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作・演出担当作品の千穐楽に寄せて
芸術劇場で初めて作・演出作品を担当することになって驚いていたことも、とうに昔の出来事に…。
あっという間に担当作品は千穐楽を迎えてしまった。
忘れないうちにこの機会にどんなことを知った・学んだのかについて、書き留めておきたい。
初の作・演出担当作品で得た知見たち
【舞台の複雑さに対する再認識】
舞台の構造はいかに複雑であり、その上で作品を創ることはいかに大変なのかを再認識させられた。
これは中高時代にとある劇団で演出助手をしていた時から実感していたが、いざ自分で作・演出も担当するとなると、そんなことの連続だった。
ここでこれを降ろしてほしい、照明はこんな感じで、音響のボリュームが…などを「多分できるだろう、問題なさそうだし」前提で提案しても、思わぬところからNGが出たりした。
特にここでバトンを降ろしてほしい、このバトンはもう少し低くと提案した時に、照明や音響とあれだけ折り合いをつけなければならないのには驚いた。
演出助手をしていた時にそこまで気を回せていなかった自分の不甲斐なさと同時に、舞台の構造をあまりにも単純なものとして認識し過ぎていたことを思い知らされた。
事故や怪我がいとも簡単に起こってしまう場所である、ということについても認識が甘かった。
舞台はただ単に大きな台に人が乗って動くだけの場所だと、思ってしまっていた自分が多かれ少なかれ存在していたのだろう。
大いに反省しなければならない。
【作と演出を兼業する大変さ】
今回の企画では脚本を書いた人がそのまま演出を兼ねるスタイルだったので、私は「作・演出」の役割を作品の中で担うことになった。
宝塚歌劇団でも大抵そのようなスタイルを取っているので、将来宝塚で演出家になりたいと思っている私は意気込んだ。
だが、稽古が始まってみると作・演出をするのがどんなに大変か思い知らされた。
脚本だけを書いて終了なわけではないので、稽古にも全て参加したのだが、脚本の行間の意味やセリフの意味などを出演者から聞かれても答えられない時が頻繁にあった。
なぜかというと全てのセリフに対して深い意味や感情を込めていたわけではなく、以下の二種類のセリフも自分の脚本の中に存在していたからである。
・この言葉面白いから「とりあえず」入れとけ
・締め切り間に合わへんやん「とりあえず」書いとけ
(実際に大学の試験や資格の試験と被ったりするとかなり危なかった)
この「とりあえず入れとけ・書いとけ」セリフ群について問い詰められると、もう何も答えられなくて、正直「もう知らんがな!」と投げやり気味だった。分かりやすく言うなら夜遅くに意識が朦朧とする中、Twitterで超適当に呟いた言葉に対して「え、それってどういう感情なんですか?」とか「この行間の意味ってどういうことですか?」というリプがひたすら飛んでくる感じである。
締め切り間に合わへんやん系の「とりあえず入れとけ・書いとけ」セリフ群は、私のこれからの環境の変化やスケジュール管理技術の向上で解決できると思うが、この言葉面白いから系の「とりあえず入れとけ・書いとけ」セリフ群がどうすればいいのだろう。
この言葉面白いから系の「とりあえず入れとけ・書いとけ」セリフ群が観客に全くウケていないなら悩む必要なくそんなことは止めるのだが、意外にもこういうセリフ群がかなり観客にウケるのである。
ジレンマである…。
この言葉面白いから系の「とりあえず入れとけ・書いとけ」セリフ群は観客にはなぜかウケる率が高いが、稽古の時に出演者から質問されると何も太刀打ちできないというジレンマである。
どうすればいいんだろう。
もし私のこのnoteを見て下さっている方の中で演出家として活動されている方、もしくは作・演出を何度か経験されたことのある方がいらっしゃるなら、コメントでも問い合わせでもいいので教えて頂きたいです…。
(瀕死の白鳥が真顔でそちらを見つめて懇願する感じ)
【出演者/舞台スタッフさんたちの偉大さ】
初めて作・演出を担当するにあたって、もう本当に出演者たちと舞台スタッフさんたちに助けられっぱなしだった。
まず、出演者たちについて。
