《言語化》でスプラトゥーンはうまくなるという謎の信仰【スプラトゥーン3】
はじめに
《言語化》という大いなる欺瞞
私はその辺にいる普通の日本人だが、
その辺にいる中年の男だが、そして常人なスプラトゥーンプレイヤーだが、
更に人並みにゲーム配信をしている人間だが、
《言語化》についてはこのNOTEで何回も語ってきた。
それに関しては以下の記事を読んでもらいたい。
今回の記事はスプラトゥーンの私が呼ぶところの《言語化界隈》に対しての不満と疑義である。
※ここで述べておくと、これは現段階において《言語化》と上達に関係性がどこまであるのかわからない。そのわからないものを信じ込んで《言語化》に時間を割くことがバカバカしいという話をしている。また世間で使われている《言語化》には過剰な意味が含まれていることを問題視している。
将来、どこかの段階で《言語化》が上達に関係があるということが判明すればそこで初めて《言語化》をやるべき、という考えである。
なお、Xではなく、Twitterという言葉がでてくるが、
私自身が書き慣れているのとまだ表記に揺れがあると思われるのでTwitterとよんでいる。
正直、どっちでもいい。
それと最初にハッキリと述べておくが、スプラトゥーンがその人の能力を超えて上手くなると言うことはまずない。
メロン君の動画をみて、それを真似ることも我々凡人にはできない。
これも何度もいっているが、私自身はメロン君を好きだし、彼の才能に惹かれるし、彼の動画や生配信などもみることが多い。
しかし、それは「学ぶ」ためにみているのではなく、
快楽を味わうためにみている。自分が全く勝てない人間なので、メロン君の動画をみるとすっきりする。
大食らいの動画などがYOUTUBE上にあがっているが、バクバクと食事をする彼らをみているのと同じような楽しみである。
ここには単純に勝利回数が多い人の動画をみて、快楽に耽っている私ズンダがいる。
私の水準では彼から何を学んでよいのかさっぱり分からない。
凛@ウデマエupデザイナー(@Rin_udmeup)のように短いテクニック動画をみたほうがよほど勉強になるのである。
FPS界隈の人間が文字を読めない人の集まりだと思っているし、
もしかすると文章の読解が難しいかもしれないが、それに対して私は何もこたえることはできない。《言語化》がという訓練をしていくうちに長文を読めるようになるかもしれないが、そんなことを好きな人間はFPSをやらないだろう。
うまいプレイヤーは《言語化》なんてしてない
自分の視聴者をみていたときにおもったこと
私ズンダの考えでは《言語化》は意味不明な用語である。
それは《言語化》の意味が不明なのではない。使い手側の《言語化》に対する信頼が「意味不明」なのである。
使い手はその価値を至上のものだと思い込み、それを信奉している人々は
《言語化》で何かができるようになるとおもっている。
スプラの《言語化》でいうと《言語化》することで
ゲームがうまくなるらしい。
私がこれに疑問をもった理由の一つにはXPが高い自分の視聴者
(Ver. 6.0.0 [2023.11.30]より前の状態でXP2000中盤から後半、もしくはXP3000を超しているような人たち)が全く《言語化》などしていないことであった。
プレイに関してなど何も語ってない。
たまにきいてみると「こんな感じかなーとおもってやってます」というぐらいだ。
これは視聴者にかぎらない。誰でも知っている有名プレイヤーも特に《言語化》など披露していない。披露しているのは普通の人よりは明らかにうまかった水準、スプラ2で2000中盤~後半の人間達だけである。
スプラ3では落ちぶれてしまった。
要するに旬がすぎた人たちだ。
言語化先生という導師と自己啓発の「万能論法」
私の視聴者のTwitterなどをみても、
勝敗やXPの上下、味方への不満などがかかれても
「プレイについての《言語化》」などは全くない。
彼らの行動に《言語化》などというものはないのだ。
本当に《言語化》はそんなに重要なことなのだろうか。
プレイヤーとして活躍したい、ゲームがうまくなりたいのであれば
《言語化》に拘る意味があるのだろうか。
ゲームをうまくなるのに《言語化》がどれほど上達に役に立つのかわからない。
そして仮にゲームがうまくなる《言語化》があったとしても、今のところこの界隈でそれを説明している人間をみない。
たとえば、以下のサイトでは《言語化》によってゲームがうまくなるとかいている。
しかし、《言語化》がなぜゲーム上達に関わるのかについては根拠がない。また、《言語化》の具体的なやり方について書かれた「言語化って具体的にどうやるの?」の項目は自信なげである。
不思議なことに「《言語化》すれば上達する」と思い込んでいる人間がTwitter上に沢山いるのだが
なぜか根拠が挙げられることはない。
それなのにもかかわらず「《言語化》すると上達する」という考えはスプラ配信者やTwitterで検索するといくらでも出てくる。
