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新章WaRa塾② ーしあわせの 視点は「いま」に しあわせNowー

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想い先 カロリー・栄養 計算は後

新章Wara塾は、計6回に及ぶ講座に加え、船越さんに質問できる「大質問大会」もあり、2020年のコロナ禍では、「新章WaRa塾」を受講していることが、どこか私の心の支えになっているように感じていた。

WaRa倶楽無の船越さんと聞くと、「玄米菜食」や「重ね煮」などが表立っているように、私は見えていた。

もちろん、

You are What you  【 eat 】

と言われるように、私たちの体は、髪の毛も爪も含めて全て自分の口から入ったもので作られていることは、事実。だが、そこにもう1つ、同じように私たちを形作っているものがあると、船越さんは言う。それは、、、

You are what you 【 THOUGHT 】

何を食べるかと同じくらい、またはそれ以上に、目の前に起こったことをどのように思い、感じながら日々を過ごすかが、その人を形作ると、船越さんは、WaRa塾の冒頭で、私たちに語りかけた。

 日本には、古くから伝わる「ならわし」があり、伊勢神宮の参拝方法「下宮先祭」を例にとり、説明してくれた。その方法は、内宮を参拝する前に、下宮を先に参拝するのだ。

なぜ外宮から参拝するのか
神宮の祭典は「外宮先祭」といって、まず外宮で祭儀が行われるならわしがあります。豊受大御神は天照大御神の御饌都神(食事を司る神)ですので、内宮の祭儀に先だって御饌都神にお食事を奉るのです。祭典の順序にならい、参拝も外宮から内宮の順にお参りするのがならわしです。

*神宮司庁より

「下宮先祭」とは、こころも大切だが、フィジカルな體(からだ)を大事にしなさい。」という伊勢神宮の教えであり、體(からだ)を養うことが神祀りの基本だそうだ。

「自分の周りの人間関係は鏡であり、目の前で起こっていることは、全て自分にとって大切なこと。おはようからおやすみまでの「今」の暮らしにこそ、天壌無窮(永続的に続く)な未来がある。

いまを否定して、まだ足りないまだ足りないと思っていたら、ずっと幸せにはなれない。いま「が」しあわせ。しあわせは未来にあると思っている人もいるが、「いまがしあわせ」と思っていることがまず大事で、未来はその「いま」の積み重ね。」と、船越さんは教えてくれた。

これを聞いた時、(確かにそうだな...)と、わたしは思った。

ご存知の方も多いと思うが、伊勢神宮は、20年に一度遷宮される。遷宮するということは、家を立てる(木を育て切る)技術や、ものづくり(神宮で使用される、まな板や漆など2,000~3,000種類)の手しごとを、後世・次の世代につなぐことも考えられ、ベストな期間が20年なのだとか。大工の棟梁は20年経ち、やっと目に見えないものが見えてくるようになるとも、語っていた。二十歳のお祝いも20。ここも、通じているものがありそうだ。

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(とある公園で。冬の空。見上げた先には、naturalデザイン

学ぶ先 からだに蓄積 智慧となる 

ここで、あなたの身近な「もの」を思い浮かべてほしい。あなたが大切にしているものには、どんなものがあるか。

もちろん、使いやすいなど機能面も大切なポイントだが、ずっと愛され続けているメーカーの商品に、共通していることがあると、私は思うのだ。それは、「物持ちが良い」こと。

新章WaRa塾の二泊三日の合宿で、鰹節を削り機で削る体験をした。

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(一緒に合宿に参加された方が鰹節を削っているところ)

実家に鰹節削り機があったことを思い出し、奥から出してきた。見ると刃が錆びていたので、知り合いの大工さんに磨いてもらった。そして、削ってみた。鰹節は、かごしま枕崎のもの。

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いいものは、いい。驚いたことに、忘れ去っていた、この鰹節削り機。もう10年以上はざらに使っていなかったが、さすがは木曽檜。どこも痛みなく、再度、日の目を見る時を待っていてくれたようだった。(ありがとうね)

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(刃が蘇った。ありがたい。)

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(一度洗って、陰干し。そして、いざ、初のひと削り)

