東京#2+横浜
※タイトルについて
東京#1を書いた気がしていて探したら、書きかけのまま下書きフォルダに埋もれていました。気が向いたら完成させます。こんなに信用ならない言葉はないよね。だいたい、今年は毎日更新する、って言ってたのにやってなかった。数日前、久々に短歌サークルに行ったら、そのことを指摘されてしまい恥ずかしかったです。読んでいてくれるのはありがたいのですが。というわけで、今日は、東京から帰ってきたばかりですがきちんと書こうと思います。
1泊2日で東京へ行った。目的が3つくらいあって、行きたいところは5つくらいあった、欲張り旅行。でも新幹線代高いし、元を取ろうとしたらそうなるよね、と思ってしまう。夜行バスには乗る勇気が出ない。車酔いと寝不足で次の日ふらふらになるリスクを、5000円くらいの差額では犯せない、と思ってしまう。賛否両論ありそうだけど。いつか友達と高速バスで淡路島へ行ったとき、ふたりともバス酔いがひどくて、目的地に着く前に降りてしまったくらいだから、自分の体質について甘いわたしは、京都駅から新幹線に乗る。ちなみに新幹線も、途中で適切な睡眠を取らなければ酔う。
眠気に襲われる少し前、窓の外に雪景色が現れておどろいた。たしかに寒い朝だったけど、それは京都駅についたのが日の出前だったからだと思っていた。畑一面が、ガトーショコラのようにうっすらと白い雪に覆われ、屋根も雪をかぶっていた。
目覚めてから、ひらいたのは『荻窪メリーゴーランド』、歌集である。荻窪に行くつもりだったこと、鈴木晴香さんに偶然出会ったこと(!)がきっかけで買った。歌集の装丁って、どうしてこんなに素敵なんだろう。
木下さんと鈴木さん、2人の歌人の歌が交互にならぶ。歌のやりとりが、2人の主人公のいる物語を進行させてゆく。ひとの気持ちって、たとえずっとそばにいた相手だとしても、いとも簡単に見えなくなってしまうものだよな、と思った。そのあとのわかりたい/わかられたいという気持ちって、半ば暴力的で、どうしようもなくて、切ないものだ、とも。そうわかっていても誰かのそばにいたいと願ってしまうのは、知っていることはそれだけじゃないから。たとえば、こんな幸せがどこかにあること。
2人きりの世界は、あたたかくみえるけれども脆くて、不安定で、この歌集の結末へと向かう。わたしはその恋の弱さと強さに、惹きつけられながらページをめくっていた。
東京へついたのは朝の9時。電車を乗り換え、吉祥寺へ。妹と合流してジブリ美術館へ向かう。美術館までは井の頭恩賜公園の中を通る。すれ違った人が、信じられないくらい顔の小さい犬を散歩させていた。小型犬だが体に対して脚も長いので、犬界のパリコレがあれば出られそうだった。そのあとそういう犬を何度か目にしたため、わたしの東京イメージに「犬がモデルさんみたい」が追加された。
ジブリ美術館は、光と色の豊かな場所だった。ステンドグラスも、イメージボードで埋められた壁面も明るかった。この美術館をつくった人は、ジブリという仕事場や、アニメづくりという仕事を、心から愛しているんだろうな、と思った。自分も、そのくらい惚れ込んで、他人に紹介できるような仕事ができたら幸せになれる気がした。手書きの説明版を見ながら、そんなことを考えていた。なんか、大人になりすぎたかもしれない。ネコバスによじ登る子どもたちはきっと、そんなこと思わないだろうから。
そして念願の荻窪に向かう。駅から、目的地である「本屋title」までの距離は、実際よりもずっと遠く感じられた。本当に楽しみにしているとはきっと、こういうことだ。
奥にあるカフェでチーズケーキを食べて、本を選ぶ。夜行バスで来た、かつ前日から東京にいた妹は疲れ切っていて、立ったまま寝そうだと訴えてきたが、もうちょっとだけ待って、と頼み込む。並ぶ本並ぶ本、良い。気になる。面白そう。前から気になっていた。ばっかり。あまりに惹かれる本が多くて、いつもなら流れるように本棚の背表紙をなぞってゆく視線が、つっかえてしまって先へ進めない。
サリンジャーの『フラニーとズーイ』と、津村記久子さんの『ミュージック・ブレス・ユー!!』を買った。前者は、翌日会う約束をしている、大切な友人に教えてもらった本で、後者は津村記久子さんの、かつ疾走感のある青春ものである予感しかしないので決めた。昔から、青春ものと音楽の組み合わせにたいそう弱い。吹奏楽をやるよりも昔から。伊藤たかみさんの『ぎぶそん』なんて、本屋さんではなかなか出会わないけど、とてつもなく良いのでみんなに読んでほしい。小学生の頃図書館で読んで、いまでも、ある場面だけははっきりと思い出せる。
妹とはこの日の夜で別れた。彼女は春から東京のひとになる。昔からわたしより妙に大人なところのある彼女は、この日もシュークリームが売り切れで買えなかったわたしを宥め、夜ご飯はなんでもいいと言い、ひとりでバス乗り場まで行けるから送らなくていいと主張した。ちなみに最後のだけは、普段乗り間違えばかりしているので信用できないなと思ったが、結局ひとりで乗れたらしい。でも彼女は、これからだいぶ歩くというのにジブリ美術館で重たい絵コンテ集を2冊も買い、道端で突然わたしに「なんか面白い話してよ」と言ってくる程度には大人ではない。そういう話の振り方は困る。探しても見つからなくて、黙ってしまうのでやめてほしい。でも自分の引き出しに、面白い話が全然入っていないことに悲しくなってしまった。妹ともろくに話ができないのでは、他人では絶望的かもしれない。
さて、書きたいことをはじめに絞らなかったせいで、あまりに長く、あまりに時間が遅くなってしまった。まだタイトルにある横浜に行けていないが、続きは明日書くことにする。
おやすみなさい。