なぜ、鬼門を忌み嫌うのでしょうか?
東北の八白、西南の二黒土星の方角を鬼門という風習は今も根強く残っています。鬼門にトイレ・浴室などの水回りはタブーとされています。
また、鬼門の欠けや大木を植えることも凶とされています。
鬼門の由来は、王充の「論衡」によると
度朔山に3,000里と言われているその長さ(現在の12,000キロ)四方の
大きい場所が、桃の大木で囲まれていたそうです。
その場所の東北丑寅の方角だけに、
守り神の神茶と鬱塁の2つの神様が不在という説から、
鬼の出入りする場所が鬼門と呼ばれるようになりました。
九星気学の本家本元の中国よりも、
日本の方が東北鬼門を忌み嫌う理由は、
徳川三代将軍に仕えた南光坊天海の存在があったからです。
鬼門説は、平安時代から遡ることができます。
特に日本人に興味深いのは皇居、かつての江戸城が
鬼門裏鬼門を緻密に計算して築城した事ではないでしょうか?
元々は太田道灌が築城したのですが、
道灌は京都御所から見て吉報にあたるこの場所を選んだそうです。
それは、本家本元の中国の方位学に精通していたからだそうです。
それに天台宗の大僧正天海の献策が、易学に通じていた事もあります。
家康・秀忠・家光の三代の将軍に仕えた大僧正天海は
108歳の長命だったそうです。
(すごい....現代でも長命。
この時代だったら、なんと表現されていたのだろう...)
その天海僧正は徳川幕府の永代の存続を祈願して、
上野の山に寛永寺を建て、東北方位に鬼門封じをしたのです。
易学では、東北鬼門の方位は、
万物万象の終結を成す・また開始を成す場所でもあります。
季節は冬の終わりから春の始まりの新暦1月の小寒から3月の啓蟄までの丑月と寅月になります。
時間は午前1時の丑の刻から午前3時までの寅の刻を示しています。
俗にいう丑三つ時を指しますので、丑の陰の気、寅の陽の気です。
このように八白土星の年は変化・停止・相続を意味する場所です。
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