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2024年になっても宝塚歌劇団が劇団員を「未婚」女性に限定している理由

宝塚歌劇団は女性だけで構成された歌劇団であるということで有名だが、女性は女性でも「未婚」女性だけで構成されているというのは、意外と知られていないことではないのだろうか。
宝塚の存在だけは知っている人たちから、「タカラジェンヌって結婚してる人多いの?」と頻繁に聞かれ、「いやいや、タカラジェンヌってみんな結婚してないんだよ。結婚するなら退団しないといけないの」と返答していた。
その度に、2024年になっても宝塚歌劇団が劇団員(タカラジェンヌ)を「未婚」の女性に限定している理由はいったい何だろう…?と考え続けてきた。
結婚したら退団しなければならないなんて、なんだか時代遅れなルールだなと思ったこともある故、今回は自分なりにその理由を真剣に捻り出してみた。


色々考えていった結果、男役と娘役という存在が描き出す男女の架空性と幻想性にその理由があるという結論に達した。
他の劇団(劇団四季など)は、男性俳優は男性の役、女性俳優は女性の役を演じるのが基本である。
しかしながら、宝塚歌劇団の場合は全員が女性であるため、女性俳優が男性の役を演じ(男役)、女性俳優が女性の役を演じる(娘役)のが基本である。
そのため、宝塚歌劇の舞台の中で描き出される男女関係は、他の劇団(ここでは劇団四季などの、男性がそのまま男性の役を務め、女性がそのまま女性の役を務める劇団を指している)の舞台の中で描き出される男女関係とは、少し異なったものになっている。
宝塚歌劇の舞台で描かれる男女関係は”男女”とはいえ、あくまでも男役と娘役という女性同士が演じている”男女”なのであって、実際の”男女”ではない。
現実にそのまま投影されることが可能な男女ではなく、あくまでも「演じている時のみ」成立している男女であって、演じることをやめて役が抜けると男女では無く、女どうしに戻るというのが宝塚歌劇である。
つまり、宝塚歌劇の世界に存在する男女は、完全なる架空であって、幻想、つまり夢なのである。
男女の架空性と幻想性は宝塚歌劇の大きな特色であり、他の劇団とは一線を画すものである。その架空性と幻想性こそが、宝塚歌劇という世界が多くの人々を虜にしてきたうえ、その世界観を最も支えている要素である。
そして、宝塚歌劇の世界観が架空性と幻想性に大きく支えられている以上、それらを大きく崩壊させるようなことは絶対にあってはならない。
(タカラジェンヌの年齢や本名など、現実世界とタカラジェンヌを強く結び付けるような事柄を公開しないという”すみれコード”は、まさに宝塚歌劇の世界観を壊さないための仕組みである)
したがって架空で幻想の男女を演じる人たちが、法的に認められる結婚という正式なかたちで現実世界の男女関係に組み込まれること(つまり宝塚歌劇の世界に存在する男女の架空性と幻想性が、正式なかたちで大きく崩壊させられてしまうこと)は、宝塚歌劇の世界観を守るために禁止している。
宝塚歌劇団は劇団員の結婚こそ認めていないものの、恋愛は禁止しておらず
一見それによって夢の世界が壊されると思われがちだが、先ほど書いたすみれコードによって、タカラジェンヌたちが自分の恋愛話をファンの前ですることはない。
宝塚歌劇団は女性どうしである男役と娘役という存在を用いて、架空かつ幻想、夢の男女関係を作り出す。そのうえ、劇団員の結婚を認めないことや、徹底したすみれコードによって、劇団員が現実の男女関係に組み込まれる姿を絶対に表には出さず、その世界観を極限まで守り抜いているのだ。

宝塚歌劇団が「未婚」女性のみに劇団員を限定しているということに対し、2024年にまでなってそんな仕組みを維持しているのか、時代錯誤な!と考える人も多くいるだろう。
私自身も一時期そのような考えをしていた。
しかしながら、宝塚歌劇という世界観を考えてみると、結婚を認めないルールやすみれコードによって劇団員が現実の男女関係に組み込まれる姿を一切表に見せないということが、宝塚歌劇においてとてもとても大切な決まり事であるということが感じられてはこないだろうか。
現実世界の関係性から隔絶された、架空と幻想に満ちた世界を構築し続ける宝塚歌劇団だからこそ、私たちは夢中になり続けるのだから。






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