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(削れたけど、初めだからか、粉っぽい削り節になった。トンカチでトントン刃の調整をしたが、やりすぎたようだ。パセリと共に、パセリご飯にして食べた。風味が、たまらなく美味しかった。刃は後日、直した。)

学んだことは、学んで終わりでなく、手を動し、からだで経験する。行動することが大切。 

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(WaRa 玄関)

ポイントは ゆたかと感じる そのこころ

「百聞は一見に如かず」という言葉は、まさしくこのことを言うのかと思うほど、WaRaの絶景は格別だった。

滞在中、その姿は圧巻という壮大な雲海にお目にかかることはできなかったが、夕日からの月明かり、朝焼けのグラデーション、雨、くっきりと色が鮮明な虹、風の動きが見てとれる雲など、どの景色を切り取っても絵になると思った。2日目の昼食は、外のテラスで食べた。そこから見えた景色は一面が、空。これぞ贅沢である。(最高だな、綺麗だな)と、気づけばシャッターを押していた私。少し離れたテラステーブルで食事をしていた船越さんが思わず放った「こりゃ、最高やな!」という一言に、私も(That's Right!)と思わず親指を立てたくなった。その絶景を、連続でお送りする。ぜひ、写真でなく、からだで体感することをオススメしたい。

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(テラス席から)

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(ガラスに映る空)

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(めぐみの雨)

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(にじ。色が濃い。画面に入りきらない)

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(おつきさま)

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(夕日。たまりません。)

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(日の出)

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(雲の色が、圧巻。)

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(たいよう、おはよう)

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(好きな一枚。景色がごほうび)

これはわたしの豊かさの定義だが、わかりやすい地位や年収など、数字で見る資本主義的なものも豊かさの1つではあるが、目の前で見えているその景色や風景に気づくこと、そのこころの余白を持ち合わせ、ゆたかだと感じられるかどうかが一番大きいと思うのだ。あなたにとっての「ゆたかなとき」とは、どんなときですか。

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(WaRa ダイニングにて)

視点は「いま」 あるもの探し あたたまる

新章WaRa塾の受講後、わたしは、自分の意識を未来よりも「いま」にフォーカスし、自分が、いまどう感じているか、思っているかを意識してみようと思い、日々を過ごすようにしてみた。すると、「いま」の積み重ねが未来になるという言葉が、聞いた言葉でなく、自分の言葉になっていくのをだんだんと感じた。

これまでもしてきたが、ないもの探しでなくあるもの探しを、ものだけでなく思考や空間、ひいては自分の境遇においてもするようになった。条件等で、しあわせを推し量るのでなく、じぶん軸で、何をどのように思うかを感じるようにしてみたのだ。

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(帰路に訪ねた、岡山後楽園)

What you  thought  未来の始まり いつも「いま」 

奇しくも、2020年はコロナの影響もあり、思うように動けなかった。生きることを、見つめ直した人も多いのではと推測する。

私自身、あの時こうしておけばと思うこともあり、何とも表現できない気持ちになる日々もあった。たらればを振りかざしても変わることのない現実を、頭では理解しているのに、こころのどこかで、現実の流れに逆らおうとしている自分の心に気づき、そんな自分に打ちひしがれたりした。

コロナ前にできていたことは当たり前ではなかったのだと、改めて、人が行き来できること、会いたい人や場所に移動できたことが、有り難かったと思わずにはいられなかった。

2020年の「いま」も、未来に繋がっていると思いながら過ごすことで、そんな今だからこそ過ごせる、目の前の人との時間を楽しもうと、再度、私は決め、日々を過ごした。

私の場合は、特に両親だった。これまでも、とても仲はいいが、2019年は自分自身がライターとして動いていたため、彼らと過ごす時間が少なくなっていたと感じ、共に味わえる「いまという時間」を楽しんだ。と言っても、特段何かをしたわけではなく、過去にも未来にも二度と来ない、2020年という「とき」を、共に過ごせたことが、かけがえのない自分の未来に繋がっていると、いま、信じている。

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とはいえ、いまをどんなにより良く思おうとも、お腹が空いてはそれも続かない。次回は、では、どのように「食・たべもの」と向き合うかについて、触れていきたい。



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ーいま、そしてこれからも「変わらないこと」ー

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