小説 中年と海、と池 一

 この世界は自分と自分以外で構成されているようである。今やっと気が付いたか、今年で四十の人間が気づくことやないで、もっとしっかりせなならんでと言われそうだが、やっと気が付いたのだ。今まで何をしていたかというと、ぼおおとしていたのだ。  
「今年は暑いな、今年も暑いな、冬がくるなんて信じられないな、こないんじゃないかな、おや、おや、少し涼しくなってきたなと思ったらめっちゃ寒くなってきたぞ、寒くなってきた、あああ、寒いわ、あ、もう大晦日か」
であっという間に一年が過ぎていき、保険のことや、家賃のことや、母親は天ぷらの油に気をつけているだろうかや、最近パチンコいってないなや、そんなことに思いに脳内が占められ、世界は自分と自分以外で構成されているなあとしみじみ思ったことはなかったのだ。もっと言うとね、自分以外はあほばかりではないか、と思ったということである。それはたんなる驕りだよ、数々の賢い人々が社会を支えているんだよ、ということは頭ではわかっている。頭ではわかっているのだが、うううむ、自分以外はあほばかりではなかろうか、となるのだ。
 
 谷中という男は俺よりも一つ年下の三十九だと聞いた。出世をしよう、出世をしようという行動が功を奏しこの春、班長代理になることができた。よかったね。めでたしめでだしである。自分と関係がなければね。出世がしたくて出世がしたくてしょうがない人というのは見ていて恥ずかしい。しかし見ていて恥ずかしいんだよ、と当人に言うのは失礼であり、失礼なことを言って
「俺は、ずばずばいうタイプなんだな」
と得意になる奴は嫌な奴であり、嫌な奴にはなりたくない。だから言わない。言わないが、「谷中よ、お前ね、今日はボーナスが出る日ですいうて社員食堂に集められて社長がええええ格好の塊みたいな話してる時、お前めっちゃ頷きながら話聞くよな。ほんで、社長の話をメモしてるよね、それは実に恥ずかしいぞ、恥ずかしいぞ」
とこの会社を辞める時に谷中に伝えれたら、すっとするだろうな、実にすっとするだろうな、とは思っていた。
 でね、この工場の人間のほとんどが谷中のことを恥ずかしい男という風に見ているかというと、そうではないらしく、わりと楽しそうに過ごしている。喫煙所で笑いあったりしている。
「こいつら、谷中がすかたん風味強めやってことわからんのかなあ」
といつも思っていたし、今も思っている。しかしだ、この工場で働くようになって七年、どうもみな谷中をすかたんの塊とはとらえていないようだ。
 社長というのはそういうものなのかもしれないが、格好をつける。
「あなた達とは見ている世界がちがうのですよ、あなたたちとは」
「経営者というのは世界のことをよく知っているのですよ」
とはダイレクトには言わないが、そのようなことを言う。はい、今日でボーナスがもらえますよという日に
「総会」
と銘打って、社長さん、そこまで俺と歳が変わらないだろうと思える社長さんがそういう話をするのだ。いかにもな社長。別荘持ってるんじゃなかろうか、ヨットを持っているのではないだろうか、やたらとキャンプ道具をそろえているのではないだろうか、そういう社長だ。そういう社長のそういう話をメモするかね、そしてそれをまた見返すことがあるかねえ。
 
