見出し画像

【ショートショート】公園の亀(1,327字)

 勉強も部活も何もかも嫌になって公園で池を覗いていたら亀が話しかけてきた。
「貴様、浦島太郎知らないのか」

 猛暑も一段落して空気が少し冷たくなり、土の匂いが強くなっていた。雑草は乾燥して先が少し黄色くなり、気の早い落ち葉もちらほら見られる。初秋の快晴の中、近所の公園に来ていた。
 池の周りには木の杭とロープが設置されていて、進入禁止と大きく赤字で書かれた看板が斜めに傾いでいる。池は小川の一部であるものの、胃袋のような形に膨らんでおり、行き場を失った流れがそこに滞留していた。池の底が見えないほど緑の藻が繁殖している中にアカミミガメが手足をバタバタさせて泳いでいたのだ。
「初対面で貴様はないんじゃないの」僕はしゃがんで笑いかけながらそう言った。
「貴様って良い言葉じゃなかったのか? てっきり丁寧な呼びかけだと思っていたよ」亀は首をにゅうっと伸ばしながら返した。
 確かに貴様の漢字を思い浮かべるとどうも亀の言うことが正しいような気がしてきた。
「言われてみればそうかも。でも僕、悪者が使ってるのしか見たことないよ。それで、なんだっけ、浦島太郎だよね」
「そうだ、浦島太郎を読んだことがないのか?」
「読んだことあるよ、綺麗な乙姫が出てくるやつ」
「読んだことあるなら普通亀を助けるだろうが」
「えっと、何か困っているの?」そう言って亀をよく見ると、左脚に藻の塊が絡みついていて、その場から動けなくなっているようだ。右脚を必要以上にバタつかせている。
「あぁ、これか」そう言いながら池に両手を突っ込み、絡まった藻を解いた。「それと、浦島太郎知ってるからなんだけど、知ってるからこそ困ってても助けないかも」
「助かったよ、貴様。藻って見た目以上に粘着質なんだな。で、なんで助けないんだ?」
「浦島太郎って亀を助けたせいでおじいさんになったんだよ。変な話だよね、あれ。余計なことに首を突っ込むなって教訓だと思ってた」
 確かに浦島太郎の話を要約するとそうなる。貴様の言うことが正しいような気がしてきた。
「言われてみればそうだな。それはそうと今日の貴様の顔、ひどいぞ。目の下真っ黒で背中も丸まってる。もっとシャキッと上向いて歩くんだ。はい、立ち上がって! 背筋伸ばして! 上向いて! あごひいて!」
 亀に言われるまま体勢を変えると、突然の動きに身体が悲鳴を上げ、腹筋が攣りそうになった。視界が高くなり今まで無音だと思っていた公園に音が戻ってきた。川のせせらぎに加えて、葉が風で擦れる音や雀のいざこざが聴こえてきた。遠くで子どもがお父さんとキャッチボールをしているようだ。
「そういえば前にも会ったことあるんだっけ? 今日の貴様の顔って言ってたし」ふと疑問に思った僕は尋ねた。
「時々この辺歩いてるだろ、前からちょくちょく見かけてた」亀は絡まった脚が自由になったからなのか、僕に興味がなくなったからなのか、すでに池の中央に向かって泳ぎ始めていた。
「その時も声かけてくれたら良かったのに」「俺は人見知りなんだよ」「亀なのに?」
 人見知りの亀は手を振るような仕草で左手を池にパシャンと叩きつけてから池に潜っていった。あの亀ならわざと藻を絡めた可能性もあるな、と邪推しながら僕はふふっと微笑んだ。


いいなと思ったら応援しよう!