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愛未サラの存在は娘役のエポックメイキングとなり得るか?

愛未サラが宝塚を去る。

男役・娘役を超えた、唯一無二の愛未サラだった。

高身長で、パーツの1つ1つがクッキリとゴージャスなお顔立ち。立ち振る舞いの華やかさ。見た目のインパクトもさる事ながら、どこまでも突き抜けるようなファルセットに(当時の学年から考えたら)上級生娘役が演じるような重厚な役も演じられた。

確かな実力の元で、どの作品のどの場面に居ても「愛未サラだよ!!」と言う強い主張があった。

だからと言って、浮いている訳ではない。

伝統的な娘役の型、タカラジェンヌとしての品格。それらをきちんと兼ね備えた上での強い個性とパンチ力があるのだ。どの立ち位置に居ても目立つくらいの強い主張はあれど、悪目立ちをしている訳ではない。娘役の型を大切にされているからこそ、ちゃんと娘役だからこそ、娘役らしからぬ強烈な個性や役どころにもハマるのだ。

コロナ禍や組で起きた悲しい出来事での中止期間。在籍年数に比べて舞台に立つ経験が少なかった。それにも関わらず、出る作品全てに強烈なインパクトを残し続けた。だからこそ、これから!もっともっと!愛未サラが世に出るんだと言う期待の矢先でのご卒業。いち宙組・宝塚ファンとしてはとても寂しい。

初舞台から今日までを見続けいた中で、今すぐではないが、愛未サラと言う娘役が生まれた事によって、宝塚歌劇の娘役と言う潮目がまた一つ変わるのではないかと思っていた。

どうしても、男役がトップスターで主演なので「男(役)社会」である事は否めない。宝塚歌劇の世界は、まだまだ世間一般の価値観からは遅れを取っている部分は多々ある。

それらを踏まえた中で、令和になり若いファンも増えていく中で、宝塚ファンの娘役に対するファンの目が変わっていきつつあるように思う。

一昔前は、娘役は男役の添え物であり軽視されがちだったように見えた。10年前、ファンになりたての頃に見た宝塚ファンのSNS界隈は「娘役は男役より地位が低い」「娘役には容姿や人格否定など何を言っても良い」が罷り通っていたように感じていた。特にトップ娘役への風当たりの強さと過激な言葉の数々には恐怖すら感じた。娘役ファンは一定数居れども、あまり表立って語り合うような空気では無かったように見えた。

それは当時の社会背景もあっただろうが、この10年で大きく変わった。

娘役に対してのリスペクト、娘役芸への憧れ。スカイステージで娘役がメインの番組が増えつつあるし、娘役ファッションをモチーフにしたグッズが販売されたりもしている。以前にも増して娘役のファンです!と言う人が増えているように感じるし、SNS上で語られる事も増えて来たように思う。

そして、昨今の舞台上で「かっこいい役を演じる娘役」や「かっこいい娘役」が増えて来つつある。

全体的に長身の娘役が増えつつある傾向。作品で言えば、HiGH&LOWの苺美瑠狂、柳生忍法帖での娘役の立ち回り。パンツスーツでマニッシュに決める演出の場面、目に見えて「娘役のかっこよさ」に触れる機会が増えた。

一昔前であれば、愛未サラのような娘役は存在しなかっただろう。音楽学校の時点で本人の意思とは違う選択肢を迫られたかもしれないし、「旧態依然の娘役らしさ」にその個性を潰されてしまったかもしれない。

愛未サラの個性が認められる事により、かっこいい娘役に憧れるファン、または未来の受験生が増えていくであろう期待。時代の流れが変わりつつある中で、愛未サラと言う娘役の存在は「かっこいい娘役のエポックメイキング」となるのではないか?と密かに期待をしていた。

その期待は、最後の最後まで「唯一無二の愛未サラ」らしさを残していった事で確信に変わった。

天井を蹴破らんばかりの大きな歌声、パンチの強いビジュアルを最大に活かした役づくり。見た目の派手さで目を惹く一方、夜の街に生きる女性の儚さや、娘を思う母の心情。愛する人を失った悲しさや命を捨てる覚悟。女を武器に泥水を吸うような思いで生きているであろう中、ヤヨイへの優しさも忘れない。ショータイムでは、男役2人と肩を並べてのセンターパートでのソロ。0番で堂々と歌い踊る姿。

全てにおいて濃い存在だった。専科または、ベテランの男役の女役が演じるような濃い存在感だった。わずか研6だ。新公学年の人がここまで濃い役を演じられるのだ。そして、最高にかっこいい。

愛未サラを発端に、娘役像の潮目が変わるかもしれない。

その答えが出るのは、ほんの数年後かもしれないし、10年20年くらい先の話かもしれない。それを確かめられる事を楽しみにしているし、何年経っても「あの時、愛未サラが居たね」と語り継ぐような娘役に出会えた幸せを噛み締めている。