 ある日、会社の隣にあった文化住宅が取り壊された。取り壊されると駐車場になるっていうのが世の常だね、と思っていたら、あにはからんや、なにやら建物が建ち始めた。工事の進行具合というのは見ていて楽しいものである。見ると言っても、会社の行き帰りになんとなく見るだけで、腕をくんで十分、二十分みるわけではないが、おう、何が建つというのだね、楽しみだねと感じてと思っていた。
建物の足場が組まれだしてきたな、という頃、朝礼にて谷中がこういった。
「二工場側のタンクラインを新社屋の一階に移動するという話があがってきておりまして、それに伴いですが、第一工場のここの班のラインですね、浄水器のラインを第二に移動して、ここにですね、新規の仕事が入ってきてるということなので、ここに移転しようかという話がでています。えええ、具体的にどうとはなっていなくて先の話なんですが、そういう話がでているということを皆さんに展開しておきます」
 展開どうこうはいいよ、展開どうこうは。その隣の建物は新社屋なのかい、そうかい。
 環境保全とか、エネルギーの無駄使いとか、そういうのはいけない、いけないんだなあ、社会の見本になるように、なんてことを社長が言う。それと同じことを谷中が言う。普段なんか立派なこと言うて、勝手に何千万円も使って新社屋を建てて、いや、ま、社員は株主やないから説明する決まりはなかろうが、そうか、そういうものか、説明をされたからといって、それでおおいに結構というわけにはいかないが、説明せんと新社屋はありきで話をしますかい、展開がどうのやなくて、今度この土地に社屋を建てようと思っております、それはですね、その分の金を皆さんの給料にあてるよりも、建物を建てるほういいように思うんです、ぐらいのことを言わねばならんよね、みなさん、どう思う、どう思うよ、と周りを見ても歯に鶏肉がはさまったような顔をしているものや、にこにこ頷いている者や、下を向いている者や、猛烈な下痢を我慢しているような顔をしている者ばかり。猛烈な下痢を我慢しているような顔していた富さんは致し方がない。実際猛烈な下痢を我慢していたのだから。朝礼の後小走りでトイレに行っていたからね。
 
 溶接をします、という会社でありまして、みな溶接をしています。一生懸命溶接をしているのですが、不肖吉仲勝男は何をしているかといいますと、鉄板と鉄板の間にグラスウールと呼ばれるガラス繊維の断熱材を詰め込むという作業をしている。なぜそういうことになったかというと、溶接というのが難しかったからである。入社数日、新人トレーニングというのを受けたが、鉄、ステンレスに穴をあけてばかり、鉄に打痕をいれてばかりで
「こいつは上達の目はないな」
と判断され溶接作業はせず、断熱剤を詰める日々。溶接がしたいなあ、という欲望はないわけで、なんならあれですよ、奇跡が起こって社長になって、現社長の代わりに毎朝最新型のクラウンを事務所横の自分用の車庫に停車して
「みな元気かね」
という顔で入社してきましょうか、なんて妄想もしていたが、そんなことはあるわけもなく、結局待っていたのはグラスウールを詰める日々。なぜグラスウールを詰める日々になったかというと、誰もやりたがらないからで、それはグラスウールというものがちくちくちくちくちく痒くて痒くてどうにもならんという非常に迷惑な物体だからだ。ガラス繊維だから、服を着ていても刺さるのね。目には見えないが、刺さっていてね、これがちくちくちくちくちく。ちくちくちくちくちくちく迷惑な存在の分、簡単にできる仕事かというとそうではなく、わりと難しい。難しく、不良品をだしまくり。ここで作られているオーブンというのものは、ピザを焼く餅を焼くというものではなく、金属の焼き入れをするものらしい。ごっつい金属の焼き入れをすることもあるらしく、オーブンは大きいものもあって、それを立てたり、寝かしたり、横にしたり、あれこれしながらグラスウールを入れていく。単純に重い。重いものをもちあげると腰が痛い。そして最近は膝も痛い。そしてグラスウールは痒い。それらの対価は手取りで十八万。痛くて痒くて十八万は妥当かね、どうだ。どうなんだ、というところに谷中の登場。
「さっき、社長が現場を回っていただいて、ご意見をいただいたんですが、この断熱材ルームが非常に汚いとのことでした。えええ、汚い場所からはなにもいい製品はうまれません」
むっとした、かちんとした、こいつは生産管理をしているのだから現状をわかっているだろうが、と思った。
「ええと、残業してて、少しでも早く品物作れってことで、ま、そうするんですけど、じゃあ、今やってるのが終わったら掃除するんで、その分遅くなる思ってくださいね」
「そういうことを言ってるんじゃないんです、ご理解ください」
といって谷中は去っていった。あああ、と思ったら、再度戻ってきた。
「あとね、ご近所の人が教えてくれたんですが、隣のコンビニでここの会社の人間と誰かトラックのドライバーのような方やったらしいんですが、その二人がマスクをせんとタバコを吸っていたという苦情がはいったんですね、で、近所の人が言う特徴が吉仲さんやないかって声があがってるんですが、昨日、仕事終わってからコンビニでマスクせんと煙草吸って誰かと話してました」
「話してましたね」
「あの、そういうの会社の看板をて汚してるってことわからないですか」
「はあ」
「はあって」
「そこまで言われるほど」
「ご理解ください」
昨日コンビニでトラックの運転手のおじさんと喫煙
「トラックで煙草吸うな言われてやな、このコンビニ灰皿あるから嬉しいわ、せやからなもう店の子にも言うてるねん、阪神勝ったときは絶対ここで新聞買うようにきめてるからな、絶対灰皿なくさんといてなって」
「あ、なんかいいですね、そういうの」
「せやろ」
という灰皿をはさんでの一幕をあんたはマスクをして行えという。おい、気は確かか。ほんと、気は確かなのか。夏のボーナスをあげるからねえという総会で社長は言った。
「誰かと話すときはマスクをしてください」
と。それを真に受ける人間がいる。それに誰も何も言わない。みな、何も言わない。社長の言う事に何も言わない。ま、別にそれはそれで構わない。俺というまともと俺以外のあほがいるだけだ。なんて傲慢な俺。
 