「ここを《言語化》できればもっと上に行けるんだろうな」といった類いのものだ。
この人達の特徴は「《言語化》さえすれば、物事は上達する」というものなのだが
そもそも
「《言語化》さえすれば」
という前提に根拠がない場合、
「物事は上達する」
が成り立つことはない。
そして彼らはそれに全く気づいてないのである。
正に「鰯の頭も信心から」という諺どおりである。
この考え方が困りものなのは
「《言語化》してもうまくならなかった」
と誰かが言った場合、
《言語化》を得意とする先生―ここでは彼を《導師》と呼ぼう―は次のようにいう可能性があることだ。
この返しは正しくないことは明らかである。
そもそも《言語化すれば上達する》という根拠がないのだから
「君の《言語化》がおかしいから上達しない」
ということ事態が「おかしい」のである。
「おかしい」のは導師、お前なのだ。
落語でもやりたいのであれば寄席にでもいってくればよい。
斯くの如きやりとりを私の動画やブログを読んだことのある人間であれば思い出して、気づくかもしれない。
そう、「万能論法」というやつである。
これは自己啓発本などで頻繁にみられる「万能論法」なのである。
簡単にいえば「自分の説を真似して、あなたがうまくいかない場合、それはあなたのやり方が自分の説を真似しきれていないからである」といった論法のことだ。
この手法を牧野智和は
「万能論法」(『自己啓発の時代: 「自己」の文化社会学的探究』)とよんだ。
自説を否定されたとしても、相手のやり方が悪かったせいにすれば
自分のせいにはならないからである。
と書き換えれば、この「万能論法」と全く同じであることが
わかるだろう。
《言語化》の導師や、あるいはそれを信奉している人々の陥穽がこれである。
結局ここにあるのは「工夫すればどうにかなるだろう」という楽観的なモノの見方にすぎない。
こうして人は、自分の能力を見誤る。
スプラではなくてTwitterがうまくなった
Twitter上位勢、爆誕
《言語化》にはまっていくらTweetしていてもXPが大して上がってない人たちがいるが、
これは《言語化》しても意味がないことを端的にあらわしている。
彼らがうまくなっているのは「スプラトゥーン」ではない。
X(Twitter)の使い方である。
それで考えればXP(X=Twitter、P=パワー)が上がっていると主張できるかもしれない。
もしその主張であれば納得できる。
何が当たっているのか点検しないと妄想が膨らんでいく
だが、彼らのスプラに関しての
書き込みは無価値であり、そこでどんな考察を披露してみせようがその考察は肯綮にあたってない。
あさっての方向にむかって飛んでいる矢である。
Twitter上では綺麗に整えられた比喩や警句も、実際のプレイに反映されてなければ単なる言葉遊びでしかない。
彼らの《言語化》は垂れ流しの妄説であり、それが点検されることはない。
点検されれば《言語化》は夢裏の戯れでしかなかったことが判明するからである。
何も語っていないイカケンに対するしつこい批判が繰り広げられるのは、
「点検できないこと」だからである。点検できないことであれば無限にいえる。
開発者が何を考えているかなど
一プレイヤーに分かるわけがない。
そもそもイカケンとよばれる人たちを具体的に定義できるのだろうか?
イカケンが何人いるのかすら、知らないのではないか。
更には、スプラの《言語化界隈》にはギアや武器をこのようにしたらどうだろうか?というのを頻繁にかいている人がいる。
これは自分のことをイカケンだと勘違いしている人間がやることだ。
ネット上で「最強の任天堂法務部が~~~」といっている人とかわらない。
Twitterで無駄口を叩いているだけである。
《言語化》大好きな人と陰謀論者とインプレゾンビ
あとは同じようにスプラ3の批判をしている同臭味で
互いにイイネや引用RTをし、インプレッションを増やし、スプラ関係の人間のタイムラインに乗るようにすればそれだけで、発言の影響力を増せるという仕組みである。
インプレッションゾンビ(Twitterがイーロン・マスクに買収されてから
インプレッションによって収益を得られるようになったために出現したインプレッション稼ぎのこと。通称インプレゾンビ。)を批判している人間と、こういう引用RTや仲間同士で共通の話題に対して騒ぐ人間との違いが全くわからない。
目くそ鼻くそを笑うではないか。
むしろ私からすれば、金目当てでインプレゾンビをしている人間のほうが理解しやすい。
金のために何かするなどというのは普通のことだからである。
金が欲しくないとかいうのは
異常な金持ちか、世捨て人か、子供だけだ。
更に言おう。
私は《言語化》云々いっている人はこのインプレゾンビと同じだとおもっているのだ。集客のために、イイネをもらうためにTwitter上でスプラをダシにして《言語化》しているだけだとおもっている。
《言語化》の本がでてますが、よんでますか?
