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“居場所”ができた日

前の職場だったら絶対にありえなかった。

今の職場で力のある立場にいる先輩運転士の一人(以下、Aさん)に「あなたのこと、なんて呼んだらいい?」と聞いてもらえたのだった。

いや、それだけならまだありえるか。

俺は職場では旧姓のままで働いており、旧姓は全国にありふれた名字である。
今の姓に変えて働くと同じ職場にいる相棒と被るので面倒だな、と思い、営業所を異動になっても旧姓のままにした。それについては良い選択だったと感じているが、しかし旧姓と同じ名字の人も同じ職場にいる。だから呼び分ける必要が出てくる。
生まれてこの方、学校でも先生から下の名前で呼ばれることはよくあった。同じ学年に同じ名字がいなかった時でも、ありふれた名字だから下の名前で呼ばれがちだった。良くも悪くも。

「なんて呼んだらいい?」と聞かれるかはともかく、思われることは幾度となく経験してきた。

ところが、今回のAさんからの声かけはひと味違った。
“下の名前で呼ぶ”という提案が一切なかったのだ。
それで「対面してる時は名字呼びでもいいんだけど呼び分けたい時に……うーん。特に何も呼ばないというのでも平気なタイプ?」などと悩んでくれていたのだった。

あれ?自分のセクシュアリティのことが伝わってる?もしくは下の名前を呼ばれたくないという情報だけでもどこかから伝わってる?
日頃オープンに生活しているから、何かしらの拍子に察知してくれていればラッキー!くらいの気持ちすらあるが、オープンだからこそ、そういったことをしっかりと説明済みの人というのが職場には少ない。
前の職場ではそれで何となく俺が一般的な女の子でないことに気づいても、是が非でも俺のことを女の子と信じて疑いたくない!という鬼迫を感じられる人すらいた。今の職場では、やはり女の子を見る目で見てくる人は一部いるが、しかし一部である。フラットに接してくれる人が多く、ましてむやみに下の名前で呼んでくる人が本当に少なくて、前の職場と比較して初めは驚いてしまった。

さて、Aさんからの嬉しい配慮には、どこまで自分のことを説明したらいいのかとか、あだ名で呼ぶようなことをお願いしてもいいのかとか、あれこれ悩んで「うーん、どうしましょう」などと言っていた。が、ついぞ思い切って、旧姓とあだ名の両方を上手くひっかけたあだ名(今の職場で広めたら過ごしやすくなるかなと以前から密かに考えていた)を提案し、快く呼んでくれることになった。

この日の夜、寝る前にこの出来事を思い出し、じわじわと嬉しくなった。上の立場に行くような年齢層の人でもそれとなく察して配慮してくれる人がいて、そうした人のいる職場環境にいられることが。

後日、相棒にこのことを話してみるとわかったのは、Aさんが事前に相棒に聞いてみていたこと。そして相棒は「全部本人に直接聞いてみてください」と返してくれていたこと。さらには、Aさんが呼び方を聞くきっかけになったのは、別の役職付きの先輩運転士(以下、Bさん)が俺と話した時の何気ない一言で「もしかして下の名前で呼ばれるの嫌なのかも?」などと察してくれたらしいこと。

Bさんは誰にでも分け隔てなく気さくにお話ししてくれるとても良い人なのだが、そういうことがわかるような話をしたっけ?と心当たりがなかった。相棒に言われて「これかも?」と思い当たったのは、Bさんと他2人の運転士とともに雑談していて、どんな男性がモテるとかモテないとかという話になった時に「女性としてはどうなのー?」と聞かれ「女性の気持ちはわからん(笑)」とサラっと答えたこと。ただこれだけ。
この業界、この会社にいながらこんなレベルの会話で勘づいたとしたら、Bさんはとても豊かな感受性をお持ちな上に、とても柔軟に考えられる方であると思う。すごい。すごすぎる。

Aさんの話に至る裏側を知って、Bさんの職場内での存在にも心強さを感じ、ますます今の職場にいられることが幸せに感じられてきた。大前提として、自分のことを尊重した対応をしてくれる相棒がいるのもありがたい。

“異動先の職場”が“自分の職場”になったと感じた出来事だった。

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ずんば
現状、自分の生き様や思考を晒しているだけなので全記事無料です。生き様や思考に自ら価値はつけないという意志の表れ。 でも、もし記事に価値を感じていただけたなら、スキかサポートをいただけるとモチベーションがめちゃくちゃアップします。体か心か頭の栄養にしますヾ(*´∀`*)ノ