなった。2代目社長は以前より体調を悪くしていたところへ心労が重なり、心筋梗塞により急死した。(註5)
2代目社長の妻は、亡き夫の残した工場を守ろうとするも、自らに経営経験や技術的な知見がなく、事業環境も依然厳しいことから、借入先の信用金庫を通じてA社を売却することにした。しかし、信用金庫の担当者による視察当日、早朝から自発的に工場の製造設備を清掃している社員や、誇らしげに設備や技術の説明をする社員たちの姿を目の当たりにし、考えを改める。そしてA社の3代目社長となり、A社の立て直しを図ることを決心した。それに合わせ、A社長の長女が母を支えるため、入社予定だった企業の内定を辞退し、A社の営業部に入社した。(註6)
当面の運転資金として2代目社長の生命保険金を充当しつつ、A社長が就任後真っ先に取り組んだのが人員整理であった。2代目社長が手塩にかけて育てた職人たちを削減するのは苦痛を伴ったが、A社長は断腸の思いでこれを行った。幸いにして2代目社長と懇意だった近隣の町工場を再就職先として紹介することができた。
また、A社長は各製品の収益性の総点検を行った。赤字となっている製品を特定し、取引先への値上げ交渉を行った。当初は難色を示されたが、A社長が強気の交渉を進めたうえ、A社技術を生かした取引先への設計コンサルティングサービスを提案したことで、収益改善に成功した。
経営と製造の経験を持たないA社長の就任に対し、直後は否定的な反応を示した社員たちだったが、次第にA社長の覚悟を感じ取り、A社長を盛り立てるようになった。A社長の依頼で開催された、X氏による技術勉強会の参加者は、当初A社長と長女だけだったのが、若手職人に加え、営業や経理の担当者へも広がった。技術的な知見を得た長女の懸命な営業活動が、薄型テレビ部品の量産案件の新規受注につながった。長女が商談時に自社の技術力を示す製品として見せたのが、倉庫に残った太陽光発電設備の部品である。この案件がA社再建のきっかけとなった。
再建の見通しが立った段階でA社長は経営計画書を修正した。工場の土地、建屋、製造設備を、A社長のよく知る投資家(註7)に売却したうえで賃借する契約とした。売却で得た資金により信用金庫からの借入を完済したうえ、余剰資金を原資に社員の待遇改善を行った。そしてY氏や、リストラで整理した人員を呼び戻した。
2010年代に入っても堅実な経営を続けたA社だったが、大手重工メーカーから航空機部品のボルトの試作品の依頼があった。父である2代目社長の夢を叶えたいと長女のたっての希望で、長女はプロジェクトリーダーとして試作に取り組んだ。航空機部品には極めて高い品質が求められるうえ、経験のない種類の金属加工や、新たな製造設備が必要となる。長女は近隣の町工場の協力を得ることで、自社にない知見や設備を活用し、試作に合格することができた。しかし、航空機部品の製造を継続的に行うには、A社の既存設備を撤去し、新規で専用の製造設備を導入する必要がある。これは既存の取引をすべて取り止め、航空機部品の製造に特化することを意味する。A社長は熟考の末、航空機部品の製造を見送る判断を下した。(註8)
2020年代になりX氏が高齢のため退職すると、年老いた母親の介護もあり、A社長は世代交代を考えるようになった。承継先は親族に限る必要はないとA社長は考えており、長女もその方針に賛同している(註9)。A社長は、長年A社のねじ製造を技術面から支え、社員からの信頼も厚いY氏への事業承継を検討している。A社長は製造現場以外の経験がないY氏への円滑な承継を行うべく、中小企業診断士に相談することにした。(註10)
注釈
創業当初の岩倉螺子製作所が何の部品を作ってたのか不明だったので「産業用機械」と仮定。
通称「笠やん」(古舘寛治さん)
通称「あきらくん」(葵揚さん)
社名変更は「岩倉螺子製作所」→「IWAKURA」
このときの永作博美さんの演技は凄まじかった(第66話)。
長女・舞は航空学校でパイロットの資格を取り、航空会社に内定をもらっていたものの、リーマンショックの影響で入社延期になっていた。
「A社長のよく知る投資家」とは長男・岩倉悠人(横山裕さん)。ヘッジファンドのファンドマネージャーとしてブイブイ言わせてるが、紙幅の関係で省略。なお、長男にもIWAKURAを継ぐ気は毛頭なかった。
めぐみさんが亡き夫の夢に留まらず、経営者として自立していることがはっきりとわかるシーン。ちなみにこの時点で航空機部品は諦めるものの、2027年には……!?
このとき長女は自ら起業し、東大阪の町工場の商品開発や販売促進を支援する会社を立ち上げていた。そのあと空飛ぶクルマ開発のスタートアップベンチャーの執行役員に就任する。
劇中では相談してない。最終回までに承継も終わる。
なお、本物の問題用紙で使われているフォントは、モリサワ社の「A-OTF リュウミン Pr6N R-KL」です。
単体で買うと高かったので、有償版Adobe Fontsの中にある「A-OTF リュウミン Pr6N L-KL」の太字で代用しました(有償版Adobe Fontsを使うためにAdobe Creative Cloudの無料体験に加入)。
ちょっとだけわかったこと
今回「与件文を書く」という妙ちきりんな体験をして、ちょっとだけわかったことがあります。それは「与件文は書いてみると意外と短い」ということです。
あれもこれもはとても書ききれず、カットした部分は数多あります。
事例の元ネタになった企業のありのままの姿も、3ページそこらでは書ききれないことは想像に難くありません。
ということは、書ききれないほどの情報の中から選び抜かれたことしか与件文には書かれてないので、ちゃんと隅から隅まで読まなあかんねということです。
意味のないことは書いていないし、書く余裕がない。
当たり前の話ですが、今回実感を伴ってそう感じたので共有した次第です。
2次試験合格発表まで4週間切った。びええええ。
追記(2023/12/18)
乗っかってもらいました。身に余るお褒めの言葉も頂き、あんパパさんありがとうございます。ただ一点だけ。
1ミリくらいの興味は持ってくれよ。笑