だけじゃない
「真実はひとつ!」
だけじゃないと。見方によっては丸いし、別の角度からは四角にも
見える。どちらも目に映る真実。どちらも正解。
でも、その核心にあるものが真理(円筒形)なのかも知れない。
それが真理だといい切るだけの自信は私には無い。
この世の中の不思議のひとつに、
「人はある事柄について自分が正しいと思うくらい
深く知っている。
しかし、自分が間違っていると悟るに至るほど
その事柄を深く知らない」
(ニール・デ・グラス・タイソン博士(宇宙物理学者))
これは名言だと思った。
目の前で起こった事だけを見て
それだけが真実で、それがすべてだと判断するのは
自然な行為なのかも知れない。
でも目に映る事、耳に聞こえる事だけですべてを判断すると
場合によっては恥をかく。
某日本の大手企業の駐在員(永住権を持っている)が電話越しに
「僕はアメリカに40年以上住んでいるからね、、、」と言った。
だから何?と思ったけれど、「そうですか、長いですね〜」と合わせておいた。私の声と話し方は電話では若く聞こえるらしく
実際に会って驚く日本人は多い。この人の在米40年って
私とほぼ同じなんですけど、別にそれは言わなかった。
別の日系企業の現地法人社長は電話ではとても横柄な態度だったが
ある時実際にお目にかかる事になり、ホテルのロビーで
私が歩み寄って自己紹介すると驚きを隠せず「もっと若い人かと思いました。」ってどう言う意味?若い人なら横柄な言葉使いでも良いけど
同じ世代ならまずかったとでも言うのか。
なぜか日本人男性にこのタイプは多い。
自分の年齢が上だとか、会社での役職が上(同じ会社でなくても)だと
言葉使いや態度が無礼になる人。
中学生の頃、中1コースとか言う学生向けの雑誌の読書感想みたいな
コーナーに私のブックレビューと写真が掲載された。
印刷された本が届いた。ところが私が書いた文章はかなり
手直しされていた。訂正と言うレベルではなく、内容が変えられていた。
出版社に問い合わせたら事後承諾で「あ、ちょっと読者に分かりやすく
手直しさせてもらいました」。事前に連絡もなく。
全国の読者はその文章を私が書いたものと思うに違いない。
それからメディアに関して似たような経験を何度かした。
だから知名度の高い雑誌、新聞、テレビでの報道が
すべて正しいとは限らない事を知った。
「だけじゃない」はテイジンのキャッチフレーズかと思ったけれど
それだけじゃない。私達の身の回りのすべてに言える事だと思う。
選択肢についても同じ。
「もう、これしかない」と言って思い込む人。
それがプラスの方向なら良いけれど、マイナスの方向だと
悲しい結果につながる事もある。
あらゆる場面でオプションは1つだけという事はほぼあり得ない。
他のオプションを見つける事ができるか、できないか。
それだけである。
少し機転の利く人なら自分でオプションが見つけられないなら
誰かに聞いて見ようと考える。これで良いと思う。
要は何を書いてるかって言えば
強く、偏った思い込みはその人の脳で生成されたイメージで
ある事が多い。実際にそこにあるものとは異なる。
「だけじゃない」って言うのも思い込みだって
言われたらそうかも知れない。でも、少なくとも
自分が正しいとは限らないと思って
違う角度から物事を見ようとし続けたい。