「ワンチャンでかいの釣れますからね」
と釣り具屋のお兄さんは言った。
「ワンチャンでかいの釣れるんで、これ絶対おすすめですよ」
海釣りのことはほとんどわからないので専門家が言うに任せる。退職金は五十万あった。失業保険は二か月たたないとでないらしい。そこそこの貯金と五十万で次の仕事まで凌がなければならないにのだが、息子が釣りをしたいというのだ、そのワンチャンというやつのために金をだすのもよいだろう。なにせたまに会う親子ふれあい。
 
 スイッチというゲーム機でゲームをしている。うつ伏せに寝ころんで右足の裏の上に座布団を置き、左足でその座布団の端を軽く蹴り、皿回しのように座布団を回している。足で座布団を回しながらゲームをしている。恐らく俺の息子はあんまり賢くはないだろう。
「世界の半分以上は海らしいで、知ってた」
と息子は言う。知っていた。知っているが、
「よお知ってるなあ、知らんかったわ、誰が言うてたん」
「え、ユーチューブ」
「へえ」
今年で小学校一年生。小学校一年生の夏休みの三日間をともに暮らすこととなった。前もって何をしたいのだとラインを送ると
「釣りかサハラ砂漠」
と返信が送られてきた。サハラ砂漠をしたいというのはどういう行為をさしているのはわからないが、きっとサハラ砂漠とはこんな感じであります、という動画を観て影響されたのだろう。サハラ砂漠をするか釣りをするかで言うと、断然釣りである。さあ、昨日用意したワンチャンでかいの釣れますよ釣り具セットでワンチャンでかいのを釣りにいきましょうかとしたところで雨。雨が止むのを待っている。息子は寝ころんで座布団を回しながら、俺は夕飯のおでんを仕込みながら、そんな八月の午前中。幸福だ。とても幸福だ。スマホでは午後から雨が止むとの予報だ。雨がやんだならば十年ぶりの釣りである。海釣りは産まれて初めてだ。ワンチャンでかいのが釣れたらいいが。
 
