『法とは何か 法思想史入門』を読んで

長谷部恭男著
2011年初版発行
2015年増補新版初版発行
2024年新装版初版発行

きっかけ

 法律を学ぼうと思いました。
 小さな集団の中で、ルールを決めることになるとして、何に気を付けなければならないのかを知りたいと思ったのです。
 そもそもルール、法律は、どのようにして作られてきたのかを知れば、自分が作る側になっときによいかと思ったわけです。
 書店を歩き回って決めました。インスピレーションです。法律に関する書籍はあと3冊あるので、とりあえず読むつもりです。

感想

 めっちゃむずい。なにこれ。全然頭に入ってこない。こんな読書は久しぶりである。
 あれは、高校生のときだっただろうか。世界史のテストで赤点を取った時の課題が、『君主論』を読むことだった。あの時の絶望に似ている。
 とはいえ、読書経験をそこそこ積んだ私にとって、意味が解らなくてもへっちゃらなのだ。100の内容が書いてあっても、1か2くらい得るものがあれば儲けもの。読者の心の変化こそ、読書の意義である。そう信じなければ、読むのを途中でやめていた。私のすごいところは、最後までとりあえず目を通すところだ。それ以上は望んではいけない。

ことがらの性質によては、自分自身で判断するよりも、他者に判断してもらった方が、自分自身に当てはまる理由に、よりよく適合した行動をとることができる

第1章 何のための国家か Ⅰ 権威に従う理由(32ページ)

 最も心に残ったのがこれ。序盤にも出てくるし、終盤にも似たような表現が出てくる。法律に従う理由と、「権威」を説明している文脈だ。そして具体例としてでてくるのが「調整問題」。車両の右側通行か、左側通行か、という問題のこと。本来、どちらが正しいというものはないが、決まっていないと不便である。これについては、決めておく必要がある。誰かが決めなければならない。
 こんな判断を個人に委ねていたら大変なことになる。毎日の通勤が、それだけで命がけ。認知の負荷がすごい。
 ここで思ったのは、ルールの役割とは、詰まりそうな流れを流暢にすることなんではないかということ。
 何を目的にして、そのルールを作るのかを明確にしておきたいと思った。日本には憲法があるように、集団には目標やらスローガンがある。学校なら校訓がある。それを達成するために、細かいことを決めておいた方がいい。それを意識しようと思ったとさ。

道路の交通規則は調整問題を解決するルールの典型です。しかし、見通しの良い直線道路で、見渡す限り自動車が近づいてくる様子も全くないというとき、目の前の信号が赤だからと言って、道路を渡るのはやめておくべきだという理由はあるでしょうか。私はないと思います(お巡りさんに見つかって怒られても、私は責任を負いませんが)。

終章 法に従う義務はあるか Ⅲ 国家の能力を見極める(224ページ)

 これを文章に載せている人がいて嬉しい。これは、高校生のころから思っていたことだった。私は田舎の生まれで、夜中に外に出て思った。私はなぜこの横断歩道を渡らないのか。赤信号だからと言って、何のために立ち止ったのか。
 これは大学生のときも思った。飲み会の帰りに、みんなで立ち止まる。目の前の車道には、車が通らない。見渡す限り、車のライトもない。エンジン音もない。なぜ、なんのために止まっているのか。
 私1人のときは何度かわたったことがある。特別なことではない。安全を確保できている。何のためのルールなのかを考えるのをやめた人間が、何もない道路の赤信号で足を止めるのだと思った。
 運転するようになった。車ではさすがにできない。というか、安全でないことを知っている。視覚がある。自転車や小さい子ども、野生動物は怖い。ど田舎の道でも、信号は守る。さすがに安全を確信できないからだ。

 待てよ。私のこの疑問は、学校教育の中で誰も解決してくれていない。考えれば確かに、ルールを守る理由を考える授業なんてなかった。今はあるのだろうか。私は校則を読むタイプの学生だった。ルールに守られているのだから、ルールを守るのは当然だと、『蒼天航路』を読んだ私が言っていた。

 誰だって、自分に都合よくルールを解釈する。集団を維持するのは大変だ。ルールのありかたについて、少しだけ考えが広がった気がする。
 「何を達成したいのか」を明確にしておきたい。「従っていれば、個人にとって、よりよい行動がとれる」というルールを意識しようと思う。ルールで縛ることは好きではないが、みなが心地よく過ごせるようにするためには、一部必要なものもあるのだろう。もう少し考えていきたい。

総括

 まともに学んだことがなかったので、難しく感じました。
 法律に従う理由についても考え方を複数あったことが意外でした。こればっかりは、学校教育で学ばなくていいのか? と思いました。それとも学んだのでしょうか。それを忘れてしまっただけなのでしょうか。
 そこそこ適応して生きてきたので、それほど法律について困ったことがなったから、他の人よりも考えてこなかったのでしょうか。それとも、これは他の人よりも考えているのでしょうか。私の周りでこの手の話題になったことはありませんでした。青年期にすべきだったのかもしれません。
 みな、ルールの中で生き、自信もまたルールを作る側になることがあります。厳罰化のメリットとデメリットは、歴史を見ればある程度分かる気もします。でも、極端なことを発言する人はいます。
 もう少しだけ法学について本を読んでみようと思います。みなさんも「入門」という言葉には騙されないように気を付けましょう。

お読みいただき、ありがとうございました。
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