日常

何気なく、自転車で出かける時に他人の家のドアをまじまじと見てみた。さて押し入ってやろうとか置き配になってるから持っていけそうだなとか、そういうことを考えているわけではなく、妙に生活を感じようとしていた、感じる。そこに人が住んでいて、生活があるんだなと思う。

こちらに来てから一年。未だに「日常」とは思っていなかった。地元からこちらに遠征している気分で、非日常的な生活をしているに過ぎないと思っていた。
扉を見ながら、住宅街の海を漕いでいると無性に「日常」を感じて、ああそうか、私もこれから家に帰って、扉を開けて、床にペットボトルが散らかり、シンクは缶ジュースで埋め尽くされた部屋に入って、それが「日常」なんだと思う。

十分な頻度で友人と遊んでいる私にとって、それをしている間は無性に非日常。そこに私の体がいるだけで、意識は上の空。何か別の私が体験していて、その体験を私が見ているに過ぎない。なんだかそう感じている。大学に行って、講義を受けて、聞いてるんだか聞いてないんだかわからないような目をして、何だか要領の得ない質問をして、的外れな苦情を言って、レポートに四苦八苦して、七転八倒しながら毎日を過ごす。これが、どうやら「日常」らしい。これを括弧付きの「日常」だと考えている。ただ次第に日常になって、もはや日常を思わなくなる。
それが至極当然で、普通な生活。そう思うようになるのだろうか。

人が寝静まる夜。住宅街の海。夢が舞う中私は一つのライトをつけながら、チェーンの音と、風の音を感じながらひたすらに息をする。吸って、吸って、吸って、その空気で肺が満たされて、やっと息を吐く。

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