スーパーマーケットにおいて菓子やら豆腐やらカレー粉やら、加工品を発注して店先に並べる等を繰り返して生計を立てていたのだが、十年近くそれを繰り返した結果、辞めるに至る。それはなぜかというと
「店長になるために資格を取ったり、セミナーを受けたりしなさい」
と言われたからである。そういうのが嫌で嫌でしょうがないのだ。労働時間外に労働のための動きをするのが嫌で嫌でしょうがなかったので
「嫌です」
と言ったら、店長がものすごく嫌な顔した。夕暮れの事務所は嫌な顔をした男が二人。コンピューターの専門学校を中退して、スーパーマーケットの従業員となる。そこまでずる休みをしたことがなかった。年に二度か三度だ。よくやったほうだ。十年よくやってきた。豆腐を並べるのに何秒でやれとか牛乳パックを並べる時は両手を使えとかそんなことをいう奴らとはさようならだ。そして輝かしい三十代へ。
 と思っていたが、そういう風にはいかなかった。なかなかなかなかなかなかなかなかなか思うようにはいかない。
「奇麗な字で履歴書を書いて、しっかりした顔をしていれば就職てのはすぐ決まる」
と思っていたのだ。現実は思ったようにはいかないものだ。
 実家暮らしであったし、まだ三十だしで
ぼんやりはしていた。その頃は実家暮らし、家でぼんやりしていると母親が言うのだ。
「お父さんが泣いているわ」
と。父親は高校の時に死んだ。死んだ人間が泣いていようが笑っていようが屁でもないようなものだが、これが結構こたえる。給食センターで働いていた母親は夕方過ぎに帰ってくる。母親と顔を合わせないため夕方からは家をでるようになった。ひとまず図書館に行く。失業中、母親に嫌ごとを言われたときに向いている本とはどういった本かわからかったがひとまず、ドン・キホーテを読むことにした。なにせ長いから、当面もつだろうという判断である。閉館時間の八時までは図書館で過ごす。問題はこの後だ。母親が寝るのが十時ぐらいでそこから二時間ある。この二時間をいかに過ごすかがその頃はとても大事なことだったのだ。ファミレスを利用することも多々あった。ファミレスでフライドポテトとドリンクバー、図書館で借りた本を読むのだ。一日中ドン・キホーテを読んでいただけの日もあった。毎日毎日同じファミレスに行くと店員に
「あ、またあいつや、きも」
と思われるであろうことから、近辺のファミレスをローテ―ションしていたが、それでも週に一度は同じファミレスに通っていただろう。それなりの配慮をしていたつもりではあるが、やはり
「あ、またあいつや、きも」
と思われていただろう。しかし
「あ、またあいつや、きも」
と店員に思われても、それがどうしただが、その頃は三十歳。まだそういうのを気にしてしまうのである。別に誰にどう思われても、消費税は高いことに変わりがないし、受信料を払えとおじさんはやってくるものだが、そういうことに気が付くにはまだ若かったのだ。毎日毎日ファミリーレストランへ行かない為に、池に行くことにした。というのもだ、図書館の近くには大学があって、大学の近くには池があったからだ。そして、その池に大学生らしき者たちが、竿をびゅうんと振ってはリールを巻き、竿をびゅうんと振ってはリールを巻きというのを繰り返している姿を毎日のように見ていたからだ。
読書の合間、煙草を吸いに外にでると、池から声が聞こえる。
「ううううお、やばい」
という声が聞こえた。
「うううううお、やばい、やばい、ありえん」
と男の声。
きっと魚を釣ったのだろう。そしてその魚を釣った感想がやばくてありえなかったのだろう。そうなのか、魚によってはやばくてありえないとなるのか、それは楽しそうだ、やりたい、やりたいな、となったのだ。なったのだが、昼には行きにくい。その池はその大学の池というものではなかったが、大学生だらけで、浮いてしまう。浮いてしまうのはいやだと思っていたのだ、その頃は。失業者だらけの池というのがあれば浮くことなく釣りができるが、そんな池はどこにあるか知らんし、あったとしても近場とは限らない。夜ならばいいのではなかろうかと思ったのだ。誰もいない時間ならば浮くも浮かないもない。そもそもが夜をファミリーレストラン以外で過ごすにはどうしたらいいのだと思案していたわけだし。
 多分一年ぐらい。週に二日以上はルアーを投げた。やばくてありえない魚を釣るためにルアーを投げた。たくさんたくさんルアーをなくし、たくさんたくさんルアーを買って、その甲斐あってものすごい釣り人になった。ものすごいと思う。一年以上やって、一匹も釣れなかったのだ。これものすごいと思う。よくもまあルアーを投げ続けたのだ。やり続けたのものだと思う。ま、意地になっていたのだろう。


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