確かに言葉にすることで物事は整理される側面があることは否めない。
そういった研究があることも事実である。
しかし、それと上達の関係性は全く不明である。
ましてやスプラトゥーンが上達するとなると本当にわからない。
たぶん、知らないだろうが、
2023年あたりからビジネス書で《言語化》に関する本が何冊か出版されている。
こういったビジネス書は自己啓発本と同じようなものである。
しかし、具体的にどうすればいいのかという技術を提供しており、否定できるものではない。
読んでみるとわかるが、基本的には「文章の書き方」がまとめられている。
そして肝心の「物事の上達」について触れている本は
僅かしかない。あったとしても数頁程度である。
つまり《言語化》という題名の本ですら、「上達」の意味を込めてはいないのである。
よく考えなくても「物事を理解した上で実行する」などというのは普通のことである。
学校教育で習っているだろう。「理解して勉強しなさい」などというのは。
それだけのことなのになぜ《言語化》という言葉がでてくるのだろうか。
《言語化》はあなたを変えてくれる魔法のことばか?
こうなると《言語化》には特別な意味が付与されていると思わざるを得ない。
何か自分の能力を引き上げてくれる《お呪い》のようなものである。
仮に《言語化》をつかう人々が「自分は特別な意味を付与していない!」
というのであればそれはそれでいい。
だが、そうだとすると
《言語化》が実は無価値な用語であることが確定し、
その無価値な《言語化》を信奉し、誤ったやり方でスプラが上達すると思い込んでいたということになり、事態は更に深刻である。
こういう人は《言語化すれば上達する》という
思い込みから卒業した方が良いだろう。
そして、もしそれでも自分は《言語化》に興味がある、というのであれば
即刻、本屋へ行って《言語化》に関しての本を買い、勉強すべきであろう。
そもそも《言語化》に価値があるのだとすれば、どうして《言語化》の勉強をしないのだろうか?
こういった人がスプラがうまくならないというのは自分にとって重要だと思い込んでいる
《言語化》についてすら、まともに勉強しようとしない、その不勉強な性格にあるのではないだろうか?
ズンダも《言語化》を使用したことが何度もある
私ズンダ自身も数年前の動画でこの《言語化》を使って動画を作ったことがある。
このときなぜ《言語化》を使ったかと言えば
「《言語化》が今、よく聞くようになった新語なのでyoutubeの再生数をあげるのに有効だろう」
と思ったからである。
その《言語化》の意味を私は「解説」の類義語だと捉えていた。
つまり、動画やブログなどでスプラについて語る際、
毎回
「解説します!」
だと藝がないように思われたので
「言語化します!」
という類語を使おうという気持ちであった。
当時は《言語化》という言葉が、
誰も知らない門外不出の奥義を教えるかのような含みがあるとは
とうてい思ってはいなかった。
《解説》の別表現だと認識していたのである。
《言語化》をウリにしている人たちがいると気づいた
しかしその認識が誤りだと気づいたのは2022年の11月頃であった。
スプラトゥーン3が9月に発売されてからの数ヶ月たち、ウデマエXが導入されてから少したったあたりである。
このとき私と私の友人(T)がスペースにおいて談笑していたときに《言語化》しているわりにはXPが上がってない人たちのことが話題になった。
ここでTwitter内におけるスプラトゥーンで《言語化》を重視している人々を
《言語化界隈》と呼ぶことにしよう。
この《言語化界隈》の人々はTwitter上でスプラ3に関して多くのことを語っていた。
スプラ3のステージの特徴、武器格差の問題、スペシャルやサブなどの使い方、イカ研の失敗等々。
誰でも自分がやっているゲームについて語りたくなることはあるだろう。
しかしこの話題を発売からずっと延々と書き込んでいる人たちは一部であることを思うと彼らの熱意は凄まじい。毎日スプラに触れているのだから。
その中にはイカケンに対して誹謗中傷に思えるほど常軌を逸したものもあり、
一体何が彼らをここまでさせるのか理解不能でもあった。
理解は不能だが、理由は簡単である。「勝てないから」である。
また、《言語化界隈》はS帯あたりの人たちがTwitterにあげている動画などに対しても皆で口々に批判などをしており、それもみていて不愉快に感じた。
その批判も所詮は同じ界隈の人間によるリンチでしかなく、その批判の根底にあるのは
「同じ動画をみて、同じ感想をもっているかどうか」
という自分たちが仲間であるかを
確認し合うための感想である。
それでいながら自分が他の界隈、または全く関係のない人間から批判されたときには何ら生産性のないやりとりをすることも以前にかいた。
そのとき、私とTとのスペースにおいての話題も、この《言語化界隈》への批判であった。
スプラ3は失敗作というのは当時、何度となくいわれていた。今でもそうだろう。
2よりも面白くない。ハマることが出来ない。みんな飽きてる。
これらの書き込みや有名配信者による動画なども頻繁にでていた。
私ズンダはスプラ3にバグやラグのひどさがあるとおもいつつも、
スプラ2よりは好きであった。
そして、スプラ3が駄目な理由をステージなどに求めてはいなかった。
これは行動経済学における「ナッジ」がスプラ3においては欠如しているためなのではないか?という考えだったからだ。
その話をスペース上でTに話しているときにこの《言語化界隈》のことが話題になったのである。
前作で2000後半だった人間がやたらに饒舌だったのである。
仲間内で何かいった気になって盛り上がっているだけではないか?
こんなやりとりをしていたので、私も2022年終わりから今に至るまで
《言語化》について調べるようになっていった。
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