性格 enfpからentpへ

私の過去ノートをみたことのある物好きの皆様には私がどのように見えていたのだろうか

性格診断、心理テストはどの世代にも心惹かれるものがある。現在有名なものはやはりmbti診断なのではないだろうか。私たちの世代では、初対面の会話でも「mbtiなに?」という言葉が飛び交う。

私は現在一浪して大学四年生だが、高校の時から大学三年まで、mbti診断でずっとenfpしか出たことがなかった。世間的には、enfpとは天真爛漫でモテるイメージがあるらしい。そのため、enfpと伝えると、「あー!明るいもんね!わかる!」と言われてきた。

しかし、近年わたしのmbti診断結果は変わり、entpというものしか出なくなった。enfpとentpは一文字しか変わらず、大差ないはずなのに、こちらには、「悪魔の代弁者」という異名もあり、一説によると性格悪いランキング1位らしい。友達にentpというと、「あーでもちょっと考えていることわからないしわかる!」といわれるようになった。

どっちもわかるんか〜い

診断結果が変わった時期は、私にとってのターニングポイントがあった時期と重なっている。それは、元彼との別れだ。mbti診断における「f」と「t」は、ざっくりと「感情的」か「論理的」と分けて言われることが多い。高校生から今に至るまで、自分は感情で動くタイプではないな〜と思っていたが、わたしはこの元彼と別れる時に死ぬほど泣いたし死ぬほど泣かれた。私史上稀に見る感情大爆発大放出パラダイスだった。

これがあったあと、私はこの時の失態を思い出してかなんなのかわからないが、「自分を強く見せて感情ではなくそれが正しいか間違いか」で物事を判断するようになり、今まで以上に「自分軸」で行動するようになった。

ただ、これを書いていても感じているがこれはあくまでも「そのように心がけるようになった」というのが正しいように感じる。私の本当の性格は誰のことも馬鹿にできないどメンヘラである。好きな人の一挙一動が気になるし、好きだの可愛いだの言われないと自分のことを認めてくれてないんだ、と落ち込むくらい他人軸で生きている。でも、このような弱いところを出さないように強いお面をつけることで、自分が強くなったかのように錯覚しているのではないだろうか。

多くの人がmbti診断と言っているのは、16personalitiesという無料診断サイトのことだと思う。これは、あくまでも自分から見た自分の傾向を打ち込んでいくため、「こうだったらいいな」という願望が認知の歪みによってあたかも現実のように錯覚し、自分はこういう人間だ!と思いながら理想の自分を入力している、という側面はないだろうか。また、ひとことに「会話が得意」と言っても、それを測る基準なんて人それぞれだ。人からみたら隙あらば自分語り系インキャに見えたとしても、本人が相手を楽しませられているという実感があればきっと会話が大得意、ということになるのだろう。また、世界中の人間をタイプで縛るなんて不可能であるとも感じる。enfpとentpにしても、全く違う2つのカテゴリではなくグラデーションだろう。わたしがentpと言ってもenfpと言っても「あーそんな気がする!」と言われるように、あるタイプの特徴として書かれているものが他のタイプにも当てはまる、というのは大いに有り得る。

私の根幹にあるのはきっとenfpなんだろうな、と思う。でも他人への攻撃性を肯定してくれる気がしてentpと結果が出ると安心することがある。私は誰にも負けたくないと感じて強がった結果がentpなんだろうか。

mbti診断がここまで流行っているのは「誰でも診断可能」、「他の心理テストより信ぴょう性が高く世界中で話題」、「自分はこのタイプなんだ!とわかるのが楽しい」、「相性診断が楽しい」などの理由だろうか。自分がenfpである、と知った時、周囲にはこのように見えているのか、と面白くなった記憶がある。根拠はあまりないらしいが相性診断も楽しい。友達や恋人のmbtiを知ることでまあ諸説はあるがその人に対する適切なアプローチ方法を知ることもできる。自分の嫌なところがあったとしても、その性格特有のものであると知ったら、自分だけじゃないんだ!と気が楽になるかもしれない。

所詮は自己分析ツールである、と思うと付き合いやすくなるのかもしれない。



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