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『正義』を振りかざすのは簡単だけど、”責任”と”義務”が一生ついてくる。

今日、とある楽曲のMVを見て感激した。

1人の女の子の物語で、2画面構成。

左の画面は”現実”で、右の画面は”理想”。

この時点でもう構成が神がかっているんですが、僕が注目した点は、少女「絶望」というか「不幸」を極限に描かれているなと感じた点です。

女の子は、母親と思われる女性に見捨てられ、サーカス団の奴隷になってしまいます。

数年後、サーカス団の団員としてパフォーマンスをしていると、猛獣が暴走し、団長をぶしゃぁぁぁーと。

サーカス団は解散。

ふと、街を歩いていると、自分を見捨てた母親が。

しかも、そこには旦那と腕には赤ちゃんが。

ひどく絶望した女の子は、深夜に母親の家へ侵入。

赤ちゃんに手を伸ばすが、両親に見つかってしまいます。

母親を××した女の子ですが、その場を離れようとした時に、赤ちゃんが泣きだします。

ここです!

ここの女の子の表情に感激しました。

自分は、自分を見捨てた母親を制裁した

「正義」を振りかざした

泣いている赤ちゃんを見捨てる

自分が振りかざした「正義」に矛盾してしまう

ここまで、自分は不幸にならなければいけないのか。

という絶望と責任と義務感に苛まれている表情のように感じました。

もちろん、これは僕の初見の解釈で、他にもいろんな解釈があります。

母親に認められたかった(愛して欲しかった)けど、母親に拒絶されてしまい、××したものの見捨てられた側の苦悩を知っている女の子は赤ちゃんをどうしても見捨てられなかった。

こっちの方が有力かもしれませんね。

現に、右側の”理想”の画面では、母親と一緒に生活しているので、”恨んでいる”というよりかは、”愛して欲しかった”の方が近いかもしれません。

まぁ、一旦作品の話は置いといて。

「正義」を振りかざすのはとても簡単だけど、そこには”責任”と”義務”が一生ついてくるということです。

例えば、「歩きスマホ」。

「歩きスマホ」は危険だし、やってはいけないとは思いますが、それに対して「正義」を振りかざすつもりはありません。

だって、一生「歩きスマホ」できなくなりますから。

現に、MVでも女の子は赤ちゃんを最期(?)まで見捨てませんでした。

僕は、母親は金銭的に苦しくて、女の子を見捨てたと解釈しています。

そして、女の子は自分が振りかざした「正義」の責任を持って、お金がなく、カビが生えたパンの食べられる部分を赤ちゃんに差し出しています。

そしてMV冒頭、女の子は飢餓により倒れてしまいます。

「正義」を振りかざすのはとても簡単だけど、自分が”その立場”になった時に果たして自分はその模範的な行動を取れますか?

というメッセージだと思っています。
(全然違うかもしれませんがw)

「歩きスマホ」だって、例えば、30分後にお仕事のMTGの予定があり、今すぐ向かわないと間に合わない。

だけど、ここで別のクライアントから緊急の連絡が入り、LNEで対応しないといけなくなりました。

たぶん、この状況になったら僕は「歩きスマホ」をすると思います。

もちろん、悪いことなんですけどねw

僕はいつだって、クライアント様最優先で生きてますので!

MVでも母親に対する批判のコメントが散見されましたが、果たしてそのコメントを書いた方々は、MVの女の子のようにその「正義」を責任を負えるのでしょうか。

その時自分が正しいと思っていても、意外と自分が”その立場”になったら必ずしも正しい選択を取れないことだってあるかもしれません。

だって人間ですから。

誰だって、甘い誘惑に負けてしまうことだってあるでしょう。

昨今のSNSでの誹謗中傷や炎上もそうです。

有名人やインフルエンサーに”完璧”を求めすぎて、少しでもモラルに反したり間違ったことをしたら全心全力を持って叩きあげる。

ちょっと前の「ママチャリ女性」なんかまさにそうです。

これはそもそも勝手に動画をSNSで拡散している時点で終わってますが、人間なんですから有名人だろうが一般人だろうが、過ちを犯すことはあるのです。

その過ちを”制裁”する権利があるのは家族のみで”義務”があるのは警察のみです。

と、いうわけで、「正義」が必ずしも「正解」ではないかもしれないという確信に気付いたことを共有しておきました!

そして、僕が観た楽曲のMVはこちらです。

色んな解釈があると思うので、よければ「こんな解釈もあるよ!」ってコメントいただけると幸いです!

「本人がこう言ってた!」みたいな情報も大歓迎です!

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