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644杯目:あれから10年…3.11
今日はSNSやテレビやあらゆるところで、『あれから10年…』という言葉が飛び交っておりました。
もちろん2011年3月11日の東日本大震災のことです。
被災された東北の方から見れば…的なところはありますが、自分も東日本大震災を経験しました。
『あれから10年…』
10年一昔、10年一区切り・・・きっと適切な言い方ではないでしょうけど、やはり一昨年の『あれから8年…』昨年の『あれから9年…』とはおなじ3.11でもやはり重みが違うような気がします。少なくとも自分は…。
当時のことは今でも鮮明に覚えています。
それまでは、ニュース等で国内の自然災害のニュースを見て、それを他人事とは思いませんでしたが、自分の住んでいる地域は、そのような自然災害のない良い場所なんだなー!と、なんの根拠もなく安心しきっておりました。
最初は、大きい地震!?くらいのイメージでしたが、途中から何やら今までに経験したことのない揺れを感じ驚きました。
当時、自分は小学校のPTA会長をしていたので、自分の家の中の被災状況を確認したのち、子供が通っている小学校に向かいました。
すでに子供たちは先生方と校庭に避難していました。
誰1人怪我などもないようで、ひとまずホッとしました。
そして校長先生を中心として、学校としての対応は、子供を迎えにきた保護者に直接引き渡す。
そのころは、道路が寸断されたり交通渋滞で思うように車が進めず帰宅または子供を学校に迎えに来れない保護者も多数いたけど、どんなに遅くなっても直接保護者に引き渡す。
家が隣だから、〇〇ちゃんも乗せていってあげるよ!も一切NG。
まだ余震も続いていたので、子供1人家の中で親の帰りを待つという状況を作らないため。
これまで、災害にあった時の共同の避難所が小中学校の体育館なんてニュース映像を目にしていましたが、現実には体育館はガラスが割れているから危険という事で避難所としては使えず、高齢の方は暖かくした保健室や職員室で夜明かし。
他の人は、校庭を駐車場に開放して、車の中で一夜を過ごすということになりました。
この時点で、リアルの怖さを感じたものでした。
まだ余震は続いていましたが、PTA会長という立場だったので校舎の中の様子を先生方と見て回りました。
屋上にあった給水塔が地震で壊れてしまったのか、その水が下の教室に雨漏りのように流れ込んで、床に散乱したランドセルが水に浸っているのを見た時は辛かったなー。
せめてランドセルを棚の上でも良いから移動できないものかと思いました。
もちろん、教室には一切入ってはイケないと注意を受けていたので、それは叶いませんでしたが…。
命からがら逃げて、まず無事なのは良かったけど、時間が経つと、電気がない…水道がでない…ガソリンがない…といういわゆるライフラインが寸断された状態の恐怖も経験しました。
数日後、まだ自分の住んでいる市には電気が来てなかったけど、隣の市ではすでに電気が来ていて、それが点いているのを見たときに、普段から見慣れた隣接の市なのに、とても眩しくて明るくて、当たり前と思っていたものは当たり前じゃなかったんだな!!と強く思い知らされました。
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