先ほど書いた「もう知らんがな!」状態に私が陥ってしまったとき、私が慌てふためき混乱するのを見て、すぐに「そうだよね、そうだよね。」と言ってくれる人が必ずいた。
こんなにダメダメな演出家に対して、自分の芝居を作るのも大変なのに必死になって演出プランを一緒に考えてくれて、場の雰囲気を和ませてくれ、励ましてくれる人が沢山いた。
私自身が音響の編集や衣装決めに追われてしまった(若干演出家と演出助手を兼業していた部分がある)こともあるが、そもそもの自分の経験不足が大きすぎて、作品の作・演出を私なんぞが名乗っていいのか⁉というくらいに出演者には沢山のアイディアを提案してもらった。
本当に本当に大感謝である。
次に舞台スタッフさんたちについて。
「シゴデキ」という、スラングな四文字で表現するのは大変失礼なほど非常に優秀で経験豊富なスタッフさんたちに公演を担当して頂いた。
仕事ができて優秀な方々である上、大人としても尊敬出来る方ばかりだった。特に印象深かったのは、打ち合わせの時、舞台の準備をする仕込みの時、舞台の撤収をするバラシの時。
打ち合わせの際はこんな演出素人の要望を真剣に聞いて下さり、話を遮られるようなことは絶対になかった。
私のような大学生のペーペーが得意顔をして演出プランを語るのだから、経験豊富なスタッフさんたちに話を遮られたり、否定されたり、凄い勢いで怒られたりすることも覚悟していたのだが、全くそのようなことがなかった。
真剣に話を聞いて下さり、時にアドバイスを下さる眼差しからはスタッフさんたちの舞台芸術に対する情熱がひしひしと感じられた。
同時に、芸術全般はその時代の情勢や政治にすぐに左右されるような儚い花のような存在だけれど、この情熱だけは絶対に変えられてはならないとも思った。
(実際、戦争などで情勢が悪化した場合に制限や圧力を速攻で受けはじめるのは常に芸術分野である。)
仕込みやバラシの際は今までの現場経験を駆使して効率的に指示を出し、決して感情的にならずに冷静に指示を出していた。
「私だったら絶対感情的になっちゃう、冷静でいられないわ~」
傍らで私はそんなことを思いつつ、流れ出てくる汗の湿り気と共に機材を運んでいた。
【人間関係の重要性】
先ほどの【出演者/舞台スタッフさんたちの偉大さ】でも書いたが、私は今回とにかく出演者と舞台スタッフさんたちに支えられて何とかなった系の演出家である。
しかし、なぜ出演者や舞台スタッフさんたちにここまで支えられることができたのか…。
それはやはり、人間関係をうまく構築することができたことにあると思う。
特に出演者たちとうまくやっていけたので、何とかなった部分はかなり大きい。
企画参加者全員が女性だったので、作・演出の私と出演者すべてが女性。
中高で女子校に通えず拗らせていた私にとって、企画参加者たちと過ごした日々は理想の女子校生活そのものだった。
共学の学校に通っていたころ、共学が色々と嫌になって女子校あるあるを見ていたのだが、そこに載っていたのと全く同じ状況が目の前で繰り広げられていた。とにかく楽しかった。
話は逸れてしまうが、フェミニズムとかジェンダー論をやっていると「フェミw」やら「女の敵は女w」と鼻で笑ってくる人種が一定数いる。
そういう人たちに、そうでないことを伝えたい。
人間関係とは結局相性や運の問題であり、性別で一括りにできる問題ではない。そもそも、男の友情が綺麗で女の友情は嫉妬と憎み合いだと一括りに出来るのなら、世の中の人間関係はもっと単純明快なはずである。
しかしながら、実際問題そうではない。
男性どうしでも人間関係のトラブルに巻き込まれて苦しむ人はごまんと居るし、女性どうしでも今回の企画のように楽しくワイワイな雰囲気や関係性を築けることは多くある。
【小屋入り~通し稽古~ゲネプロ~本番にかけての追い込み力】
今回の公演で一番驚いたのは、なんといっても本番にかけての追い込み力の凄まじさである。
小屋入りをしてから舞台を組み立てずに平面のままで通し稽古をしたとき、「なんか足りないんだよなあ、なんだろう…」という感情が燻っていて、これで間に合うんやろうか…という不安がかなり自分の中にあった。
ただ、本番が近づいていくにつれて、見るからに良くなっていくのが分かった。
セリフのテンポ調整、音響のボリューム調整、照明の調整…。
