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Aセク・ノンセクが彼らのままで損なわれない物語が読みたい

Twitterで回ってきたこの漫画を読んだ。

Aセク寄りの人間としての感想

アロマンティック・アセクシャル寄りの人間として率直な感想を述べる。非性愛者のセクシャリティを蹂躙する話を美談にするな。

この漫画は、本当は女性が好きだけどまだそれを自分で性自認として表明できる段階までいってない女の子が、告白してきた男と、「それが"普通"だから」仕方なく付き合って、本当は嫌でたまらないのを我慢して「それが"普通"だから」という理由でキスとか性行為に及んだ、という物語と変わらないと感じる。

村井(主人公の女の子)は、一応、あなたの特性を理解した上でという条件付きではあるが、「付き合う」という性愛者側のルールを峰くん(ノンセクの男の子)に飲ませておいて、やっぱりそれに耐えられなくなったのに、それで別れるにあたり「キスしてくれたら」という性愛者側のルールを最後のダメ押しのように一方的に押しつけているというのがもう完全にアウト。

これ、たとえば男女逆(逆じゃなくてもダメだけど)で、「別れる前に1回だけセックスしよう」とかだったら大炎上じゃないですか。ロマンティックな美談にしてるけど、言っているのはそういうことですよ。

もう一度言う。非性愛者のセクシャリティを蹂躙する話を美談にするな。

Aセク・ノンセクの当事者性を主題とする物語の難しさ

ただ同時に、Aセク・ノンセクの当事者性を主題に物語を作るのって難しいなとも思う。

シナリオの書き方論などでよく言われていることだが、基本的に、物語の面白さというのは、主体が物語の時間経過の中で変化することでもたらされる。Aセクやノンセク当事者の当事者性をテーマに物語をつくるにあたり、ハードルになるのがこの「主体の変化」だと思う。Aセク・ノンセクがAセク・ノンセクのままで、なにか変化のあるドラマを起こすのは、恋愛物語を書くのと比べるとそれなりに発想力や表現力が問われるだろう。そこで、発想しやすい方向性として、「Aセクだけど優しい彼くん(彼女さん)に出会って始めて愛を知りました!」みたいな流れになりやすい。そして、そのような物語は一層、「恋愛に興味がないなんて、いい人に出会ってないだけだよ」「恋愛に興味がないなんて、恋人が出来ないから意地を張っているだけじゃないの」エトセトラエトセトラ、という感じの、世の中の大多数の性愛者からの偏見を加速させるのである。

そろそろ、それを打ち破ってくれるような、Aセクやノンセクが彼らのままでいられるような物語を私は読みたいと思う。(もうあるよ!っていう人はどしどし教えてください)


余談:アセクシャルのシンボルとして、「ケーキをいっしょに食べる」という言い回しがあるそうなので、ヘッダーの画像はケーキにしました。「セックスよりいいものには何がある?――ケーキを食べることさ!」ということみたいです。

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