将来のこと考えてるの?って質問
考えてないよ。
と答えると大抵小言をいわれる。詰められるし叱られる。めちゃくちゃ嫌だ。うんざりして腹が立つ。
すごく親しい友人や家族で、私にトラブルが起きた時に害が及ぶくらいの関係性の人、から聞かれるならまだわかる。が、私と親しくしてくれているような人々はそんな下らない質問はしないし、したら私がめちゃくちゃ嫌な顔で考えてないし、その質問の意図は何?と議論が始まってめんどくさいことになることは察している。
先日会った元同僚がその質問されるのが本当に嫌で、わからん、といつも繰り返してるんですけど、すっごく聞かれるんですよね。と言っていた。
将来のこと考えてるの?これは質問のフリをした審判な気がする。しかも、どう答えても有罪にして罰しようとしてないか?と感じる。
フランクな魔女狩りだ。水に沈めて死ねば人だし生きていたら魔女だから裁く。DEAD OR DIE。
考えていますよ〜。といえば、考えているなら聞かせてごらん。君が考えてる将来の計画がいかに甘いか指摘してあげるよ、と言わんばかりの勢い。
いや、頼んでないです。あなたには関係ないし、ご指導をいただきたいほどあなたの人生の在り方に憧れてないです。と思う。
考えてないです。と答えれば、質問者にとって若ければすぐに歳を取るというし、若くなければもういい歳だとかいって無計画に生きることの愚かさを問いてくる。
余計なお世話ってこういう時のために用意された言い回しなんだな〜と思う。
どんな計画を立てることをお望みか知らないけど、30歳までに子供を産むと決めたところで1人では生殖活動はできないし、愛した人がなんらかの理由で子を成せない身体だったら別の相手に切り替えるのか。20代でパリに住むと決めていたとして、その先に何かの目標がなければ満足いただけないのか、はたまたそうなら今〇〇すべきだよね?と糾弾するのか。今の仕事が楽しいから続けられればそれでいいと言えば、体力の衰えや技術進歩で長くは続けられない、と金言をくれるのか。それではどうすべきかは明確な答えなどないのに、とにかく不安を集めて見本市の様に並べてる。
私は目の前にあることを今できるベストで対応をしているだけだ。それの積み重ねがどこに行くかは知らないし知りたいとも思わない。その無計画な生き方に不安はないし、割と楽しく日々を過ごしてる方だと思う。
将来のこと考えてるの?
と質問のふりをして審判の場に他人を引きずり出したい人は、自分の選んだ人生がベストであると思いたいがために、自分以外のルートの人生を
不正解扱いしたいのでは無いかと斜に構えた見方をしてしまう。
別に私が幸福であることと、あなたが幸福であることは同時に成り立つのになぜ比べたり正解を1つに絞ろうとするのだろうか。
あはたの不安を埋めるために、私の人生を勝手に不正解扱いしないでくれよ、と思う。
将来の計画を立てたところで明日災害が起きれば状況は一変する。魂を分けあったかのように愛した人を失えば翌日からなにも手につかないかもしれない。続けるつもりだった仕事も病気で辞めざるを得ないかも。ずっと住むと思っていた場所も何かの理由で越さなければ行けなくなるかも。明日会えると思ってた好きな子が翌日にはこの世にいなかったら今後一生分のその子と過ごす予定は空いちゃうね。
だからあんまり長期的で細かい計画は立てない。私の意志でどうにかなることなど本当に少ないのだ。そんな不確定要素だらけの将来の計画をたてることは無駄なように思える。
あと、実力は無いのに完璧主義(らしい)の私はその立てた計画通りにことが運ばないことにストレスを感じることが目に見えている。
つまり将来を考えるメリットが皆無。
最近は親しくもない相手に、将来のこと考えてるの?などと聞かれることも無くなった。
同僚の話を聞いてよく聞かれていた時の不愉快さを新鮮に思い出したのでせっかくだし文字にしてみた。
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