少しずつきちんと調整していくことによって、作品が見違えるほどに良くなっていった。
ゲネプロの頃には「これで大丈夫やろ!」という安心感もあり、通し稽古の際の不安はとっくの昔にどこかに消え去っていた。
言葉では表現し難いのだが、なんというか本番というものを目の前にしたときの演劇の底力、団結力…、あまりにも良くなったので魔法の力とでも呼びたいくらいだ。
夢と現実で板挟み
とても素敵な劇場で、こんなにも良いメンバーに囲まれて演出家デビューできて、私は前世でいったいどんな徳を積んだんだろうか。
冗談で無く、心から私は前世で何をしたんどろうと思うレベルである。
その反面これが、デビュー時が、自分の演劇にとっての絶頂になってしまうのではないかという強烈な恐怖感がある。
デビュー時に浴びた満員の観客からの喝采と称賛は私を心地よい夢に心酔させてくれたが、目の前には圧倒的な現実が、厳しい茫漠とした時間がずっしりと横たわっている。
まさに私は夢と現実で板挟みだ。
自分の現在地
私は今、大学2年生の20歳である。
この日本で「若い女の子」として生きていくことの理不尽さを感じながらも、若くて元気な美しい精神と身体を思いのままに動かして、どこまでも飛んでいけるような素晴らしい翼を持っている。
この翼が理不尽にへし折られることが絶対にないように、今現在勉強しているジェンダー論やフェミニズムを駆使して、翼を折られる気配を感じたら徹底的に対抗、抵抗していこうと思っている。
私を含め、すべての女の子がやりたいこと、向かいたい方向へ胸を張って、思いのままに進んでいけるような場所にもっと社会は変化していくべきである。
どんな演出家になりたいのか
宝塚歌劇団の演出家になりたい。
大学院の修士課程まで進んでジェンダー論とフェミニズムを研究した後、そちらの方向に進みたいと思っている。
このような学問分野を研究した身であることを踏まえた上で、宝塚歌劇の舞台で女性を演じている娘役の美しさや可愛らしさを描ける作家を目指している。
そして、今の自分からすれば未だに幻の夢の世界に居るような人たち…。
憧れの演出家や役者さんたちと仕事をして、その人たちが実際にはどんな人たちであるのか、自分自身できちんと確かめたい。
正直、宝塚歌劇団で演出家になれなかったら、脚本や演出からはキッパリと手を引いて、観る側に徹しようと思っている。
そのためにこれから何をするか
まずは大学3年生前期で26単位すべてを取り終えて、3年生の後期からは週2~3回しか学校に行かない生活を目指している。
そうすれば、院試の勉強に対して時間も取れるし、大学院の学費を稼ぐためのバイトにだって時間を割ける。
正直なところ、1年生のうちからもっとサボらず単位をきちんと取っておけば良かったと後悔している。
ただ、大学に来たばかりにころは宝塚歌劇の演出家という夢は捨てかけで、色んなことがあってやる気を取り戻したので(下に詳細あり)、後悔先に立たずと思ってとにかく3年生前期でフル単させることが第一目標である。
あとは資格の取得。
演出家になりたい!と意気込んでいながらも、やはり食べていけるかに対する不安はかなり大きい。
そんな不安に押しつぶされて夢への勢いを失ってしまっているところが若干あったので、実は今回の企画で脚本を書いているあいだに資格の勉強もしていて、ひとつ資格を取った。
ただ、この資格だけでは正直物足りないというか頼りないので、もうひとつ資格を取ろうと思っている。
今回取得した資格が合格率30%、今度取得しようと思っている資格が合格率10%なのでかなりチャレンジだが、やってみる価値はかなりある。
甘い夢を見た後、ここからが本当の戦い
今回の作・演出デビューを単なる徒花の種にするのか、それとも実を結んだ美しい花の種にするのか、それは全てこれからの自分にかかっている。
つまり、今持っている自分の才能や運を生かすも殺すも、全て私自身にかかっているのである。
これからの自分が行う一挙一動すべてにそれがかかっている気がしてくると、ものすごく胃が痛む。が、まずは目の前のことをするだけである。
公演で忙しくしていたために、かなり雑然としてしまった部屋をまずは片付けて、3年生前期の履修登録の計画を立てて、大学院院試のためのオンライン予備校を探し、資格取得のための講座を探そうと思う。