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「トラウマが一つ消えた話、聞いてもらえますか?」
トラウマって心に残る傷のことだろうか。
今の私の心には幾重にも傷が積み重なって、一つ一つを見つめるのが難しい。始まりの傷が次の傷を呼び、さらに次のものへ繋がってきた。
始まりは母から幼少期に受けた虐待。
愛されなかった思い出がさらなる傷を呼ぶ。それも今ならよくわかる。
しかし10代の終わりごろ、私には何もわかっていなかった。(50歳くらいになるまでしっかりとわかってはいなかったけれど)。虐待を受けたことを振り返ることすらしなかった。自分と他人の違いを知らず、自分が求めれば幸せになることは容易いと思いこんでいた。
大学時代に仲良くなった同級生8人組。
男が5人、女が3人。
卒業したあとは数年に一度、誰かの結婚式で集まったり、何でもないときでも東京に集まって懐かしい話をつまみに飲んだりした。
8人みんなが集まることはあまりなくて、6人だったり4人だったり。それはそれで楽しかった。ずいぶんたってからは子連れでくるメンバーもいて、そんな時は話題はなにかと品行方正。それもまた面白いひとときだった。
今から10年近く前のことだけれど、その時は3人だけの集まり。昼間は桜を見て夜はフレンチ居酒屋。東京に住むユウトが設定してくれた。私とサチコは大満足。おしゃれなバーにも行って3人とも相当飲んだ。
ユウトは以前の彼とは違って…チェイサーを勧めてきたり、料理を取り分けてくれたり…。
彼も大人になったってことかな。
酔いながらも私の心の中にしっかりとした考えが芽生えてきていた。
今夜、あの忌まわしいトラウマをなんとかできるかもしれない。結婚、出産を経た今でも残っている黒い影を消せるかもしれない。
幼いころの経験が全ての前提にあることをその時もまだわかっていなかった私。すべての始まりがユウトにあると思っていたのだ。
更に遡ること25年。大学2年だった私たち。
入学してすぐに彼のできたサチコとミホコ。男に免疫がなくて緊張しやすい私はなかなか一歩が踏み出せなかった。
そんな時に告白してくれたユウト。好きって気持ちはなかったけれど、試しに付き合ってみようか、そんな風に始まったことだった。だんだんユウトのことを知りたい気持ちが大きくなる私だったけど、ユウトはかなりの恥ずかしがりやで、自分から告白したくせに、隣を歩くのが恥ずかしい。手なんか絶対に繋がない。そんな人だった。私もこうしたい、ああしたいと言えなくて黙って後ろをついていく。
なんだか本当に付き合ってるっていえるのかな?
宙ぶらりんな気持ちでその時をむかえた。サチコやミホコがいつもヒソヒソ話してること。いよいよ夜を過ごすことになる。19年間親以外誰にも見られたことのない裸。はじめて男の人に服を脱がされて、すみずみまで見られてしまうその時。どれだけ恥ずかしくてどれだけ胸がドキドキするか。私の体を彼がじっと見つめたことは覚えてる。じっと見つめてユウトが言った。
やっぱりやーめた
私は黙って服を着た。
そして数日後、お酒に酔った先輩を家に泊めて私の初めてをもらって下さいとお願いした。そうせずにいられなかった。上手く説明できないけれど、すぐに誰かとそうしないといられなかった。
ユウトにはそのあとサヨナラを告げた。
あっさりした別れだった。
しばらく先輩と付き合ったけど、先輩の就職を機にサヨナラ。私はその後も数人と付き合って別れてを繰り返した。
ユウトとはその後もずっと友達だったけど、いつもギクシャクしたし、酔って歩いてる途中で、急に道端の花屋で私に花束くれたりして、ユウトは引きずってるのかな…って思ったりした。
卒業して割とすぐに私は結婚して子供も出来たけど、相手がモラハラ隠してたのがだんだんわかってきて、結婚生活はひどいものだった。それでも子供のこと考えて離婚せずになんとか過ごしていた。たまに東京でみんなに会えることを楽しみにしながら。
夫のモラハラがいよいよひどくなり、私は不倫を始めた。不倫相手と新しい生活が始められることを夢見たけど、不倫相手の気持ちは違った。離婚なんてするはずないでしょ、これはただの遊びでしょ?そうなんだね。勘違いしちゃってたよ私。
人生どこから間違えちゃったんだろ。
そんな時のユウト、サチコとのお花見。
私たちはもう40代半ばだ。
ユウトとの間に起きたあのトラウマ。
トラウマになってるあのこと。
今夜どうにかできるかもしれない。
サチコが察して一人で帰っていく。サチコの住まいは都心から電車で30分だ。
私はもう今夜は帰るすべがない。
家来る?ユウトが言う。
うん。お願いします。
行ってみたかったんだーユウトの家。
タクシーでさらに都心にむかう。
ユウトは独身でちょっといいマンションの最上階に住んでいる。
マンションの眼の前のコンビニでちょっと買い物。グっと手を繋いでくるユウト。大人になったんだね。
はたから見たらおじさんとおばさん。
でもまるで若い頃をやり直すような気持ち。お風呂入って笑い合って。ベッドに行ってまた笑う。ユウトは驚くほど優しい。暴言を吐く夫とは違うし、野生的な不倫相手とも違う。こんなに優しい行為ははじめてのこと。こんなに優しくできる人がいるという驚き。
こんなに優しくされるのはじめてだよ、私。
そしてあの19歳の時、どんな気持ちだったかをユウトに告げて、そしてユウトは謝ってくれた。初めてでどうしたらいいのかわからなかったんだよ…って。
ここにくるまでの私の25年、ユウトの25年。
不思議な気持ちで朝をむかえ、昼まで部屋でゴロゴロして、私が帰るときには玄関でギュッとハグしてくれた。
一人で最寄り駅まで歩いてる時に、外の空気を吸って空を見上げて、しっかりと実感した。25年間胸にあった黒いものが今跡形もなく消えていると。
トラウマって消えるんだ。
この時、空気が以前より透明になった気がした。
ユウトとの間にあったトラウマはすっかり消えたけど…家に帰ってくるとモラハラ夫は相変わらずモラハラで。
母にされた虐待の思い出は相変わらず私を苦しめたし、不倫相手も不倫のまま存在してて。それらはまた別の話。
また別の話として話せる時に書きたいと思います。
読んでくださった方、ありがとうございました。