独白

恥の多い人生を歩んだかと言われると、別段そんなことはない。悔いの多い人生を歩んだかと言われると、そうでもない。ただ、波瀾万丈、奇々怪々な人生だったろうし、一寸先は闇、崖っぷちな人生であったと思う。

相対的に良い環境で育った。欲しいものはあったし、やりたいことはできた。出かけたいところに出かけられて、甘えたい時に甘えられる。そういう、裕福な環境だったといえる。ただそれは今の私からそう懐古するだけで、当時の私にとっては劣悪だったろう。

件の通り、結構な頻度で気を病む私にとって、希死念慮は常に共にあった。とは言いつつも、重圧や人間関係とかいう理由でほっぽり出したくなったのは最近の話で、よほど幼い頃の方が死と隣り合わせだった。
何度か高いところから下を見下ろして、ここから飛び降りれば痛みを感じないだろうか?と考えたり、枕にうつ伏せになって息を止めれば死ねるだろうか?と考えたりを本気でしていたのは小学生の頃で、最近は(最近といっても高校生くらいだが)言葉遊びの上での希死念慮程度でしかない。どちらかというと無関心、無気力の方によっているので自殺願望等はない。

今こうしていられるのは小学生の数少ない──本当に、あの環境の中で友達でいてくれた人たちと、中学校の親友、高校時代の思春期不安定な少年を甲斐甲斐しくも面倒見てくれた友人達、大学に来て破天荒で言葉も粗暴で言葉に棘があるような私をそれでも仲間として受け入れてくれている友人達のおかげでなんとかなっている。

学校。
学校という場所が私にとってどちらかといえば居場所だった。どちらかといえば、というのは小学校は本当に居場所がなくて、中学校は部活だけだったけれど、それのほうが家にいるよりマシだった。
父は帰るなり不機嫌で、無口でいた。私はそれに怯えていた。一般に父親が怖いというのはそういうものとして言われるが、私の場合は生存本能的に、関われば関わるだけ精神が蝕まれるようだった。
母はそちらもそちらで、手をあげる人だった。もはや人に言えぬような烈悪なことをされたこともある。よくもまあ私は今もどこにも傷跡を残さず生きていられていると思う。少なくとも頭の形が変わっていなくてよかった。
私の居場所は自分の部屋だけだった。閉じこもって、机の下に入って。それでも高校受験はしなくちゃいけないから、もうそれしかすることがなくて。
高校に入って、父のそれはだいぶマシになった。家内で流石に問題になったので。母のそれもマシになった。私が精神を壊したので。それでも、壊れるまでは高校になるべく長居して、わざわざ電車の一駅歩いたりしてなるべく家に居ないようにしたり。とにかく家には居たくなかった。

そんな家族も、これからは私が守らなければならない。
帰れば以前のように怒鳴りをあげることもなく、ただ微笑むようで。
妹は私よりもよほど優秀だ。勉学がすごぶるできるわけではないが、おそらく同年代の少女にしては誰よりも正義感が強い。私には、いじめて来る人間に対して真っ向から物申すことはできない。あの子はそれをやってのけた。そして見事勝ち取っているようだ。知らない間に妹は私よりも強い人間になっている。

いとこに赤子がいる。それを私の家族もみんなであやしている。それを見ると、ああ私もこうやって育てられたのだと思う。家内のサーバーにアクセスして、私の幼少期の写真を見る。幼い頃から新しいものを振り回す私は、カメラで家族の写真を撮りたい放題していた。そこにはあの、赤子をあやす家族の姿があった。

私はあの家族を守らねばならないのだろう。居場所が自分の部屋しかなかったような家庭だったが、私をここまで育て上げた家族なのは間違いがない。今大学に送り出し、帰れば暖かく迎え入れてくれる家族に対して、私は何ができるだろうか。
なんとなく、父を超えたいので博士まで行ってみたい。
なんとなく、母のようにデザインセンスを持ってみたい。
なんとなく、妹の正義感を潰さぬ人になりたい。

結局のところ、過去を美化しているに過ぎない。果たしてそうだ。およそあの家にいられた私の強さは計り知れない。ただ、間違いなく私の家族であり、私がこれからも家族であり、20を超える青年がこれから恩を返さねばならない人たちなのは変わりない。
あと数ヶ月、私は10代のモラトリアムを自堕落に過ごす。

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