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no.41 2018.9 ノンバーバルで自由なだんらん

夏休み、過労で心身を病んだ兄(石川県在住)が仕事を一か月休んでいるということで、ずぶの学校にやってきた。以前会ったのはいつだったか思い出せない。2~3年ほど前だっただろうか。

仕事が忙しい上に遠いので、会うためには意識的に動かない限り困難だった。というか、「忙しい」というのは心を失くした状態であり意識がないため、ふと「会う」という発想に至ったとしてもすぐに流されて忘れてしまう、といった具合かもしれない。一日一日過ごすのが精いっぱいだったと思われる。自分もそうだったので、そうじゃないかと想像する。

文字のやりとりをそれほどしてこなかった理系の兄と、数年ぶりにラインやツイッターでやりとりをしていて事態の切迫感に、瞬時に自分や周囲のひと

と重ねあわせてしまった、共鳴!(癖です)

「見えてるものを見ないふりしてその場を切り抜けていくんよ…切り抜けれれば切り抜けていくほど、しんどくなっていく。切り抜けることが仕事になって、本質がどっかいってしまうんよ」

私が抱える学校の問題だってそうだった! 兄とバーバルコミュニケーションができる日が来ようとは!(?) 兄は「若そうな言葉」を取り入れようと、ツイッターでも生きた言葉を探しているようだった(気づいたら私の友人や生徒とも相互フォローになってておもしろかった)。

ずぶ邸に到着したてのお疲れの兄に、開きにくかった玄関の扉を修理してもらい、なぜかこちらから学校での出来事を相談して、日が暮れてから隣に住む祖母と三人で銭湯に行くことになった。

祖母は耳が遠いため、ほとんど会話にはならず私一人だといらいらすることも多いが、三人で出かけて、なんとなくお風呂に入って、言葉少なに回るお寿司をたらふく食べて帰ってくるというのは、どこかとぼけていて気が楽だった。私と兄はそのままずぶ邸に泊まることにした。お酒を酌み交わしながら、「山月記」の朗読CDを聴き(前回の句会以降ブームだった)、お互いの好きな音楽を聴いているうちに眠ってしまった。

ずぶの学校をはじめた理由には、学校における問題意識のほかに家族を含めた人間関係を見直したいという欲求もあった。20代後半になったとき、自分も家族も年を重ねていくなかで、関係性が閉鎖的であること、淀んだ状態が続くことが息苦しいと感じた。私だけで、家族一人一人(祖母、父、母、兄)のすべての問題に対応しなければならないというプレッシャーがのしかかってくるかのような気がしたのだ(勝手に)。

ステレオタイプな家族観(その他の価値観)が無意識のうちに、そうでない現実を生きる個人を傷つけることはよくあることだろう。自分も知らぬ間にたくさん傷ついてきたし、まだしぶとく傷ついているようにも思う。「血のつながった家族は仲良くなければならない」「必ず分かり合えるはずだ」「その団結の意志を確認するために集まらねばならない」云々。そういった個人の本音を封じた慣習が形骸化している場合、仕事と同様の苦痛を伴う(しかも無償で)。

私の家は、誰もその苦痛をあえて受けようとは思わないので集まりはない。結婚していたとしても、常に会いたい意志を持つひと同士が今まで通り一対一の関係を続けさえすればそれでいいと思う。絶縁したとしてもそれはそれでいいと思う。血がつながっていようがいなかろうが、しがらみがあろうがなかろうが、会うか会わないかは自分で決めることだ。どうにでもできる。これを機に、友人や生徒とも合宿(ともに暮らすこと)をしたいと思うようになった。

翌朝、兄は俳句を作って自分で俳句コーナーに飾っていた。特に説明したわけじゃないのに、言葉のひとじゃないのに、自分から言葉を求めたり作ったりしてくれることが嬉しかった。「行動」自体がノンバーバルで希望だった。創作とは、オリジナルの、唯一無二の、新たな関係性を生み出す「行動」だ。テンプレートを全く無視した自由自在、縦横無尽のコミュニケーション。縁切り寺のようなずぶの学校では意志のあるもの同士が好きなように「生きた関係」を更新し続けることが許される。「家族」の可能性が内にも外にも広がる場所だと感じた。

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2015年の開校から毎月一回書き始めたずぶの学校新聞の第一期。冊子の方はなくなりましたのでオンラインマガジンにしました。全50本です。転機…

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